北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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神話のなかで「豆」がはたす《役割》について、いま読んでいる本には書かれている。

それによると、古来さまざまな地域で語り継がれてきた神話のなかで「豆」は、両義的な存在として、たとえば「生」と「死」、あるいは「男性的なもの」と「女性的なもの」といった「ふたつの世界のコミュニュケーション回路を開いたり閉じたりする役」を担う「仲介者」として機能してきたという。そう聞いて、ぼくら日本人がまっさきに思い浮かべるのは「節分」にまかれる「豆」のことかもしれない。家の内と外との境界に立ってまかれるその「豆」は、鬼を外に追いやると同時に福を内に招きいれるまさに両義的な存在にほかならない。

ところで、ぼくにとってもっとも近しい「豆」といえば、それはやはりコーヒー豆ということになる。そこで、「仲介者」としての「豆」という点に注意を払いながらコーヒーの《発見》をめぐるふたつの言い伝え(=神話)をみてみると、これがなかなか興味深いのだ。

■エチオピア高原発見説
この話では、「羊飼い」のカルディが「赤い実」を食べて興奮しているヤギの群れを見て不信に思い、「修道院の僧侶」にそのことを告げともに口にしたことがその起源とされている。そしてその後「コーヒー」はもっぱら僧侶たちのあいだで修業に際してもちいられる覚醒薬として重宝され、広められていった。

■オマール発見説
この話では、「回教徒(=熱心なイスラム教信者)」のシェイク・オマールが「赤い実」をついばみ陽気にさえずっている一羽の鳥を目にし、自身もその実を持ち帰り煮出して口にしたことがその起源とされている。そしてその後「コーヒー」は「医者」でもあったオマールによって薬品としてつかわれ多くの病人を救うことになった。

(以上、「ふたつの説」については伊藤 博『コーヒー事典』を参照)。

このふたつの言い伝えは、ともに仲介者としての豆(ここでは「コーヒー」)の存在を《発見》するのがみずから「この世界で《仲介者》としての役割をはたしているひとびとである」という点でとても似かよっている。

それはたとえば「動物」と「人間」のあいだをとりもつ「羊飼い」であり、「神」と「人間」のあいだをとりもつ「聖職者」や「回教徒」であり、「天」と「地」とを自由に行き来する「鳥」であり、また「生」と「死」のあいだでその技術をとりおこなう「医者」である。コーヒーが、「修業に際してもちいられる覚醒薬」や「病人を救う薬品」として、まさに仲介するものとして広まっていったという経緯もおなじである。

コーヒーは、なにか「大変な魔力」をもつ「悪魔的(デモーニッシュ)な恐ろしい存在」としての「豆」にまさにふさわしい。いや、そこまで考えなくとも、あの青臭い生豆が「焙煎」によって香り高いコーヒーに化けるというそのことだけでももうじゅうぶんに驚きに値する。よくいわれるように、それはまさしく《錬金術》の世界といえる。となると、日々この「悪魔的(デモーニッシュ)な恐ろしい存在」としての「豆」を扱う「焙煎人」のみなさんは、さしずめ現代を生きる錬金術師ということになるだろうか。

なるほど、錬金術師かぁ・・・。知り合いの「焙煎人」のかたがたの顔を思い浮かべながらニヤニヤしているのだ。
ちかごろ家ではよくこれを使う。
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「松屋式」とよばれるコーヒーの抽出器具、いわゆる「ドリッパー」である。以前お客様から、そして最近もまたKさんから「松屋式」のことを聞き、このユニークな金枠のドリッパーをいただいた。くわえて具合のいいことに、ちょうどサイズ的にぴったりのサーバーを安く(在庫処分で千円也)手に入れることができたので、もっぱらコーヒーを淹れるときにはこれのお世話になっているというわけだ。

コーノ式にせよハリオ式にせよ、ネルドリップの味わいを念頭においたペーパードリップ用の抽出器具の場合、いかに理想的な「蒸らし」を実現するかがもっとも重要なポイントになっている。ペーパーを使いながらも、針金による最小限の支えのみによることでコーヒー粉の膨張をできるだけ邪魔しないよう工夫したこの「松屋式」は、ある意味この手のドリッパーのなかでは「最右翼」といえる存在かもしれない。
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ほかにも、この「松屋式」では、

スプーンなどで(コーヒー粉の)中心を掘り、フィルターにそって粉の厚さを均一にする

とか、最初の注湯後、

ふたをして3〜5分じっくり蒸らす

といったちょっと風変わりな抽出の「コツ」がある。くわしく知りたいひとは、総本山(!?)である名古屋の「松屋コーヒー」のWEBサイトをチェックされるとおもしろいはずだ。

ところで、このように世間にはさまざまな抽出器具のたぐいが数多く出回っていて、それはそれで楽しいことこの上ないのだが、果たして、それらの器具によって抽出されたコーヒーの味わいのちがいをどれだけ精確にぼくの舌が感じ分けているのかといえば、正直な話ほとんどわからないのである。ただなんとなく、漠然と「好み」がある程度だろうか。

いつか自信にみちて、そのちがいを「100字以内で述べ」れる日がやってきたら、そのときはまた報告しよう(もちろんエラそうに)。
知ってしまうということは、ときとして「罪」なことである。

茨城にある「サザコーヒー」から販売されている「徳川将軍珈琲」をKサンからいただいた。話には聞いていたが、じっさいに口にするのは初めてである。
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で、なぜそのコーヒーが「徳川将軍珈琲」と呼ばれるのかというと、まず、焙煎しているのが十五代将軍・徳川慶喜公の「ひ孫」にあたる徳川慶朝氏だからである。

さらに、慶朝氏は慶喜が外国人使節団にふるまったと思われるコーヒーの味を現代に「再現」するよう努めた。さまざまな資料をもとにたどりついた結論は、インドネシア高級品質のアラビカコーヒーを炭火焙煎するというものだった。「徳川将軍珈琲」の誕生秘話である。

というわけでやっと「試飲」のお時間となるわけだが、さすがにこれだけの「情報」を知ってしまうと、しまった、アタマの中はすでに「葵の御紋」でいっぱいなのであった。ダッ、ダダダダと、気を抜くと「水戸黄門」のテーマソングまできこえてくるではないか。もちろん、炭火焙煎独特のスモーキーな香りをかげば、チャララ〜ンとお決まりの「印篭」登場のテーマソングにのって鼻腔もオープン。それ、そこのもの頭が高いっ!控えおろう!ははぁー!!!

え?味の感想?もちろん、

余は満足じゃ。カッ、カッ、カッ・・・
焙煎工場

休日は週に一度のおたのしみ、コーヒー豆の自家焙煎が待っている。ゴソゴソと道具をベランダに持ち出しセッティングが完了すれば、特設焙煎所のできあがり。とはいえ、

・雨天中止
・風が強いとコンロの火力が一定しない
・外気温や湿度の影響を受けやすい
・夏は暑く、冬は寒い
・明るい時間帯しかできない(よって休日しか無理)

孤高のベランダロースターにとって、なにより焙煎はお天気との闘いなのである。
亀戸にある喫茶店「珈琲道場・侍」(通称「コーヒー侍」?!)のマッチ。
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ぼくにこの店の存在を教えてくれたのは、現在「亀戸」通勤中のNさん。コーヒーに、「貴族」や「伯爵」、「家族」がいることくらいはしっていた。しかし、よもや「侍」までいようとは。しかも、珈琲道場ときたもんだ。どんな「道場」なのだ、いったい?だいたいが「道場」に、「侍」である。おそらく、マスターは三船敏郎のような風貌をした眼光鋭い男にちがいないし、すくなくとも三ヶ月にいちどは日本各地の強者どもが「道場破り」にやってくるにちがいない。三船敏郎が「葉隠ブレンド」を淹れてくれる店。想像は膨らむばかりだ。

そこで、ぼくはなんとしてもNさんに「偵察」に行ってもらうことを決意した。「『侍』へは行かれました?」顔をみるたびに問いかける。「で、『侍』はどうでしたか?」またも、問いかける。「当然『侍』へは行かれたんですよね?」執拗にプレッシャーをかけること一ヶ月、さすがに根負けしたのか(?!)、ついにNさんから待望のレポートが届いたのだった。

「侍ブレンド」というのがありましたよ(ほぉ〜)、バイトはみんな「男子」でした(うんうん)、カウンター席はぜんぶロッキンチェアーです(は?)、BGMはジャズでした(はぁ...)、マスターは「ふつうのひと」でしたよ(えぇ〜)・・・なぜか聞けば聞くほどテンションが下がってゆく。とはいえ、マッチ箱を裏返せば、そこにはやはり気高き武士の誇りがしっかりと刻みこまれていて背筋が伸びる思いである。
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「一杯どり」。まるで「居合い抜き」、ではないか。いったい客たちは、どんな表情をしてそんなコーヒーを口にしているというのか?もちろん、苦虫を噛みつぶしたような表情で眉間にシワを寄せて、だろうか?それとも・・・いけない、いけない、また想像が膨らんできてしまった。
自家焙煎なるものに「挑戦」してみた。「コーヒー」をあつかう人間としていちどはじぶんでコーヒーを焼いてみたい、そうかねがね思ってはいたのだが、都会の賃貸マンション暮らしではけむりや匂いの問題などもあってなかなか手を出せずにいたのだった。

そんな折り、グラウベルの狩野さんの本で知ったのがコレ、「煎り上手」である。
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くわしい説明はさておき、熱力学の応用により手網焙煎などにくらべてずっと気軽に、しかも短時間で焙煎できるというなかなかすぐれものの器具なのである。

そこでさっそくチャレンジということになったワケだが、洗濯物に匂いがつくから室内ではダメという妻の「言いつけ」に従いベランダへ・・・。さいわい、うちは最上階&ベランダが独立しているため近隣からクレームがくるリスクも少ない。それに、ふつう20分はかかるとされる「手網焙煎」に対しこの「煎り上手」なら5〜6分程度の焙煎時間で済むという。これならなんとかなるだろうと踏んでの「強行突破」である。

準備万端、道具をセッティングし、さっそく開始。温度計やストップウォッチでのデータ記録にもぬかりはない。開始から4分弱でチャフが飛びはじめ、パチパチッという音とともに「1ハゼ」がはじまる。そのまま続けていると、けむりとともにチャフが勢いよく飛び散りはじめ、やがてピチッという音で「2ハゼ」がはじまる。そして「ここだっ」というタイミングで火から器具を離し、中の豆を急いでザルに出してやる。ここからはスピード勝負、余熱をとるためドライヤーで豆を冷やしたら出来上がり!所要時間はトータルで約8分といったところ。生まれてはじめての焙煎にしてはきれいに焼けているが、これはぼくの実力というよりも「煎り上手」の実力であることに疑いの余地はない。じぶんで焼いた豆は、なんだかひと粒ひと粒が「こども」みたいで愛おしい。焙煎職人の方の気持ちが、ちょっとだけわかった気分!?
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ほんとうならすこし豆を落ち着かせてやってから飲むべきなのだろうけれど、はじめての焙煎ということで我慢がきかず、ドキドキしつつさっそくドリップしてみた。
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う〜ん、思った以上にちゃんとしたコーヒーになっている。むしろ、予想以上の出来といえるかも。やるなァ、「煎り上手」。なにより、ついさっきまで青緑色していたコーヒー豆が、こうしてカップのなかでいまや琥珀色の液体になっているというその事実が感動的である。

焙煎職人の方が独自の技術と経験をもとにつくりだすコーヒー豆はさながら「芸術作品」のようなものだけれど、たまには日曜焙煎人のつくる「手作りオモチャ」のようなコーヒーもわるくない。
京都のビーンズショップ「カフェ・ドゥ・ガウディ」さんにお邪魔したとき話にでた、「ハリオ式」にドリッパーを変えてみた。
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これまで使ってきたのは「コーノ式」。コーノ式といえばペーパー用円錐ドリッパーであり、円錐ドリッパーといえばコーノ式の「専売特許」であった。そこに、ハリオが「殴り込み」をかけた。これはいってみれば「餃子の王将」の中国進出のような話であって、よほどの自信と覚悟がないことにはなかなかできない話である。

というわけで、さっそくふたつのドリッパーを並べてみる。「円錐形」「ひとつ穴」という特徴はまったくおなじ。サイズや穴の大きさにも目立った違いはない。ではなにが違うかというと、ドリッパーの内側の「リブ(溝)」の本数と位置が違う。コーノ式にくらべ、ハリオ式のほうがリブの本数が多く、しかも上部にまでスパイラルしながら延びているのだ。問題は、その「違い」がどう「味の違い」につながってくるか、ということなのだけれど、正直なところ、まだあまりよくわからない。
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単純にかんがえれば、リブの本数が多いということはそれだけドリッパーとペーパーのあいだに隙間ができやすく注湯したときの粉の膨張を、より妨げないですむということである。いいかえれば、よりしっかりと「蒸らし」がきくということだ。もうひとつ、おなじ理由からコーノ式とくらべたとき、よりスピーディーにお湯を落とすことも可能ということで、これはより幅広い味の表現が可能ということにつながる。逆にいえば、ちょっとした加減で味がブレやすいということでもあるけれど。

それはさておき、いまはそう、あたらしい自転車を手に入れた気分。意気揚々と、でもちょっとヨロヨロとしながらその乗り心地を楽しんでいるところだ。うまく乗りこなせるだろうか?コーヒーは、たのしい。