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雨のイソロバ。
Iso-Robaとは、Iso-Roobertinkatuという「通り」の通称。真ん中がちょっとしたプロムナードのようになっているとはいえ、エスプラナーディのような華やぎ? を欠いたごくごくふつうの商店街。そんなとりわけスペシャルじゃない感じが気に入って、ゴールデンウィークの映画イベントではタイトルとしてこの「イソロバ」という名前を拝借したのだった。街角にさりげなく佇むちいさなシネクラブ、そんなイメージだ。
関係ないけど、「メリー・ポピンズ」のことをフィンランドでは「マイヤ・ポッパネン」って言うんですね。

車に乗り込もうとするひと。
20世紀初頭の「ユーゲント・シュティール」の建物が並ぶカタヤノッカやエイラ、クルーヌンハカあたりは、ぶらぶらたてものを眺めながら散歩しているだけで楽しいエリアだ。日本語版はなかったけれど、インフォメーションに行くとそんなヘルシンキ市内のユーゲント・シュティールを紹介する建築マップも配布されている。

この柵の感じ・・・。学校、なんでしょうね。子供たちの気配が感じられないのはもう夏休みだから。

肉屋のトラック(たぶん)。グッドデザインです。無骨なはずなのに、街にしっくりなじんでいる。

シルタサーリ。このおだやかな眺めが好きで、いちど水辺にたつホテルに宿泊してみたいと思うのだが予算オーバーでまるっきり無理。せめてベンチに腰掛けて、のんびり本など読んで過ごしたいもの。とはいえ、じっとしているのがもったいない、そんな旅人にはそれもなかなか難しいというのが現実だったりするのだが。

公園の片隅のキオスキは、夏だけオープンするこじんまりとしたカフェになっている。イナタいけどやたら落ち着く。ここはいろんな意味でオープンなカフェ、なのだ。
ちなみにここの公園、地元のひとびとが日々丹精こめて手入れをしているおかげでヘルシンキの他のどこよりも一年中きれいな花々を咲かせるのだと教えてくれたのは、映画『かもめ食堂』のアソシエイト・プロデューサーとしてもおなじみの森下圭子さん。なるほど、ちいさいけれど、こんなにもみんなから愛されている、なんてしあわせな公園なのだろう。

雨のイソロバ。
Iso-Robaとは、Iso-Roobertinkatuという「通り」の通称。真ん中がちょっとしたプロムナードのようになっているとはいえ、エスプラナーディのような華やぎ? を欠いたごくごくふつうの商店街。そんなとりわけスペシャルじゃない感じが気に入って、ゴールデンウィークの映画イベントではタイトルとしてこの「イソロバ」という名前を拝借したのだった。街角にさりげなく佇むちいさなシネクラブ、そんなイメージだ。
関係ないけど、「メリー・ポピンズ」のことをフィンランドでは「マイヤ・ポッパネン」って言うんですね。

車に乗り込もうとするひと。
20世紀初頭の「ユーゲント・シュティール」の建物が並ぶカタヤノッカやエイラ、クルーヌンハカあたりは、ぶらぶらたてものを眺めながら散歩しているだけで楽しいエリアだ。日本語版はなかったけれど、インフォメーションに行くとそんなヘルシンキ市内のユーゲント・シュティールを紹介する建築マップも配布されている。

この柵の感じ・・・。学校、なんでしょうね。子供たちの気配が感じられないのはもう夏休みだから。

肉屋のトラック(たぶん)。グッドデザインです。無骨なはずなのに、街にしっくりなじんでいる。

シルタサーリ。このおだやかな眺めが好きで、いちど水辺にたつホテルに宿泊してみたいと思うのだが予算オーバーでまるっきり無理。せめてベンチに腰掛けて、のんびり本など読んで過ごしたいもの。とはいえ、じっとしているのがもったいない、そんな旅人にはそれもなかなか難しいというのが現実だったりするのだが。

公園の片隅のキオスキは、夏だけオープンするこじんまりとしたカフェになっている。イナタいけどやたら落ち着く。ここはいろんな意味でオープンなカフェ、なのだ。
ちなみにここの公園、地元のひとびとが日々丹精こめて手入れをしているおかげでヘルシンキの他のどこよりも一年中きれいな花々を咲かせるのだと教えてくれたのは、映画『かもめ食堂』のアソシエイト・プロデューサーとしてもおなじみの森下圭子さん。なるほど、ちいさいけれど、こんなにもみんなから愛されている、なんてしあわせな公園なのだろう。
ところで、戻ってから何人かのお客様にこんなふうに言われたのだった。
「ブログにフィンランドの写真とかアップされるんですか?」
すでに何回かアップしていたころだったのでこちらもいまひとつ要領をえず、あ、いや、もうちょっとずつアップしたりしてますけど・・・なんて応えていたのだが、どうやらそんなことみなさんよくご存知といった様子。これはいったいどういうこと!?
そして気づいたのだ。もしかしたら、みなさんが期待しているのはいかにも北欧らしいさわやかな写真なんじゃないだろうか、と。そういえば、たしかに夏のフィンランドへと誘うような清涼感あふれる写真なんてほとんど紹介していない(そもそも、ないのだが)。それどころかアラビア、マリメッコ、かもめ食堂といった「定番アイテム」すら登場していないといったありさまだ。
どうやら気づいてみれば、ぼくの目にはもう、ユルくて味があってキッチュな魅力をたたえた、そんなお茶目なフィンランドしか飛び込んでこなくなってしまったらしい。
それはたとえばこんな写真に表れている。

言うまでもなく、街角にひっそりたたずむ写真館のショーウィンドウなわけだが、もちろんこの写真の「ツボ」はといえば右下の仲良しおばあちゃん二人組のポートレイトである。「ヴァップ」に撮られたものだろうか、ふたりの頭に乗っかっているのは卒業式で授与される「白い学生帽」。ということは、
ふたりは学生時代からの親友なんだね?
なんて、写真館のショーウィンドウをのぞきこみながら思いに耽っている観光客はたしかにそう多くはないだろう。
そしてこんな写真にも。

街角でみつけたヒップホップデュオ、NIKO ja TAPSAのフライヤー。おでことおでこの引っつき加減がいかにも妖しく、目がはなせない。こういうお茶目なものを「発見」しては、日本に戻ってからネットで検索して「素性」を調べ上げる。旅の醍醐味、である。
さらには、こんな写真だって。

画像をクリックすると大きくなります
にぎわう日曜日のハカニエミのマーケット広場。というよりも、「主役」はむしろ写真の中の味のある(あり過ぎる?)オヤジたちの姿。おなじマーケット広場でも観光客相手のカウッパトリよりハカニエミのほうに足が向いてしまうのは、こういう普段着のフィンランド人(ジャージ姿の、という意味ではない)に混じってお店をひやかしたりしているとちょっとだけその土地と親しくなれそうな気がして、その感覚を楽しんでいるということなのだろう。
「ブログにフィンランドの写真とかアップされるんですか?」
すでに何回かアップしていたころだったのでこちらもいまひとつ要領をえず、あ、いや、もうちょっとずつアップしたりしてますけど・・・なんて応えていたのだが、どうやらそんなことみなさんよくご存知といった様子。これはいったいどういうこと!?
そして気づいたのだ。もしかしたら、みなさんが期待しているのはいかにも北欧らしいさわやかな写真なんじゃないだろうか、と。そういえば、たしかに夏のフィンランドへと誘うような清涼感あふれる写真なんてほとんど紹介していない(そもそも、ないのだが)。それどころかアラビア、マリメッコ、かもめ食堂といった「定番アイテム」すら登場していないといったありさまだ。
どうやら気づいてみれば、ぼくの目にはもう、ユルくて味があってキッチュな魅力をたたえた、そんなお茶目なフィンランドしか飛び込んでこなくなってしまったらしい。
それはたとえばこんな写真に表れている。

言うまでもなく、街角にひっそりたたずむ写真館のショーウィンドウなわけだが、もちろんこの写真の「ツボ」はといえば右下の仲良しおばあちゃん二人組のポートレイトである。「ヴァップ」に撮られたものだろうか、ふたりの頭に乗っかっているのは卒業式で授与される「白い学生帽」。ということは、
ふたりは学生時代からの親友なんだね?
なんて、写真館のショーウィンドウをのぞきこみながら思いに耽っている観光客はたしかにそう多くはないだろう。
そしてこんな写真にも。

街角でみつけたヒップホップデュオ、NIKO ja TAPSAのフライヤー。おでことおでこの引っつき加減がいかにも妖しく、目がはなせない。こういうお茶目なものを「発見」しては、日本に戻ってからネットで検索して「素性」を調べ上げる。旅の醍醐味、である。
さらには、こんな写真だって。

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にぎわう日曜日のハカニエミのマーケット広場。というよりも、「主役」はむしろ写真の中の味のある(あり過ぎる?)オヤジたちの姿。おなじマーケット広場でも観光客相手のカウッパトリよりハカニエミのほうに足が向いてしまうのは、こういう普段着のフィンランド人(ジャージ姿の、という意味ではない)に混じってお店をひやかしたりしているとちょっとだけその土地と親しくなれそうな気がして、その感覚を楽しんでいるということなのだろう。

「坂道が多く 世界のどこよりも不便だ」
とは、映画『カラマリ・ユニオン』の冒頭、15人の男たちがこの町からの「脱出」を決意して読み上げる口上の中の一節。そしてじっさい、この町には坂が多い。こんな気持ちよく晴れ上がった日ならともかく、情け容赦なく道が凍てつく冬の季節、このあたりを移動するのはけっしてたやすいことではないだろう。のんきな旅人でもそのくらいはよくわかる。
昼間は大丈夫だと思うけど、まあ、気をつけて
そう言われたこのあたりは、たしかに観光客がカメラなどぶらさげてヘラヘラ歩くには不似合いな一帯である。ポルノショップや怪しげなマッサージ店が軒を連ね、パブの前では飲んだくれのオヤジどもが昼間っからたむろしている。あまり目つきのよろしくない人々も少々。とはいえ、まあ、ここはヘルシンキ。東京でいえば歌舞伎町や大久保あたり、浅草の裏通りに深夜のセンター街を歩くくらいの心づもりでいればなんとか対応できるだろう。じっさい聞いたところでは、大久保あたりではうかつに写真なんて撮れないらしいし。ポケットに忍ばせておいて、撮りたいときはさっとシャッターを切る。そんな芸当のできるコンパクトのフィルムカメラがこういうときには威力を発揮する。
ホームレスにジロジロ見られながら歩いていると、底抜けに陽気なチャイニーズのおやじから中国語で話しかけられた。奥さんいわく、「さっき食事の配給所みたいなとこに並んでたよ、あのひと」。「同胞」と思われたのだろうか? それともそこまで町に溶け込んでいた? いや、そんなこともないと思うのだが(笑)。
とはいえ、ちょっとスノッブな匂いのある「Design District」よりも、案外このあたりの「猥雑さ」のほうが肌に合うというのもまた、事実。近ごろでは若いアーティストたちが好んでこのあたりに居を構えているらしいが、なにかをつくりだそうというひとびとにとってヘルシンキは少しばかり「清潔」すぎる気もしなくない。かえってこれくらいがちょうどいいのかもしれない。


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よく晴れた夕方(といっても19時くらい)、野ウサギを見にいった。ヘルシンキの中心部、トーロ湾に面したオペラ座のあたりで野ウサギが繁殖しすぎて問題となっているという。
公園になっているこのあたりはまさに市民にとっての憩いの場といった感じで、ジョギングや太極拳をするひとびと、瞑想に励む中国人、合コン中の若者やただなんとなくボーッとしているひとびとでかなり賑わっている。しかも、すぐ脇を走っているのは車やトラムが行き交う大通りである。はたしてこんなところにほんとうに野ウサギが出没するのだろうか?
疑心暗鬼になりながらオペラ座の脇の植え込みをのぞいていると、おっ、いたいた、けっこうな大きさの野ウサギがぴょこぴょこ跳ねている。さらによく見ると親子連れのウサギも。写真に収めようと頑張ったのだが、あまりに警戒心が強くすばしっこいのでとても無理、あきらめた(遠くから写したところで何を撮りたかったのかすら分からなくなってしまうのがオチだから)。
そうこうしていると今度は植え込みからまだ子供の鳥が二羽、ピィーピィー啼きながら飛び出してきた。頭上で低空飛行を繰り返しながらギャーギャー騒いでいるところをみると、どうやらカモメの子供らしい。巣から出てしまい、そのまま帰れなくなってしまったようだ。
迷子のカモメの子はすっかりパニック状態で壊れたラジコンカーみたいに迷走し、ついにはオペラ座の地下駐車場へのスロープをどんどん降りてゆく(↓写真)。

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これはヤバいと後ろから追い越して方向転換させふたたび植え込みの方まで追い立てていったのだが、親カモメはますますギャーギャー騒ぐし子カモメもホラー映画さながらに絶叫しながら逃げまくるわで、どうみても動物虐待にしか映らないのが悲しい現実であった。
しかし、、、
いつか大人になったとき、あの優しい東洋人(=店主)のことを彼(女)は思い出してくれるだろうか?いじめられたと勘違いして恨みをもったカモメから、あのエスプラナーディで目撃した哀れなアメリッカライネン(アメリカ人)のように、空中から爆撃されるようなことだけはなんとしても御免こうむりたいものだ。
もし散歩中の「ちいさん」がここを見たらなんて言うだろうとか、「出没!アド街ック天国」だったら何位にランクインするかな? とか、そんなことをかんがえながら散策するのが好きだ(ウソです)。
ところで、間違いなくちいさんも「アド街」もスルーするだろうけれど、あるいは「ぶらり途中下車の旅」の阿藤快だったらもしかして興味を示してくれるかもしれない、そんな魅惑的なオーラを放つ「物件」がこちら、トゥルクのキルップトリ(蚤の市)である。

この店があるのは、トゥルクの中心部にぽつんと取り残されたようにある古い木造建築の一角。数年前にはじめて訪れたときの記憶だと(というのも、ことしはちょうどお休みにぶつかってしまい入れなかったのだ)、中は予想以上に広くて部屋ごとに売られているものが、たとえば食器、家具、電化製品、衣料品、本といったぐあいに分かれている。そしてその様子をひとことで表現すれば、
「空き巣が入った直後の家」
もしくは
「片づけられないひとの部屋」
まさにカオス状態である。そして壁という壁には、「神は汝を愛し給う」といったような貼り紙(しかも手書き)がベタベタと貼られかなり独特の雰囲気を醸し出している。だいたい、こういったキルップトリの場合キリスト教系の団体によって運営されていることが多いので不思議ではないのだが、その貼られようが尋常でなく、そのためかなりビビりながら店内を見て回ったのがなつかしく思い出される。
そして、そんなにまでして? 店内をくまなく見て回ったにもかかわらず収穫はゼロ。日本人的に「掘り出し物」と思われるようなものは一切なく、あるのはたとえばワケのわからん電気コードだったり、だれかの足にぴったりフィットしてそうな革靴だったり、はたまた使いかけの化粧水だったり・・・要は、こうしたキルップトリの多くで目にする「定番」アイテムばかりである。
それでもぼくはこうした、その街の「空気」を凝縮したかのようなこうばしい匂いの立ちこめるお店を覗くのが好きだ。正直、「入場料」を支払ってでも入りたいくらいである。ときに、「どっひゃ〜」(「ぶらり途中下車の旅」のナレーション風に)な体験をさせてくれるのは案外こういう店だったりするからだ。

ところで、間違いなくちいさんも「アド街」もスルーするだろうけれど、あるいは「ぶらり途中下車の旅」の阿藤快だったらもしかして興味を示してくれるかもしれない、そんな魅惑的なオーラを放つ「物件」がこちら、トゥルクのキルップトリ(蚤の市)である。

この店があるのは、トゥルクの中心部にぽつんと取り残されたようにある古い木造建築の一角。数年前にはじめて訪れたときの記憶だと(というのも、ことしはちょうどお休みにぶつかってしまい入れなかったのだ)、中は予想以上に広くて部屋ごとに売られているものが、たとえば食器、家具、電化製品、衣料品、本といったぐあいに分かれている。そしてその様子をひとことで表現すれば、
「空き巣が入った直後の家」
もしくは
「片づけられないひとの部屋」
まさにカオス状態である。そして壁という壁には、「神は汝を愛し給う」といったような貼り紙(しかも手書き)がベタベタと貼られかなり独特の雰囲気を醸し出している。だいたい、こういったキルップトリの場合キリスト教系の団体によって運営されていることが多いので不思議ではないのだが、その貼られようが尋常でなく、そのためかなりビビりながら店内を見て回ったのがなつかしく思い出される。
そして、そんなにまでして? 店内をくまなく見て回ったにもかかわらず収穫はゼロ。日本人的に「掘り出し物」と思われるようなものは一切なく、あるのはたとえばワケのわからん電気コードだったり、だれかの足にぴったりフィットしてそうな革靴だったり、はたまた使いかけの化粧水だったり・・・要は、こうしたキルップトリの多くで目にする「定番」アイテムばかりである。
それでもぼくはこうした、その街の「空気」を凝縮したかのようなこうばしい匂いの立ちこめるお店を覗くのが好きだ。正直、「入場料」を支払ってでも入りたいくらいである。ときに、「どっひゃ〜」(「ぶらり途中下車の旅」のナレーション風に)な体験をさせてくれるのは案外こういう店だったりするからだ。






