
伊豆にでかけた帰り、なにげなく東京駅のDEAN&DELUCAをのぞいたところ、「発見」してしまいました。
その名も、彩雲堂あんぱん。
松江(←またもや、島根ネタ)の老舗和菓子舗「彩雲堂」のこしあんを使ったDEAN&DELUCAのオリジナル商品です。
あんは松の実、けしの種、カボチャの種などを生地に練り込んだハード系のパンに包まれています。あんはやや少なめ。よって、こしあんの上品さがハード系の生地に負けてしまうのではと心配だったのですが、意外や意外うまいこと調和しています。あんが「主役」を張るかわり、「アンサンブル」に徹することで微妙なバランスが保たれているといった印象。このあたりの計算はさすがですね。パン作りに和菓子的発想をフィードバックしているといった感じでしょうか。
Oクンからお土産にいただいた、京都「カフェ工船」のインド・バルマンディ(バルマディーズ?)とともにおいしくいただきました。
松江をたつ直前、一時間半ほど時間があいたので松江の中心部、茶町、京店から殿町あたりといったかつての繁華街を散歩してみた。

こういってはなんだが、寂れていた。梅雨時の平日の昼下がりといったことを差し引いても、老舗旅館や観光客相手の店がならぶ町並みはあまりにも閑散としている。空き店舗もやたらと目立つ。みじかい旅のなかでぼくが出会った松江、それに出雲がすばらしく豊かな場所だったことを思うと、そのあまりのギャップに戸惑わざるをえない。
松江や出雲ではどこでも-町のまんなかでさえ-、ちょっと手をのばしさえすれば自然の息づかいを感じ取ることができ、その自然の恵みであるふんだんな海の幸や山の幸は旅人の胃袋をみたしてくれた。豊穣のシンボルである大黒さま、つまり大国主命がここ出雲の地に祀られていることはたんなる偶然ではないのだと、この土地を歩くとよくわかる。同時にそこは「茶の湯」の都であり、小泉八雲が愛した素朴な人々が語り継ぐ神話と伝説の都市であることも忘れられない。
にもかかわらず、この豊かな土地であるはずの島根県がどうもけっして「豊か」ではないらしいのだ。じっさい2005年のある調査によると、ここ島根県の「人口減少率」は秋田、青森についで第三位だという。その土地で暮らしてゆけないから若者は仕事を求めて県外へと流出してしまう。結果いよいよ高齢化に拍車がかかり生産力は減衰する。悪循環である。路線バス(市バス)にのって気づいたのだけれど、ここでは高齢者からも運賃をとっている(割引制度はあるらしい)。高齢化が著しい場所ほど、逆に老人福祉が手薄になるという矛盾である。
いまの時代、殺伐とした土地であっても、大きな自動車工場のひとつもあればその土地は「豊か」に潤おう、そういう時代である。そういう時代に生きているのだから、それをむやみに否定してもしょうがない。ただ、すべての価値の尺度をそこに寄せていってしまうということについてはやはり疑問が残る。この目で見て触れた松江、出雲が「豊か」ではなかったとはけっして思えないからだ。乱暴に言えば、「豊かさ」にはたぶん質的な豊さと量的な豊さとがあるのだろう。島根県の「豊かさ」は、「量的な豊さ」こそを「豊かさ」だと定義する資本主義社会にあっては、手のひらですくった水のようにみすみすこぼれ落ちてしまうものなのだ。

茶の湯についてかんがえてみる。それはもともと武士のものだった。信長や秀吉といった戦国時代の武将たち、つまり現代に生きるぼくらよりもずっとシリアスに現実と向き合っていたひとびとが「茶の湯」を愛し、茶人を庇護してきたというのはなんとなく不思議な気がする。生死をかけて権力の座を奪い合う血なまぐさい日常と、「茶の湯」というどこかスローな儀式とのあいだの関係性がいまいち見えにくいからだ。けれども、よくよくかんがえれば「量的な豊さ」を極めようとする武人が、むしろそれゆえ「質的な豊さ」を必要としていたというのは自然なことである。天下をとるような人物は、「量的な豊さ」の有限を知っている。その虚しさを埋めるためにも、おそらく「質的な豊さ」を味わうセレモニーとしての「茶の湯」を渇望したのかもしれない。俗世を離れた極限的に小さな世界でパンパンに膨張した風船のような密度の濃い時間を過ごすことで、「量的な豊さ」に埋没しそうな自分自身をリセットしたのではないか?ちなみに、「量的な豊さ」のみに走る経営者たちの行く末については、ここ最近のニュースをみればおわかりのとおり。
生まれたときにはすでに、わけがわからないまま「量的な豊かさ」を追求する経済原理にからめとられてしまっているぼくらもまた、戦国武将にとっての「茶室」のような仕掛けをたぶん求めている。戦国武将のようにみずから進んでそうしたシステムに飛び込んだわけではないぶん、本当はぼくらのほうがずっとそういう「仕掛け」を必要としているのだ。無自覚なだけに始末が悪い。けっきょく、さまざまな「ストレス」として表面化してはじめて気づくのだ。
静かでおだやかな土地に行きたいと思って松江・出雲へと出かけたぼくは、思えばおなじ理由でフィンランドへも出かけていたのだった。ふたつの都市がもつ波長は、ぼくにとってとても似ている。それは「質的な豊さ」を実感できるという意味で似ているのであり、いってみればそこには「茶室」のような仕掛けがある、ともいえる。不意におこるその土地へ行きたいという直観には、どうやら従ったほうがいいみたいだ。
さて、22回にわたってお送りしてきたこの「松江、出雲の旅」もそろそろおしまいです(だいだい気も済んだので!?)。一応、念のためお知らせしておくと、実際の旅はたったの二泊三日でした(笑)。呆れつつも忍耐強くおつきあいくださったみなさま、ありがとうございました。

こういってはなんだが、寂れていた。梅雨時の平日の昼下がりといったことを差し引いても、老舗旅館や観光客相手の店がならぶ町並みはあまりにも閑散としている。空き店舗もやたらと目立つ。みじかい旅のなかでぼくが出会った松江、それに出雲がすばらしく豊かな場所だったことを思うと、そのあまりのギャップに戸惑わざるをえない。
松江や出雲ではどこでも-町のまんなかでさえ-、ちょっと手をのばしさえすれば自然の息づかいを感じ取ることができ、その自然の恵みであるふんだんな海の幸や山の幸は旅人の胃袋をみたしてくれた。豊穣のシンボルである大黒さま、つまり大国主命がここ出雲の地に祀られていることはたんなる偶然ではないのだと、この土地を歩くとよくわかる。同時にそこは「茶の湯」の都であり、小泉八雲が愛した素朴な人々が語り継ぐ神話と伝説の都市であることも忘れられない。
にもかかわらず、この豊かな土地であるはずの島根県がどうもけっして「豊か」ではないらしいのだ。じっさい2005年のある調査によると、ここ島根県の「人口減少率」は秋田、青森についで第三位だという。その土地で暮らしてゆけないから若者は仕事を求めて県外へと流出してしまう。結果いよいよ高齢化に拍車がかかり生産力は減衰する。悪循環である。路線バス(市バス)にのって気づいたのだけれど、ここでは高齢者からも運賃をとっている(割引制度はあるらしい)。高齢化が著しい場所ほど、逆に老人福祉が手薄になるという矛盾である。
いまの時代、殺伐とした土地であっても、大きな自動車工場のひとつもあればその土地は「豊か」に潤おう、そういう時代である。そういう時代に生きているのだから、それをむやみに否定してもしょうがない。ただ、すべての価値の尺度をそこに寄せていってしまうということについてはやはり疑問が残る。この目で見て触れた松江、出雲が「豊か」ではなかったとはけっして思えないからだ。乱暴に言えば、「豊かさ」にはたぶん質的な豊さと量的な豊さとがあるのだろう。島根県の「豊かさ」は、「量的な豊さ」こそを「豊かさ」だと定義する資本主義社会にあっては、手のひらですくった水のようにみすみすこぼれ落ちてしまうものなのだ。

茶の湯についてかんがえてみる。それはもともと武士のものだった。信長や秀吉といった戦国時代の武将たち、つまり現代に生きるぼくらよりもずっとシリアスに現実と向き合っていたひとびとが「茶の湯」を愛し、茶人を庇護してきたというのはなんとなく不思議な気がする。生死をかけて権力の座を奪い合う血なまぐさい日常と、「茶の湯」というどこかスローな儀式とのあいだの関係性がいまいち見えにくいからだ。けれども、よくよくかんがえれば「量的な豊さ」を極めようとする武人が、むしろそれゆえ「質的な豊さ」を必要としていたというのは自然なことである。天下をとるような人物は、「量的な豊さ」の有限を知っている。その虚しさを埋めるためにも、おそらく「質的な豊さ」を味わうセレモニーとしての「茶の湯」を渇望したのかもしれない。俗世を離れた極限的に小さな世界でパンパンに膨張した風船のような密度の濃い時間を過ごすことで、「量的な豊さ」に埋没しそうな自分自身をリセットしたのではないか?ちなみに、「量的な豊さ」のみに走る経営者たちの行く末については、ここ最近のニュースをみればおわかりのとおり。
生まれたときにはすでに、わけがわからないまま「量的な豊かさ」を追求する経済原理にからめとられてしまっているぼくらもまた、戦国武将にとっての「茶室」のような仕掛けをたぶん求めている。戦国武将のようにみずから進んでそうしたシステムに飛び込んだわけではないぶん、本当はぼくらのほうがずっとそういう「仕掛け」を必要としているのだ。無自覚なだけに始末が悪い。けっきょく、さまざまな「ストレス」として表面化してはじめて気づくのだ。
静かでおだやかな土地に行きたいと思って松江・出雲へと出かけたぼくは、思えばおなじ理由でフィンランドへも出かけていたのだった。ふたつの都市がもつ波長は、ぼくにとってとても似ている。それは「質的な豊さ」を実感できるという意味で似ているのであり、いってみればそこには「茶室」のような仕掛けがある、ともいえる。不意におこるその土地へ行きたいという直観には、どうやら従ったほうがいいみたいだ。
さて、22回にわたってお送りしてきたこの「松江、出雲の旅」もそろそろおしまいです(だいだい気も済んだので!?)。一応、念のためお知らせしておくと、実際の旅はたったの二泊三日でした(笑)。呆れつつも忍耐強くおつきあいくださったみなさま、ありがとうございました。
ガイドブックというとふつう、旅に出る前にひらくものと相場がきまっている。事前に目的地の情報を仕入れたり、ときには旅の目的そのものをみつけるためひらくことだってある。まさに道しるべ、である。
その一方で、旅に行ってきたひとのためのガイドブックといえるものもある。旅のなかで出会った風景、音や匂いなど五感を介して刻みこまれた記憶が、その土地の印象や理解をぐっと深めてくれる。たとえば、松江、それに出雲を旅してきたひとにぜひ手にとってほしいのは、ラフカディオ・ハーン『新編・日本の面影』である。

これは、日本での日々やその印象をつづったラフカディオ・ハーンの代表作『知られぬ日本の面影』に収められたエッセイを厳選し新たにまとめ直したもので、池田雅之氏の訳文もこなれていてとても親しみやすい。さいしょ手に入れたときは完読できないかななどと思っていたのだけれど、気づけばあっという間に読み終えてしまっていたほど。
五感が研ぎすまされるという感覚は海外旅行にでかけたときなど、ぼくらもまた体験する感覚だが、このときのハーンはまさにそんな感じだったのだろう。あこがれの東洋の島国で見聞きするすべてが、全身が感度のいいアンテナのようになったかれの感覚をビンビンと刺戟しているさまが手にとるように伝わってくる。そしてその理解の深さと洞察の鋭さは、このエッセイをたんなる「見聞録」以上に価値のあるものにしている。読んでるこちらのほうが、「なるほどなぁ」とか「あ、そういうことだったんだ」とか感心さえられることしきりである。
それにもうひとつ、「音」に対する感性がすごい。橋を渡るひとびとの下駄の音、湖を行き来する船の音、虫や鳥の声にひとびとが打つ柏手の音……たぶん日本人であればあまりに「日常」すぎて気にもならないようなさまざまな「音」がここでは確実に拾われ、見事に描写されている。いくらここ日本の話とはいえ百年以上も前の遠いむかしの情景にもかかわらず、やけに生々しく感じられるのはきっと、こうした「音」がぼくらに伝えてくるライブ感のせいだろう。
すべての旅好きのひと、必読の一冊だと思う。
その一方で、旅に行ってきたひとのためのガイドブックといえるものもある。旅のなかで出会った風景、音や匂いなど五感を介して刻みこまれた記憶が、その土地の印象や理解をぐっと深めてくれる。たとえば、松江、それに出雲を旅してきたひとにぜひ手にとってほしいのは、ラフカディオ・ハーン『新編・日本の面影』である。

これは、日本での日々やその印象をつづったラフカディオ・ハーンの代表作『知られぬ日本の面影』に収められたエッセイを厳選し新たにまとめ直したもので、池田雅之氏の訳文もこなれていてとても親しみやすい。さいしょ手に入れたときは完読できないかななどと思っていたのだけれど、気づけばあっという間に読み終えてしまっていたほど。
五感が研ぎすまされるという感覚は海外旅行にでかけたときなど、ぼくらもまた体験する感覚だが、このときのハーンはまさにそんな感じだったのだろう。あこがれの東洋の島国で見聞きするすべてが、全身が感度のいいアンテナのようになったかれの感覚をビンビンと刺戟しているさまが手にとるように伝わってくる。そしてその理解の深さと洞察の鋭さは、このエッセイをたんなる「見聞録」以上に価値のあるものにしている。読んでるこちらのほうが、「なるほどなぁ」とか「あ、そういうことだったんだ」とか感心さえられることしきりである。
それにもうひとつ、「音」に対する感性がすごい。橋を渡るひとびとの下駄の音、湖を行き来する船の音、虫や鳥の声にひとびとが打つ柏手の音……たぶん日本人であればあまりに「日常」すぎて気にもならないようなさまざまな「音」がここでは確実に拾われ、見事に描写されている。いくらここ日本の話とはいえ百年以上も前の遠いむかしの情景にもかかわらず、やけに生々しく感じられるのはきっと、こうした「音」がぼくらに伝えてくるライブ感のせいだろう。
すべての旅好きのひと、必読の一冊だと思う。
さいしょの日に行った島根県立美術館では、ちょうど有元利夫の回顧展「有元利夫-光と色 想い出を運ぶ人」がひらかれていた。

その名前はもちろん、作品も本の装幀やCDのジャケットなどでよく見かけてはいたもののこれまでまとめて観る機会には恵まれていなかった。どれもルネッサンスのフレスコ画を思わせる世界だが、その世界はまたどこかSF的でもある。すべての作品を貫くムードは、「静寂」というよりは「真空」であり「無重力」といった感じ。それにしても、いくら平日の夕刻とはいえ、だだっ広い展示室にはぼくら以外だれもいない。完全な貸し切り状態、ぜいたくといえば、ぜいたくだが……

会場には、ところどころ有元が遺したエッセイなどからの一節が抜粋して紹介されているのだが、そのなかにこんな一文をみつけた。それは、彼の絵画のなかでよく人物や花が「臆面もなく」宙に浮いていることに対して彼なりに解釈をほどこしたもので、それを彼は「エクスタシーの表現」だと言う。そしてその一節はこうしめくくられていた。
どうせ浮ぶとなれば、青い空に白い雲。
切り取られたある一節だけとりあげてああだこうだと言うことはそもそもがまちがいだが、時間からも空間からも解き放たれた無我の状態、そのもっともピュアな姿を青い空に浮ぶ白い雲に有元は「みた」のではないか。そういえば、かれの作品に描かれる雲、いびつなひし形がななめにずれながらいくつか折り重なったような独特のフォルムをもつ雲もいままさに刻々と姿を変えているそのさまを描いているようで、一見とても「静的」な印象のあるかれの作品に通奏低音のようなリズムをこっそりもたらしている。
そのときぼくは、飛行機のなかで読んでいた『茶の本』に登場するタオの老人の話をかんがえていた。「天にも地にも属さないために天地の中間に住んでいた」という老人の話だ。そうか。それが「天」であれ「地」であれ、なにかに属するということは、その「属すること」と引き換えに「重力」をもつということでもある。
有元利夫の絵、ひとの生活と自然とのあたかも「波打ち際」のような松江という土地、空と海とが溶け合い、この世とあの世とが交感する出雲、葦原中国(あしはらのなかつくに)と神話にいわれるこの日本の土地……
今回の旅を方向づけたのは、思えば、「どうせ浮ぶとなれば、青い空に白い雲」というこのちょっと詩的な一節だった。「あいだ」や「中間」や「境界」や「際(きわ)」をそこかしこに「発見」し、そのつど「重力」から解放されてゆく旅。呼ばれて、よかった。


その名前はもちろん、作品も本の装幀やCDのジャケットなどでよく見かけてはいたもののこれまでまとめて観る機会には恵まれていなかった。どれもルネッサンスのフレスコ画を思わせる世界だが、その世界はまたどこかSF的でもある。すべての作品を貫くムードは、「静寂」というよりは「真空」であり「無重力」といった感じ。それにしても、いくら平日の夕刻とはいえ、だだっ広い展示室にはぼくら以外だれもいない。完全な貸し切り状態、ぜいたくといえば、ぜいたくだが……

会場には、ところどころ有元が遺したエッセイなどからの一節が抜粋して紹介されているのだが、そのなかにこんな一文をみつけた。それは、彼の絵画のなかでよく人物や花が「臆面もなく」宙に浮いていることに対して彼なりに解釈をほどこしたもので、それを彼は「エクスタシーの表現」だと言う。そしてその一節はこうしめくくられていた。
どうせ浮ぶとなれば、青い空に白い雲。
切り取られたある一節だけとりあげてああだこうだと言うことはそもそもがまちがいだが、時間からも空間からも解き放たれた無我の状態、そのもっともピュアな姿を青い空に浮ぶ白い雲に有元は「みた」のではないか。そういえば、かれの作品に描かれる雲、いびつなひし形がななめにずれながらいくつか折り重なったような独特のフォルムをもつ雲もいままさに刻々と姿を変えているそのさまを描いているようで、一見とても「静的」な印象のあるかれの作品に通奏低音のようなリズムをこっそりもたらしている。
そのときぼくは、飛行機のなかで読んでいた『茶の本』に登場するタオの老人の話をかんがえていた。「天にも地にも属さないために天地の中間に住んでいた」という老人の話だ。そうか。それが「天」であれ「地」であれ、なにかに属するということは、その「属すること」と引き換えに「重力」をもつということでもある。
有元利夫の絵、ひとの生活と自然とのあたかも「波打ち際」のような松江という土地、空と海とが溶け合い、この世とあの世とが交感する出雲、葦原中国(あしはらのなかつくに)と神話にいわれるこの日本の土地……
今回の旅を方向づけたのは、思えば、「どうせ浮ぶとなれば、青い空に白い雲」というこのちょっと詩的な一節だった。「あいだ」や「中間」や「境界」や「際(きわ)」をそこかしこに「発見」し、そのつど「重力」から解放されてゆく旅。呼ばれて、よかった。
