fc2ブログ
北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

2023/081234567891011121314151617181920212223242526272829302023/10

散歩をしていて発見、思わずギョッとしたのは松江の中心部、宍道湖の湖畔にたつ須衛都久(すえつぐ)神社のこの鳥居。くぐれないじゃん!
suethugu

いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?「いやぁ、たまたま気づいたらこんなになっちゃってね」ってことはないだろう。それにだいたい、どうしてこのままにしているのか?気になって仕方ないのである。

一応、ぐるりと回りこむとちゃんとくぐれる別の鳥居があるので参拝客が困ってしまうということはなさそうである。もともと湖畔の埋め立てかなにかをする前にはこの神社は宍道湖の水辺にあったらしく、どうもこの鳥居も湖に面した水際にあったらしい。

が、けっきょく理由はわからずじまい。理由を知っているひとがいたら、ぜひ教えてもらいたいものである。
東京にもどってすぐ、「石見銀山」世界遺産登録が決定。さらに今週の土曜日には、松江を舞台にしたテレビドラマ『島根の弁護士』(仲間由紀恵主演)が放映されるという。また、cactus408のいずみさんからも島根にいくつか気になるお店があるとの熱い(?)メールが……

これはもしやちょっとした島根ブーム!?

おそらく半年後には「クウネル」が松江・出雲特集を組むことでしょう(笑)。
旅のたのしみのひとつに、旅に携えてゆく本を選ぶというたのしみがある。結局ほとんど読まないままに帰ってきてしまうことが多いとなると、やはり「選ぶ」という行いのうちにたのしみを見い出しているといったほうが正しそうだ。

今回携えていったのは二冊。まずは、星新一『ほら男爵現代の冒険』
ほら男爵

はじめて出雲・松江にいった小学生の夏、もっていった本だ。そのころクラスの「学級文庫」では星新一の本が大人気で、たぶんそんなこともあって持っていったのだと思う。行きの寝台列車(ブルートレイン)で読むつもりだったのだが、はじめて乗る寝台列車がうれしくそれどころではなかった。

深夜まで、うれしくて列車の中を行ったり来たりくりかえしているうち「ちょっと、ぼく?」、車掌さんに呼びとめられた。

「鼻血出てるよ」

興奮のあまり鼻血を出していたのだった。「ちょっと待ってて」と言うと、車掌さんはトイレットペーパーをぐるぐると腕に巻きつけもどってきた。「ほら、これをつめときなさい」と手渡され鼻にトイレットペーパーをつめて眠ったので、けっきょく本は読まなかった。というわけで、ある意味リベンジである。

大人になって読む星新一は、あらためて面白い。軽快な文体とスパイスのようにぴりっとくるシニカルな表現、それに「近未来」への洞察の深さ……子供のころに全部読んじゃったというひと、あらためてこの夏読み直してみてはどうだろう。

もう一冊は、岡倉天心『新訳・茶の本』
茶の本

出発前、ちょうどこの本をめぐってとても刺激的な企画を進行中のKサンからメールをいただいた。じつはずいぶん前のこと、この本を読もうと思い立って岩波文庫版を手に入れたのだが、そのあまりにも格調の高い訳文に圧倒されあっという間に逃げ出したのだった。けれどこれもなにかの偶然、せっかく「『茶の湯』の都市」に出かけるのだしもういちど挑戦してみるか、と気をとりなおした。調べてみるとこの『茶の本』、いろいろな翻訳者による版が存在している。

大久保喬樹氏によるこの訳文はとてもこなれていて読みやすいうえ、各章につけられた解説も親切だ。日本人とはいえ「茶道」についての知識なんてまったく持ち合わせていず、しかも日本的な美意識からもほど遠い生活をしているのだから、ある意味ぼくも「外国人」みたいなものである。あらためて感心することや驚かされることもすくなくない。なかにはなんとなく納得したり、また理解できたりすることもあり、「ああ、やっぱり日本人なんだなぁ」とあらためて感じてみたり……。

「不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでもなにかしら可能なものをなし遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである」

なんて、わかったようなわからないような、でもちょっとぐっとくる一文ではある。ストーリーよりもむしろ、ちょっとした一文の印象のほうが強烈に記憶に残る、これはもしかしたら本を旅先で読んだときならではの特徴といえるかもしれない。
おまっとさんでした。たべものシリーズです。

せっかく山陰まで来たのだから地のものを、できればカジュアルに楽しみたい。そう思って出かけていったのが、松江駅近くの「根っこ」というお店。地元で人気らしく、OLやサラリーマンらでずいぶんと賑わっていた。すっかり気に入ってしまったぼくらは、けっきょく二晩連続で通ってしまったのだった。

まずは付き出し。あん肝煮、骨せんべいとおかひじき、それに葉ごぼうという取り合わせ。
付き出し

続いては「地魚の三種盛り」、手前からノドグロトビウオ、それに白バイ(ジョン&パンチではない)。
地魚

ノドグロは、関東ではアカムツという名前で知られている魚。たぶんはじめて食べたと思うのだけれど、脂がのっていてとても美味しい。

鳥取で作られている無添加ソーセージ。ふわっふわ。
ソーセージ

「宍道湖七珍(しんじこしっちん)」のひとつ、いまが旬のモロゲエビの唐揚げ。背わたが少ないうえ皮もとても柔らかいのでアタマからシッポの先まで、平気でバリバリ食べれてしまう。
morogeebi

こちらは、しまね和牛のタタキさん。
たたき

豆いっぱいのピザには三種類の豆がはいっている。そのなかではじめて口にしたのはワレット豆。サヤエンドウとインゲンを足して2で割ってデカくした感じ。やわらかくて、ちょっと甘味があってさやごと食べれる。島根県産とのことで、およそ東京では見たことがない。美味しいのに……。帰りにスーパーマーケットによってひと袋買ってきた。たっぷり入って百八十円也。
piza

刺身が脂がのっていてとても美味しかったので、オススメというノドグロのしゃぶしゃぶに挑戦する。
のどぐろ

口の中ですっと溶けてしまう感じ。あまりにも火が通りすぎるとほろほろっと崩れてしまうので、サッと湯にくぐらす程度がちょうどいい。

そのほか、撮影する間もなく胃袋に消えていったのは白イカの生干し。地元でつくられているざる豆腐新たまねぎのサラダ、それにこのお店のルーツであるおでんの盛り合わせ(八十歳をすぎたおばあちゃんが元気に厨房に立ち煮込んだもの)も美味しかった。

ごちそうさま!
松江城の天守閣を臨む高台に、不昧公の好みにあわせてつくられた茶室「明々庵(めいめいあん)」がある。このあたり、木々が鬱蒼と生い茂るちょっとした台地になっていて、かつてその麓で暮らしていたラフカディオ・ハーンによると、ウグイスやフクロウはもちろん、ときにはホトトギスの啼く声まで聞かれたそうだ。

待合から茶室につづく明々庵の「露地」
明々庵1

岡倉天心によると、「露地」の役割とは「外界とのつながりを断ち、新鮮な感受性を呼び覚まして、茶室での美的体験を存分に味わえるように備えさせる」(大久保喬樹訳)ことにある。つまり、このほんの短い小道で、客は自分自身をリセットするのだ。茶室でお茶をふるまわれることで「リセット」されるのではなく、「露地」で「リセット」することによって茶室での体験がよりいっそう特別なものになるというわけだ。もし、喫茶店や居酒屋にも「露地」があったなら、店で会社や家庭の愚痴をこぼすひとが減るかもしれない!?

日ごろ雑然とした場所で生活しているせいか、茶室の清潔かつ簡潔な空間には単純にあこがれるものがある。そういうところに住めないのなら、そういう気持ちを呼び覚ましてくれる空間を身近につくるというのも手だろう。moiもそういう場所になれたら最高なのだけれど。
明々庵2

↑茶室をのぞきこむ怪しげな人影(=店主)。
というわけで、なにかと影響をうけやすいぼくは、東京にもどってから薄茶を点てているのである。お抹茶は不昧公直々に命名したという銘茶「中之白」。もちろん松江で買ってきたもの。
ウス茶糖

とはいえ茶道の心得は皆無ゆえ、ひたすら見よう見まねでやっている。いままでインスタントコーヒーを飲んでいたひとが、不意に自分でコーヒーをドリップするようになった感じとでも言おうか。つまるところコーヒーにせよ抹茶にせよ、それじたいを味わうこと以前に、コーヒーを淹れる、抹茶を点てるというそのプロセス、その時間を味わうことこそがぼくは好きなのだとあらためて思った。

もちろん「かたち」に興味がないわけではないがさすがに敷居が高い。bleu et rougeさんのおっしゃるとおり、ナンチャッテな茶道教室なら大歓迎、やる気マンマンなのだけれど……
松江は抹茶色の町だ。江戸時代、茶人のお殿様がいたからにちがいない。じっさい、町をあるいていてやたらと目につくのは和菓子の店、それにお茶屋さんだ。旅の途中、マクドナルドやスタバはいちどだって目にしなかったというのに。

京都、そして金沢と並ぶ「茶の湯」の町として知られるここ松江は、たしかに町全体が抹茶のような深々とした、また清々しい「緑」に覆われていた。
松江の丘

horikawa


松江に茶の湯を広めた不昧公(ふまいこう)こと松平治郷の墓所のある月照寺はまた、「山陰のあじさい寺」としても知られている。天気予報でみた「傘マーク」はいったいどこに消えてしまったのだろう。予想外の夏の太陽に、あじさいの花もなんとなく当惑気味。
あじさい

不昧公の墓所に供えられていた白い百合の花に、これまた鮮やかな緑色したアマガエルを発見。こうやってずっと、雨が来るのを待ちかまえているのだろうか。
アマガエル

ちなみにこれは、その名もずばり「不昧公」というデザート。無糖の抹茶ゼリーに、白玉、あずき、それにアイスクリームがのっている。
不昧公


松江をあるき、その町の空気を吸っていると、ここで抹茶を点てることはごく自然なことと思えてくるから不思議である。それはたぶん松江が、抹茶の色と香りが似合う町だからにちがいない。松江の土にはきっと抹茶がしみこんでいるのだ。

東京に戻ったら、ぼくもいつもコーヒーを淹れているような気分で抹茶を点ててみよう。