ちょっとした用事があり、定休日にもかかわらず店へとでかけた。とても天気がよかったし、それにこの一週間というものやけにひまでいつになく(!?)体力もあり余っていたのでひさしぶりに自転車にまたがって行ったのだった。そうしてついでに、通り道にあって、以前から気になっていた一軒の喫茶店にはじめて立ち寄ってみた。
伝説的なロックフェスとおなじ名前をもつその喫茶店は、住宅街の一角の、こんもりとした屋敷森(?)の中にあって、ひっそりと時を重ねてきたようななんともいえず味のあるたたずまいをもっていた。ただ、ちょっぴり残念だったのは店名の由来が「伝説的なロックフェス」ではなく、スヌーピーに登場するあいつだったことだろうか。おもての看板のイラストが、それを力強く物語っていたのだ。それでも薄々、きっとお店の中ではこんな音楽がかっているのではと期待していたのだが、実際にかかっていたのはこんな音楽で、せめてこんな音楽がかかってくれればと思ったものの結局ずっとかかっていたのはこの音楽で、しかも店を切り盛りしている「ママ」のお気に入りらしく、ときおりハスキーな声でいっしょに口ずさんだりするのであった。そしてこの時点でぼくは、持っていたリチャード・ブローディガンの短編集を読むことを完全に放棄した。ブローディガンも伝説的なロックフェスも、ここからはあまりにも遠すぎた。
ホットコーヒーをたのむと、「サービスで『たっぷり』もできますよ」と声をかけてくれる。せっかくなので「たっぷり」をお願いして待つことしばし。運ばれてきたコーヒーは冗談じゃなく「たっぷり」で、ふつうの三杯分くらいはあろうかという量だ。そのうえ「よろしければどうぞ」と、コーヒーカップの受け皿にざらっとのせて「かりんとう」まで持ってきてくれる。一瞬、まるで名古屋の喫茶店にいるような気分になってしまった(名古屋の喫茶店に行ったことなんてないのに)。それにしても、豆から挽いて淹れてはくれるものの、けっしてコーヒー専門店というわけではないここの店のコーヒーはとてもまあるい味がした。邪気がない、とでもいうか。こういうコーヒーを、ぼくはまだ淹れることはできない。ここのところ、コーヒーをもっと学びたいという思いがとても強くなっているせいか、なんだかいろいろと感じ入ってしまった。
けっきょくのところ、(勝手に)期待していたような伝説のロックフェスもブローディガンもこの店に見つけることはできなかった。でも、いまさらそんな「日光江戸村」のような店があったとして、ぼくはそんな店に行きたかったのだろうか?とてもじゃないが気恥ずかしくて扉を開ける気すら失せたのではないか?だいたい、伝説のロックフェスもブローディガンもすでにこの世には存在しないのだ。だがこの喫茶店は実在する。なんてすてきなことだろう。
伝説的なロックフェスとおなじ名前をもつその喫茶店は、住宅街の一角の、こんもりとした屋敷森(?)の中にあって、ひっそりと時を重ねてきたようななんともいえず味のあるたたずまいをもっていた。ただ、ちょっぴり残念だったのは店名の由来が「伝説的なロックフェス」ではなく、スヌーピーに登場するあいつだったことだろうか。おもての看板のイラストが、それを力強く物語っていたのだ。それでも薄々、きっとお店の中ではこんな音楽がかっているのではと期待していたのだが、実際にかかっていたのはこんな音楽で、せめてこんな音楽がかかってくれればと思ったものの結局ずっとかかっていたのはこの音楽で、しかも店を切り盛りしている「ママ」のお気に入りらしく、ときおりハスキーな声でいっしょに口ずさんだりするのであった。そしてこの時点でぼくは、持っていたリチャード・ブローディガンの短編集を読むことを完全に放棄した。ブローディガンも伝説的なロックフェスも、ここからはあまりにも遠すぎた。
ホットコーヒーをたのむと、「サービスで『たっぷり』もできますよ」と声をかけてくれる。せっかくなので「たっぷり」をお願いして待つことしばし。運ばれてきたコーヒーは冗談じゃなく「たっぷり」で、ふつうの三杯分くらいはあろうかという量だ。そのうえ「よろしければどうぞ」と、コーヒーカップの受け皿にざらっとのせて「かりんとう」まで持ってきてくれる。一瞬、まるで名古屋の喫茶店にいるような気分になってしまった(名古屋の喫茶店に行ったことなんてないのに)。それにしても、豆から挽いて淹れてはくれるものの、けっしてコーヒー専門店というわけではないここの店のコーヒーはとてもまあるい味がした。邪気がない、とでもいうか。こういうコーヒーを、ぼくはまだ淹れることはできない。ここのところ、コーヒーをもっと学びたいという思いがとても強くなっているせいか、なんだかいろいろと感じ入ってしまった。
けっきょくのところ、(勝手に)期待していたような伝説のロックフェスもブローディガンもこの店に見つけることはできなかった。でも、いまさらそんな「日光江戸村」のような店があったとして、ぼくはそんな店に行きたかったのだろうか?とてもじゃないが気恥ずかしくて扉を開ける気すら失せたのではないか?だいたい、伝説のロックフェスもブローディガンもすでにこの世には存在しないのだ。だがこの喫茶店は実在する。なんてすてきなことだろう。
ボサノヴァの話が出たついでに。
いちいち理由を挙げていったらキリがないのだが、クラシックの作曲家でもっともボサノヴァ的な存在といえばシューベルトである。たくさんの愛らしい歌曲はもちろん、かれがヴァイオリンとピアノのために書いたソナチネなんかもすごくボサノヴァっぽい。
そして、ことしの《ラ・フォル・ジュルネ》のメインテーマはまさにそのシューベルト。GWとはいえ最終日の火曜日ならなんとか行けるかな。オフィシャルサイトではすでにプログラムも発表されていて、三月にはチケットの一般発売も開始される。
怒濤のGWの打ち上げは《ラ・フォル・ジュルネ》と早くも心に決めている。ていうか、問題は今週末をどう切り抜けるか?なのだけれど。
いちいち理由を挙げていったらキリがないのだが、クラシックの作曲家でもっともボサノヴァ的な存在といえばシューベルトである。たくさんの愛らしい歌曲はもちろん、かれがヴァイオリンとピアノのために書いたソナチネなんかもすごくボサノヴァっぽい。
そして、ことしの《ラ・フォル・ジュルネ》のメインテーマはまさにそのシューベルト。GWとはいえ最終日の火曜日ならなんとか行けるかな。オフィシャルサイトではすでにプログラムも発表されていて、三月にはチケットの一般発売も開始される。
怒濤のGWの打ち上げは《ラ・フォル・ジュルネ》と早くも心に決めている。ていうか、問題は今週末をどう切り抜けるか?なのだけれど。
ことしは「ボサノヴァ誕生五十周年」なのだそうだ。打ち合わせの席上、bar bossaのはやしさんからそう教えられた。そうか。そういえばそうなのだなあ。ということは、「ぼくが熱心にボサノヴァを聴くようになってから十周年」という話でもある。なぜかというと、ちょうどそのときは「ボサノヴァ誕生四十周年」を記念(中途半端な「記念」だな、しかし)して一挙に名盤の数々がリリースされ、そうしたCDをいっしょうけんめい買い漁っていたからだ。
はじめて「bar bossa」にお邪魔したのもたしかその年だったはずで、その意味では、はやしさんとも十年来のおつきあいということになる。渋谷で仕事をし、プライベートでは友人とイベントなどやっていたころだ。そういえば、そんな十年前に買ったCDの一枚にナラ・レオンのアルバム『美しきボサノヴァのミューズ』がある。原題は、いみじくも『十年後(dez anos depois)』。軍事政権による圧力から逃れるためブラジルを離れパリへと移ったナラが、十年前のリオでの日々を慈しむかのように歌ったボサノヴァ・ソングブック。ナラの「十年」には到底およばないまでも、その後の「十年間」に会社員を辞め、荻窪に店を開き、吉祥寺に店を移転したことを思うと、たかが十年されど十年、その「重み」みたいなものについクラクラしてくる。そしてついでに、十年後に自分がなにをしているかなんて考えることがいかに不毛なことかと思えてくるのだ。
はじめて「bar bossa」にお邪魔したのもたしかその年だったはずで、その意味では、はやしさんとも十年来のおつきあいということになる。渋谷で仕事をし、プライベートでは友人とイベントなどやっていたころだ。そういえば、そんな十年前に買ったCDの一枚にナラ・レオンのアルバム『美しきボサノヴァのミューズ』がある。原題は、いみじくも『十年後(dez anos depois)』。軍事政権による圧力から逃れるためブラジルを離れパリへと移ったナラが、十年前のリオでの日々を慈しむかのように歌ったボサノヴァ・ソングブック。ナラの「十年」には到底およばないまでも、その後の「十年間」に会社員を辞め、荻窪に店を開き、吉祥寺に店を移転したことを思うと、たかが十年されど十年、その「重み」みたいなものについクラクラしてくる。そしてついでに、十年後に自分がなにをしているかなんて考えることがいかに不毛なことかと思えてくるのだ。
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スタッフたちから、唯一頼りにされているじぶんを実感できる瞬間。
「岩間さーん、瓶のフタ開けて下さいっ!」
「岩間さーん、瓶のフタ開けて下さいっ!」
この三連休、吉祥寺はものすごい人出だった。土曜日こそ「雪」の予想(じっさいに降り始めたのは夜になってから)でふだんよりは落ち着いてはいたものの、日曜日、そして祝日だったきのうはちょっと息つく暇すらないような忙しさで、こうなってくるとこの仕事、もうほとんど「スポーツ」です。飲食の世界に「体育会系のひと」が多いのもなるほど、頷ける話だ。たくさんのお客様に来ていただけるというのはとてもありがたく、うれしい反面、いっぽうではそれに比例して課題や反省点もいろいろ出てくるので連休後の朝というのはちょっとホロ苦い。この先「学習」していかなきゃならないことがたくさんある。
ところで、この三連休には思いがけずずいぶんとたくさんの知り合いにも足を運んでいただいた。せっかくなのだからいろいろお話もしたいところだが、とてもそんな余裕もなく心苦しいかぎり。相手に対してというよりは、じつは自分のほうが欲求不満気味だったりするのだが。それにしても「グラウベル」の狩野さんとか「かうひい堂」の牧さんだとか、コーヒーと日々まっすぐ向き合って生きているような人たちにコーヒーを淹れるというのは(そのことを知ってしまっているだけに)相当に緊張を強いられる。べつだんいつもとちがったことをするわけでもないのに。少なくとも、まじめに淹れているということだけ伝わればよし、そう思うことにしている。「グラウベル」の狩野さんには、近いうちスタッフ向けの「出張コーヒー教室」をしていただきたいとかんがえている。技術のことだけでなく、やはりコーヒーを扱うものとして一粒のコーヒー豆の背後にある世界を最低限知っておく必要があると思うからだ。狩野さんによれば、著書『休みの日には、コーヒーを淹れよう。』の新装版を現在準備中とのこと。とりあえずコーヒーを淹れてみたい、そうかんがえているひとにまず手にとっていただきたい一冊なのでとても楽しみにしている。
三連休の最終日、月曜日の夜は奇跡的に片付けが早く終了したので21時には店を後にして、届け物ついでに渋谷の「bar bossa」へと顔を出す。マスターのはやしさんがナビゲーターをつとめる文化放送のインターネットラジオ、《UNIQue!》の番組「World Music Style〜Bar Bossa」の三月放送分でぼくが少しだけ選曲をお手伝いさせていただくことになり、その選曲したCDをもっていったのだ。ひさしぶりのbar bossaはいつもながらに心地よく、途中THE YOUNG GROUPの土信田くんもやってきてなんだかんだと時間を忘れておしゃべりに花を咲かすうち危うく終電を逃しそうになる。昔もよくこんなことあったな、危険だよ、ボッサは。ちなみに下北沢の某有名カレーショップでのバイト経験をもつ土信田くんいわく、「雑誌『Hanako』に出ると二ヶ月は死ぬ」のだとか。「二ヶ月間、毎日毎日カレーを作り続けた」とも。あの〜、今月末に発売の「Hanako」吉祥寺特集にmoiも載ってしまうのですが・・・。むちゃくちゃ不安だ。それはともかく、土信田くんは春ごろクルーエルレコードからのCDリリースが決まったらしい。これは楽しみ、moiでもかけられるといいのだけれど。
スイッチを切り替えるという意味でも、一週間をこんなふうな時間で締めくくるというのはなかなかいいものだ。今週もがんばろう。
ところで、この三連休には思いがけずずいぶんとたくさんの知り合いにも足を運んでいただいた。せっかくなのだからいろいろお話もしたいところだが、とてもそんな余裕もなく心苦しいかぎり。相手に対してというよりは、じつは自分のほうが欲求不満気味だったりするのだが。それにしても「グラウベル」の狩野さんとか「かうひい堂」の牧さんだとか、コーヒーと日々まっすぐ向き合って生きているような人たちにコーヒーを淹れるというのは(そのことを知ってしまっているだけに)相当に緊張を強いられる。べつだんいつもとちがったことをするわけでもないのに。少なくとも、まじめに淹れているということだけ伝わればよし、そう思うことにしている。「グラウベル」の狩野さんには、近いうちスタッフ向けの「出張コーヒー教室」をしていただきたいとかんがえている。技術のことだけでなく、やはりコーヒーを扱うものとして一粒のコーヒー豆の背後にある世界を最低限知っておく必要があると思うからだ。狩野さんによれば、著書『休みの日には、コーヒーを淹れよう。』の新装版を現在準備中とのこと。とりあえずコーヒーを淹れてみたい、そうかんがえているひとにまず手にとっていただきたい一冊なのでとても楽しみにしている。
三連休の最終日、月曜日の夜は奇跡的に片付けが早く終了したので21時には店を後にして、届け物ついでに渋谷の「bar bossa」へと顔を出す。マスターのはやしさんがナビゲーターをつとめる文化放送のインターネットラジオ、《UNIQue!》の番組「World Music Style〜Bar Bossa」の三月放送分でぼくが少しだけ選曲をお手伝いさせていただくことになり、その選曲したCDをもっていったのだ。ひさしぶりのbar bossaはいつもながらに心地よく、途中THE YOUNG GROUPの土信田くんもやってきてなんだかんだと時間を忘れておしゃべりに花を咲かすうち危うく終電を逃しそうになる。昔もよくこんなことあったな、危険だよ、ボッサは。ちなみに下北沢の某有名カレーショップでのバイト経験をもつ土信田くんいわく、「雑誌『Hanako』に出ると二ヶ月は死ぬ」のだとか。「二ヶ月間、毎日毎日カレーを作り続けた」とも。あの〜、今月末に発売の「Hanako」吉祥寺特集にmoiも載ってしまうのですが・・・。むちゃくちゃ不安だ。それはともかく、土信田くんは春ごろクルーエルレコードからのCDリリースが決まったらしい。これは楽しみ、moiでもかけられるといいのだけれど。
スイッチを切り替えるという意味でも、一週間をこんなふうな時間で締めくくるというのはなかなかいいものだ。今週もがんばろう。
最近の若いひとは「ぶりっ子」を知らないらしい。そんな「衝撃的」なレポートが先日bar bossaのはやしさんからなされアダルトチームは一同驚かされたのだったが、そういえば二十代後半のOクンが「およげ!たいやきくん」をフルコーラスで歌えないなどと言うのだからさもありなん、である。なんでも林さんによると、その二十代の女性は「ぶりっ子」のことを「たらこ」だとか「とびっこ」のようなものだと勘違いしていたらしい。
そこで真実の「検証」をすべく、ほとんど半分に近い年齢のスタッフにたずねてみた。すると、「知ってます。『おまえ、何ぶりっ子してんだよ』とかフツーに使いますよ」とのこと。事情を説明すると「え?それはちょっと常識が・・・」とまで言う。なーんだ、やっぱりネタじゃん!とホッと胸をなでおろしたアダルトチームだったのだが・・・
その日の帰り道、音楽の話をしていたときのことだ。レコードの話をしながら「それで、B面がさ」などと口走ったぼくに対して、「え?レコードって片面だけじゃないんですか?」と同じスタッフ・・・。もうおじさん、なにがなんだかわからなくなっちゃったよ。
そこで真実の「検証」をすべく、ほとんど半分に近い年齢のスタッフにたずねてみた。すると、「知ってます。『おまえ、何ぶりっ子してんだよ』とかフツーに使いますよ」とのこと。事情を説明すると「え?それはちょっと常識が・・・」とまで言う。なーんだ、やっぱりネタじゃん!とホッと胸をなでおろしたアダルトチームだったのだが・・・
その日の帰り道、音楽の話をしていたときのことだ。レコードの話をしながら「それで、B面がさ」などと口走ったぼくに対して、「え?レコードって片面だけじゃないんですか?」と同じスタッフ・・・。もうおじさん、なにがなんだかわからなくなっちゃったよ。
お正月にパソコンを買った。初詣に出かけたついでに、なかば衝動的に買ってしまったのだった。
十年ちかく自宅で使ってきたパソコンは、すでにここ数年ほとんど瀕死状態といってよいような具合である。画面が突然、理想のくびれをもつ完璧なボディーラインのような湾曲したかたちに歪んだかと思うと、いきなりポンッといって元に戻る(リバウンド)。かと思えば、急にキュルルルと悩ましげな声をあげる。たいていのひとだったらもうとっくに買い換えていてもいいはずだが、面倒くさいしお金もかかるという理由でこれまでずっと先延ばしにしてきたのだった。
いや、じつをいえばまだけっして腹をくくったというわけではない。不調なパソコンをだましだまし使うための、それ相応のテクニック(?)だって身についている。実際、ついこのあいだまでは火を吹くか、完全に固まって動かなくなってしまうまで使うつもりでいたのだ。
ところがそうもいかなくなってきた。問題はネットである。ここ最近、閲覧することのできないサイトがぐんと増えた。「お使いの機種はサポートしておりません」と門前払いを喰らうケースが増えてきたのである。ショッピングや動画、音楽の試聴はもちろん、ごくふつうのウェブサイトですらそうなのだから屈辱的である。買い換えてみてわかったことだが、つまるところ十年ちかくも前のパソコンでネットをするというのは高速道路を原付で走るようなもんである。だいたい、メモリが1GBって、なんなんだその天文学的な数字は(これまでは128MB)。なにせYouTubeのキダ・タロー メドレーで、「浪花のモーツァルト」ことキダ・タロー先生の指揮とオーケストラの演奏とが見事に同調しているのである(!)。
なんかそれだけで、じゅうぶん最近のパソコンってすごい。すごすぎる。
十年ちかく自宅で使ってきたパソコンは、すでにここ数年ほとんど瀕死状態といってよいような具合である。画面が突然、理想のくびれをもつ完璧なボディーラインのような湾曲したかたちに歪んだかと思うと、いきなりポンッといって元に戻る(リバウンド)。かと思えば、急にキュルルルと悩ましげな声をあげる。たいていのひとだったらもうとっくに買い換えていてもいいはずだが、面倒くさいしお金もかかるという理由でこれまでずっと先延ばしにしてきたのだった。
いや、じつをいえばまだけっして腹をくくったというわけではない。不調なパソコンをだましだまし使うための、それ相応のテクニック(?)だって身についている。実際、ついこのあいだまでは火を吹くか、完全に固まって動かなくなってしまうまで使うつもりでいたのだ。
ところがそうもいかなくなってきた。問題はネットである。ここ最近、閲覧することのできないサイトがぐんと増えた。「お使いの機種はサポートしておりません」と門前払いを喰らうケースが増えてきたのである。ショッピングや動画、音楽の試聴はもちろん、ごくふつうのウェブサイトですらそうなのだから屈辱的である。買い換えてみてわかったことだが、つまるところ十年ちかくも前のパソコンでネットをするというのは高速道路を原付で走るようなもんである。だいたい、メモリが1GBって、なんなんだその天文学的な数字は(これまでは128MB)。なにせYouTubeのキダ・タロー メドレーで、「浪花のモーツァルト」ことキダ・タロー先生の指揮とオーケストラの演奏とが見事に同調しているのである(!)。
なんかそれだけで、じゅうぶん最近のパソコンってすごい。すごすぎる。

