
2002年の7月、「moi」を荻窪にオープンしたときぼくはウェブサイトに、一杯のコーヒーは
「生活にとっての句読点のようなもの」
と書いた。
仮にこの世の中に「句読点」が、つまり「、」や「。」が存在しなかったとしても、ぼくらは文章によってコミュニュケーションすることはできる。じゃあ、「句読点」なんて不必要なんじゃないかと問われれば、あるいはそうかもね、と答えることだろう。と同時に、それについてはぼくはこんなふうにもかんがえる。なくてもいいけど、でもあったほうが全然いいものなんじゃないかな?、 と。
なんだか理屈っぽくなってしまったけれど、ぼくはこの「句読点」をそのまま「カフェ」、あるいは「一杯のコーヒーとともにカフェですごす時間」と言い換えてもかまわないんじゃないかと思っている。カフェもまた、なくてもかまわないが、でもあったほうが全然いいもの、だからである。
ところでこれはちょっとした愚痴と思って聞いてほしいのだが、残念ながら、ぼくの暮らす東京でカフェを取り巻く状況は相変わらず厳しい。まずは「不必要」と思われるものから削ってゆく、そんなとき、お茶をする時間(そして、お金)はいちばん最初に削られる対象であり、いちばん最後になってようやく戻ってくるものであるらしい。「句読点」を削ってもとりあえず文章は成立するから・・・。そんな論理の下、こうして生活から「句読点」が消えてゆく。
「句読点」を欠いた生活はしかし、それを欠いた文章とおなじで味気なく、息苦しい。旅行や大きな買い物は文章にたとえれば段落を変えるようなもので、一時的なリセットになったとしてもまた「句読点」のない生活がつづけば呼吸困難になるのはあきらかである。べつにコーヒーである必要はないけれど、風通しよく生きるためにほんとうに必要とされているのは「段落を変える」ことではなく、日々の暮らしのなかに適当なタイミングで「、」や「。」を打つことなのだ。ぼくはそう思っている。
そしてだから、それでもぼくはカフェをやっている。
ヘルシンキという街は、ぼくに言わせれば、「句読点」のもつ意味を知っているひとびとが暮らす土地である。街のそこかしこに、生活に精妙なリズムをもたらす「句読点」がある。都市の真ん中に、ちょっとひと息つくのにうってつけの公園があり、森があり、水辺がある。そしてもちろん、カフェがある。
白状すれば、ぼくはフィンランドで飲むコーヒーの味は好みではない。でも、フィンランドのカフェで、そこに暮らすひとびとに混じってコーヒーを飲む時間がとても好きだ。機能的なもの、合理的であることを重んじるはずのフィンランドのひとたちが、「時間がないんだから省いちゃえ!」とはならずに、あのように足繁くカフェに入りコーヒーをすすっている姿は意外でもある。かれらの合理的な発想の裏側に、一見「無用」とも思えるカフェですごす時間があったのか!、そんな感じである。
今回のフィンランドの旅でぼくは15、6軒ほどのカフェに入り、そこで思い思いの時間をすごすひとびとを眺め、また黙々と仕事に打ち込むひとびとの姿をみた。それはまた、ぼくにとってはなんともしあわせで、また眩しい光景だった。そしてそんな光景を眺めながら、
「この仕事もなかなか捨てたもんじゃないな」
なんて、性懲りもなく相変わらず食えないことをかんがえていたりするのだった。
さてと、
なんとなく切り上げるタイミングをつかめないままだらだらと続けてきたこの旅行記ですが、とりあえずこのあたりで(いい加減)終わりたいと思います。いつもながらお付き合いくださいましたみなさま、どうもありがとうございました!
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ヘルシンキのクルーヌンハカ。時間つぶしに雨の中、ひとりでぶらぶら散歩していて出くわした小劇場。
ぱっと見は地味なのだけれど、よく見るとたくさんの「色」が絶妙に配分されていて思わず「きれいだなぁ」と呟きながらシャッターを切った。カメラを持っていないときにはたぶんけっして目に飛び込んでこないかもしれない風景。

トゥルクの大聖堂。
なんとか「侵入」できないものかと(ことの次第→●)、建物の周囲をぐるぐる歩いていて発見したのがこの壁に埋め込まれた石碑だ。ラテン語? もちろん読めないが、歴史の重みだけはぼんやり感じられた。

こちらもトゥルク。駐車場の壁の、ずいぶんと高いところに貼られていたステンシルっぽいポスター。塀によじ登って片手で撮影。写真を撮りたいがどうにも恥ずかしいというときは、心のなかで「旅の恥はかき捨て、旅の恥はかき捨て」と念仏のように唱えることにしている。
破れっぷりがステキ。

アルヴァー・アールトの設計によるトゥルン・サノマット(トゥルク新聞)の本社ビル。引きで撮ってもあまり面白くないので(シロウト的には)、あえて変な角度から撮ってみた。
愛嬌のない、古ぼけたビルにしか見えないのだけれど、設計されたのが1928年から29年にかけてと聞けばビックリする。だって、80年前だよ! 昭和4年! あのやたらとドッシリした造りのヘルシンキ中央駅の駅舎が完成したのが1919年なわけだから、当時のひとびとの目にトゥルン・サノマットのある意味「色気」のない建物はどんな印象に映ったことだろう。
ところで散歩の途中、偶然みつけたのがこの瀟洒なホテル↓。

もともとはイギリス人実業家の邸宅として建てられ、80年代からホテルとして使われている(とホテルのウェブサイトには書かれている)。そして1920年代にはアルヴァー・アールトがここに事務所を構えていた時期もあったようだ。こんなチャーミングな空間の中であんな過激なプロポーションの建物を構想するというのは、やっぱり先進的な感覚をもったひとなのだろう。一般的には、この作品をプロローグにして、つづく「パイミオのサナトリウム」で一気にアールトの「個性」が爆発すると言われている。
それはそうと、なんとかならないかと思うのはアールト建築のトイレの問題(男子の小のほう)だ。
といっても、じっさいぼくが入ったのはフィンランディアタロとアカデミア書店のあるビルくらいなものだが、(小)便器どうしの間隔があまりにも狭いので便器はあるのに並んで使用することができないのだ。フィンランディアタロでコンサートを聴いたときには、休憩中律儀にひとつおきに使用していて行列ができているのだった。仮に便器が6個並んでいたとすると、3個しか使えないということ。だったら最初から4個にすればいいのにという話なのだが。さすがに相手がアールトともなると、「あのぅ、先生、便器の間隔がちょっと・・・」なんて言えなかったのだろうか?

世界最小のアールト建築。
ヘルシンキの中心部、エロッタヤ(Erottaja)にポコッと建つ地下入り口である。奥行きはそこそこあるものの、正面からみるとご覧のとおり、ひとが一人通れる扉が三つ並んだだけのコンパクトさ。
60年代初頭にアルヴァー・アールトのアトリエではたらいた経験をもつ武藤章『アルヴァ・アアルト』 (鹿島出版会)によると、「冬戦争」直後の1940年におこなわれた地下防空壕のコンペで一等を穫ったプランだそう(実際に完成したのは1951年)。
おなじ本によれば、このときのアールトの案は
広場の地下に防空壕を設け、その入口を交通分離帯の中におき、しかも入口の周囲をガラス張りにすることによって交通機関の視野を妨げないようにする
というものだった。

↑一見気づかなくても、ちょっとしたディテールが紛れもなくアールト。
現在は地下駐車場の入り口となっているため利用者以外なかに入ることはできないが、地下がちょっとした商店街のようになっていた時代もあるようだ(その当時の入り口はこちらのブログで見れます→●)。かつては防空壕の一角が「公衆便所」として利用されていたようで、先ほどの本にはおもいっきり「地下の公衆便所の入口」と紹介されている。
ぼくらは、ここに車を停めていたえつろさんにくっついて地下の駐車場まで下りることができた。地下鉄の駅とおなじく、いざというときにはいまでも「シェルター」として活用される。もちろん、そんなことにはけっしてなりませんように。


いまはなきヘルシンキのカフェ、MUUSA (ムーサ)。当時ヘルシンキに暮らしていた建築家の関本竜太さんが、「とっておきのカフェ」と言ってこっそり教えてくれたのがここだった。
おばちゃまがひとりで切り盛りするこじんまりとしたカフェだったが、カウッパトリ(マーケット広場)のすぐ目と鼻の先という位置ながらほとんど観光客の目には留まらないという絶妙のロケーションで、地元のひとびにとってはちょっとした「隠れ家」として愛されているようだった。
その後、映画「かもめ食堂」の特典DVDでも小林聡美さんが(森下圭子さんのおすすめということで)紹介していたので、知っている方、あるいは実際に行かれた方もいるにちがいない。上の写真はぼくが行った、たしか2004年か05年に撮ったもの。どうやら2007年にクローズしたらしい。

MUUSAがすでにないことは知っていたのだが、Kirje kahvila(キリエカハヴィラ)までがなくなっていたのには正直ショックをうけた。
じつはなにをかくそう、カフェとポストカードショップを併設した空間という点でいまのモイをつくるときイメージをふくらますうえで参考にしたのが、かつてヘルシンキ中央郵便局(Posti)の一角にあった「手紙カフェ」という名前のこのカフェだったのである。取材のときなどよく、「ヘルシンキの中央郵便局に『手紙カフェ』というのがありまして」なんて説明していたのだが、、、これからは「過去形」で話さなくてはならないようだ。
上の写真は現在のものだが、かろうじてWayne's Coffeeのコーヒーサーバーが設置されているものの、残念ながらかつての面影はまったくないといっていい。それにしても、Waynes(←フィンランド人は何と発音するのだろう? ヴァユネス? それともふつうにウェインズ?)のヘルシンキにおける増殖ぶりはここ数年さらにエスカレートしているようだ。個人的には、そんなに面白い話ではない。
ところで、かつて「MUUSA」があった場所には、いまべつのカフェができている(↓写真)。強い風と冷たい霧雨を避けて逃げ込んだそこは、KULMA KAHVILA(クルマ・カハヴィラ)という、兄サンが一人で切り盛りする店だった。
四年も経てば、世の中いろいろ変わるのはいたしかたないこと。フィンランドだってまた例外ではないのだ。

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雨のイソロバ。
Iso-Robaとは、Iso-Roobertinkatuという「通り」の通称。真ん中がちょっとしたプロムナードのようになっているとはいえ、エスプラナーディのような華やぎ? を欠いたごくごくふつうの商店街。そんなとりわけスペシャルじゃない感じが気に入って、ゴールデンウィークの映画イベントではタイトルとしてこの「イソロバ」という名前を拝借したのだった。街角にさりげなく佇むちいさなシネクラブ、そんなイメージだ。
関係ないけど、「メリー・ポピンズ」のことをフィンランドでは「マイヤ・ポッパネン」って言うんですね。

車に乗り込もうとするひと。
20世紀初頭の「ユーゲント・シュティール」の建物が並ぶカタヤノッカやエイラ、クルーヌンハカあたりは、ぶらぶらたてものを眺めながら散歩しているだけで楽しいエリアだ。日本語版はなかったけれど、インフォメーションに行くとそんなヘルシンキ市内のユーゲント・シュティールを紹介する建築マップも配布されている。

この柵の感じ・・・。学校、なんでしょうね。子供たちの気配が感じられないのはもう夏休みだから。

肉屋のトラック(たぶん)。グッドデザインです。無骨なはずなのに、街にしっくりなじんでいる。

シルタサーリ。このおだやかな眺めが好きで、いちど水辺にたつホテルに宿泊してみたいと思うのだが予算オーバーでまるっきり無理。せめてベンチに腰掛けて、のんびり本など読んで過ごしたいもの。とはいえ、じっとしているのがもったいない、そんな旅人にはそれもなかなか難しいというのが現実だったりするのだが。

公園の片隅のキオスキは、夏だけオープンするこじんまりとしたカフェになっている。イナタいけどやたら落ち着く。ここはいろんな意味でオープンなカフェ、なのだ。
ちなみにここの公園、地元のひとびとが日々丹精こめて手入れをしているおかげでヘルシンキの他のどこよりも一年中きれいな花々を咲かせるのだと教えてくれたのは、映画『かもめ食堂』のアソシエイト・プロデューサーとしてもおなじみの森下圭子さん。なるほど、ちいさいけれど、こんなにもみんなから愛されている、なんてしあわせな公園なのだろう。

雨のイソロバ。
Iso-Robaとは、Iso-Roobertinkatuという「通り」の通称。真ん中がちょっとしたプロムナードのようになっているとはいえ、エスプラナーディのような華やぎ? を欠いたごくごくふつうの商店街。そんなとりわけスペシャルじゃない感じが気に入って、ゴールデンウィークの映画イベントではタイトルとしてこの「イソロバ」という名前を拝借したのだった。街角にさりげなく佇むちいさなシネクラブ、そんなイメージだ。
関係ないけど、「メリー・ポピンズ」のことをフィンランドでは「マイヤ・ポッパネン」って言うんですね。

車に乗り込もうとするひと。
20世紀初頭の「ユーゲント・シュティール」の建物が並ぶカタヤノッカやエイラ、クルーヌンハカあたりは、ぶらぶらたてものを眺めながら散歩しているだけで楽しいエリアだ。日本語版はなかったけれど、インフォメーションに行くとそんなヘルシンキ市内のユーゲント・シュティールを紹介する建築マップも配布されている。

この柵の感じ・・・。学校、なんでしょうね。子供たちの気配が感じられないのはもう夏休みだから。

肉屋のトラック(たぶん)。グッドデザインです。無骨なはずなのに、街にしっくりなじんでいる。

シルタサーリ。このおだやかな眺めが好きで、いちど水辺にたつホテルに宿泊してみたいと思うのだが予算オーバーでまるっきり無理。せめてベンチに腰掛けて、のんびり本など読んで過ごしたいもの。とはいえ、じっとしているのがもったいない、そんな旅人にはそれもなかなか難しいというのが現実だったりするのだが。

公園の片隅のキオスキは、夏だけオープンするこじんまりとしたカフェになっている。イナタいけどやたら落ち着く。ここはいろんな意味でオープンなカフェ、なのだ。
ちなみにここの公園、地元のひとびとが日々丹精こめて手入れをしているおかげでヘルシンキの他のどこよりも一年中きれいな花々を咲かせるのだと教えてくれたのは、映画『かもめ食堂』のアソシエイト・プロデューサーとしてもおなじみの森下圭子さん。なるほど、ちいさいけれど、こんなにもみんなから愛されている、なんてしあわせな公園なのだろう。