北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

2017/07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017/09

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 最高気温16度、うっかりすると年の瀬ということすら忘れてしまいそうなポカポカ陽気の中、大山の板橋区立文化会館へ向かう。「柳家小三治独演会」。ことし初。去年とはうってかわり、この時期になってようやく小三治師匠を聴ける。

 小三治師匠の「独演会」は、まず弟子(ときには一門の二つ目)が開口一番をつとめ、その後、中入りを挟んで一席ずつというのがデフォルト。開口一番に登場したのは、三番弟子のはん治師匠。旅のまくらから、三枝(当代の文枝)師匠がつくった『妻の旅行』へ。夫とその息子の会話だけなのに、ありありと「モンスター妻」の姿が浮かび上がってくるおかしさ。定年後、妻の顔色をうかがいながら日々を過ごす気の毒な夫が、はん治師匠の姿と重なっておかしさも倍増。
 ところで、三枝、はん治、小三治という3つの名前を聞いてまずまっさきに思い出されるのは、三枝師匠が六代目文枝の名前を襲名する折、小三治師匠が寄せたお祝いのコメントのこと。落語家としての先行きに悩んでいた自分の弟子のひとりが、ある日、三枝師のつくった噺と出会ったことでふたたび自信をつけ、いまもひとりの落語家として歩んでいることへのそれは心温まる感謝のことばであった。

 はん治師みずから高座返しをし、いよいよ小三治師匠の登場である。目の不自由なひとにまつわるエピソードから、差別用語を使わなければ差別もなくなるとかいえばそういうわけじゃない、日頃からコミュニュティーの一員として接することこそ大事なんじゃないだろうかと『錦の袈裟』に入る。そうそう、そうなのだ、しっかり者のおかみさんがいる与太郎が、町内の若い衆と一緒に繰り出した吉原でちょっといい思いをするこの噺は、滑稽なだけでなく、江戸の隅っこに存在する〝長閑なユートピア〟を舞台にしたあったかいエピソードなのだ。聴いていてぬくぬく気持ちがいい。翌日、法事の席で〝錦のふんどし〟を付けた和尚の様子までが思い浮かぶ。

 中入り後、時間の関係か、まくらもそこそこに『初天神』。金坊の押し付けあいに敗北したおとっつぁん、やむなく初天神でにぎわう神社へと金坊を連れてゆくのだが、ことあるごとに「(おかみさんが)羽織をモタモタ出しやがるから」と繰り返し愚痴るのがおかしい。フリーダムな金坊は当然言うことをきくはずもなく……。
 団子屋でおとっつあんの真似をする金坊、おねだりの〝知恵〟を授けるしたたかな凧屋のおやじ、次から次へと繰り出される祭りの日ならではの賑やかなエピソード。でもやはり、なんといっても小三治師の「初天神」は、金坊そっちのけで凧揚げに夢中になってしまうおとっつぁんに尽きる。純真無垢というか、まさにこの親にしてこの子あり。サゲまで行かず途中で切られてしまうことの多い、またそれで十分に楽しい噺ではあるけれど、やはりこの凧揚げのくだりまで行ってこそ〝一卵性父子〟の面白さが伝わるのだなァ。

 ♪いいな、いいな、人間っていいな… ふつうに人間を描きながら、いやだからこそ、噺の末端にまであたたかい〝ひとの血〟が通っている。小三治師匠の落語を聴いた後は、たとえそれがどんな噺でも、心にぽっとあたたかい気持ちを灯しつつ家路につくことのできる安心感。ぼくにとって〝小三治落語〟がスペシャルな理由は、そこにある。

ーーーーー

2015年12月22日

大山・板橋区立文化会館

ーーーーー

◎柳家はん治『妻の旅行』
◎柳家小三治『錦の袈裟』
〜中入り〜
◎柳家小三治『初天神』


 
スポンサーサイト
ひさしぶり、番組が3部制になってからは初の連雀亭。「ワンコイン寄席」は、時間が繰り上がって11時30分からの60分となった。少ない休日を有効活用できるのでありがたい。そしてきょうは、落語協会所属の二ツ目3人による落語会。

◎柳家ろべえ「もぐら泥」

こんなに入っている連雀亭は初めて見た、とろべえさん(たぶん20名以上の入り)。いつも自分が出るときはつばなれがやっとなのに、みんなつる子めあてなんでしょうとお客さんへのぼやきから、縁起がいいとされるドロボウのまくらへ。ぼやきながらも、二ツ目に昇進したばかりのつる子さんにちゃんとエールを送るいい先輩。

「もぐら泥」。店の主人と、縁の下で身動きがとれなくなった泥棒。そのやりとりを、カメラが切り替わるように交互に繰り返すやりとりが楽しい。周囲を気にしながら塀の下を掘っているときのしぐさは、どうしてなかなか堂に入っている。いっぽう、凄んだり哀願したり、捕まってからの必死の様子も滑稽だ。泥棒なのに、なんだかあまりにも可哀想でつい味方してあげたくなってしまう噺である。それにしても、ろべえさんを聴いていると、つくづく喜多八師匠のことが好きなんだなぁと感心してしまう。師匠の得意ネタをしっかり受け継ぎつつ、さらにそれがろべえさんの噺に変化していったら「殿下」としても安心、盤石の師弟関係といえそう。

◎古今亭始『時そば』

最近ミスiDで特別賞を獲ったつる子さんから、応募にあたっては色々と相談を受けたという始さん、受賞したのはある意味自分のおかげと恩を着せる。「時そば」。ひさしぶりに始さんを聴いたのだけど、相変わらずの安定感。とくに、ペラペラと愛想を述べる男の調子のいいこと! 対する、それを真似する男は「川越生まれの小江戸っ子」。ただ「『時そば』を聴いた」というよりも、ちゃんと「始さんの『時そば』を聴いた」という感じ。型は崩さないがどこか弾けてる、そこが始さんの魅力かもしれない。

◎林家つる子『壺算』

先輩から散々まくらでいじられたつる子さん、始さんとろべえさんは落語協会のオシャレ番長ツートップと持ち上げ、アドバイスが受賞に導いたのかもとその貢献を認めながらも、「つくづく賞金のない賞でよかった」としれっと逃げてみせるあたりうまい。ある落語会でのこと、開口一番で「子ほめ」をかけていたら後の出番の演者が遅れているため引き延ばすようにとの指示が出た。考えた挙句、「子ほめ」の赤ん坊の名前を「寿限無」ということにしてそのまま続けて『寿限無』に入ってなんとか急場をしのいだとのこと。そんなつる子さんは、落語を聴いていて、ある噺の登場人物とべつの噺の登場人物がもしかしたら同一人物なんじゃないか、とふと思うときがあるという。そして、(前のネタを受けて)「時そば」の男はきっとこの男と同じなんじゃないだろうかと『壺算』へ。なるほど、考えたこともなかったけれど言われてみれば……。『壺算』の男も、「買い物上手」というよりは、数字を巧妙に弄んだイタズラだもんね。初めて聴く噺家さんなのでよくわからないとはいえ、こういうつる子さんの想像力は、たとえば新作をつくったりする際にも武器になったりするのではないか。目のキョロっとした愛くるしい顔で表情たっぷりに演じるのも、自分の武器をちゃんと知っている証拠。クレバーなひとである。

先輩二人が新二ツ目に花をもたせ、新二ツ目もしっかりそれに応えてみせる、そんな趣のなごやかな会だった。

ーーー

2015年12月16日

神田・連雀亭ワンコイン寄席

ーーー

◎柳家ろべえ『もぐら泥』
◎古今亭始『時そば』
◎林家つる子『壺算』

8月のあたま以来なので、なんと3ヶ月半ぶりにナマで聴く落語。単純に聴きたいと思う落語会と自分のスケジュールが合わなかったということもあるが、じつはここのところ気の塞ぐようなことが多く、こういうときにこそ落語を聴きたいと思う反面、なんとなく気分がのらないということもあってすっかり時間があいてしまったのだ。でもいい加減、ここはひとつ無理やり羽交い締めにしてでも笑わせてくれるような落語が聴きたいと思っていた矢先、鈴本演芸場11月下席の番組表が目にとまった。

特別企画公演|喬太郎 ハイテンション 高カロリー

コレしかないでしょ。

上野駅そばのイアコッペでごはんを調達し、開場15分ほど前に到着したらすでに数十人の行列ができていた。このなかには、ぼくのような心持ちの人間も幾人かはいるのだろうか。

ここのところ不思議とよくあたる圭花さんが開口一番。「道灌」。そつがない。ご隠居がなにか言うたびいちいち混ぜっ返す、そのテンポがいい。それはそうと、相変わらず青々とした丸坊主だけど二ツ目になったら伸ばすのかな。

左龍師匠「家見舞」。さすがに手堅い。そして、江戸っ子二人組の兄貴分、けっこう食べちゃうんだね。その後、お腹の具合は大丈夫だったかな。お勝手にいるらしい兄ィの「おっかさん」にときおり話しかけるのだが、それがいい。新築の家に奥行きを感じさせるのだ。

奇術うんぬんというよりも、すでに「アサダ二世」というひとつの確立された「芸」なのではないか。ふつうに自宅の近所の様子をおしゃべりしてるだけなのに、すでになんともいえず胡散臭いのだから。

新「二ツ目」のお披露目。駒松改メ金原亭馬久(ばきゅう)。持ち前のいい声でおめでたく「厄払い」を。ちなみに、「馬久二(ばくに)」という先代馬生の気に入っていた名前から「二」を取ったのが名前の由来とのこと。

ちょっと予想外というか、一朝師匠「宗論」がこんなに可笑しいとは思わなかった。耶蘇教にかぶれた倅の調子も変なのだが、それ以上に旦那の叫ぶ「馬鹿ーッ」という甲高い声がもうたまらない。いままで聴いた「宗論」のなかでも抜群。

「若手」とはいえ、寄席育ちの自在さというか、ときにはしたたかさすら感じさせるホンキートンク。関係ないが、漫才コンビのボケツッコミの立ち位置ってべつに決まりがあるわけじゃないんだな。いまさら気づいた。

この後、仲入り前に天どん〜白鳥と円丈師匠の弟子がつづく。トリの喬太郎師匠も、新作、古典の〝両刀使い〟なのでどんなネタをもってくるかわからない。さて、こんなとき天どん師匠はどういうネタをかけるのだろう、興味津々で眺めていると、「わりと珍しい噺をやりますよ。珍しいってことはあんまり面白くないってことだからね」と断っておいて「肝つぶし」に入る。この流れで、新作でも、かといって手垢のついた古典でもなく、こんなちょっと渋めの噺をもってくるあたり新作派と思わせておいてじつは「落語マニア」の天どん師匠らしい。さりげなくこういう〝仕事〟ができるからこそ、このひとは仲間から愛されているのだろうなァ。キラリと光る采配。

弟弟子がいい感じに場をならしてくれたので、当然のごとくやりたい放題の白鳥師匠なのであった。自作の「ナースコール」でもおなじみのミドリちゃんが、今回は就職記念にと自由が丘出身の大学の先輩を歌舞伎町のホストクラブへと招待する。イケメン相手にいい感じに盛り上がっているところに自称「江戸っ子」の「お大尽」マダムが登場、ふたりの邪魔をする。このマダム、「江戸っ子」というのは真っ赤な嘘で、じつは千葉県の「内房」出身。泥酔して正体をあらわしたマダムは、埼玉県出身のミドリちゃん、そして千葉県の「外房」を攻撃しはじめる。すると、突然なぜか自由が丘出身のはずの先輩が怒り出し……。菜の花体操やMAXコーヒーが飛び出す、なるほどこれが噂にきく「千葉棒鱈」か。

仲入り後、まずは太神楽曲芸の翁家社中。小楽、和助ふたりで登場。芸はいままでとなんら変わらないし、むしろふたりになったぶん苦労もあったりするのかもしれないが、まだ和楽師匠が存命だったころの3人組の印象が強いせいか舞台の上がなんとなく寂しい。小花さんは一緒にやらないのかな。

文左衛門師匠がやる「千早ふる」の演出はちょっと変わっている。歌の訳(わけ)を尋ねる相手が、よくある「ご隠居」ではなく「兄ィ」なのだ。ちょっと「手紙無筆」みたい。いたずら心からテキトーなことを教える「ご隠居」に対し、見栄っ張りの「兄ィ」はというと知らないくせに「知らない」とは言えない。苦し紛れにテキトーなことをひねりだす「兄ィ」のキャラは、いかにも文左衛門師匠に似合う。そして、「千早ふる〜文左衛門バージョン」のサゲはおなじみ「(「とは」の意味は)◯◯にまかせた!」と後の出番の演者に丸投げするパターン。きょうはもちろん「喬太郎にまかせた!」

紙切りの二楽師匠。開口一番、「『とは』の意味には触れないでいいと楽屋で確認をとってきました」と笑いをとる。リクエストのお題は、「申(さる)」と「春画」。「触れないでいい」と言われても、ちゃんと後につなげる律儀さはさすが。

喬太郎師匠、いつになく髪が伸びている。忙しくて床屋に行く暇がないのかな? などと余計なお世話。旅先で出会った味、ホッケの刺身、秋田の「オシャレそば」……そんな旅にまつわるマクラから「抜け雀」へ、と思ったら、なんだか様子がちがう。文無しの絵師が描くのは、おなじく文無しの表具師が置いていった衝立ではなくて、土管。絵も「すずめ」ではなく、「はんぺんみたいな、水餃子みたいなもの」。翌朝、近所の人たちが大騒ぎする声で目覚めた旅籠の主人は、そこになんと土管から抜け出た二次元怪獣「ガヴァドン」の姿を発見するのだった。えーーーーっ!?「抜けガヴァドン」!?自分は「ウルトラマンとゴジラと赤塚不二夫、横溝正史、都筑道夫、そしてつかこうへいで出来ている」(『ラジカントロプス2.0』出演時のコメントより)と公言する喬太郎師匠の真骨頂といってしまえばそれまでだが、「抜け雀」という名人もののバリバリの古典落語と、子供たちのいたずら書きが怪獣に実体化してしまうウルトラマンのエピソードをつなげてしまうその卓越したアナロジーの才、やっぱりこの師匠は「天才」だ。そればかりではない、噺の途中おかしなくすぐりがちょこちょこ挟まるなと思っていたら、なんと最後にそれが「千早ふる」の歌の訳(わけ)として完成するというミラクル!!ヒザ前の文左衛門師匠の高座からわずか30分弱でこれを考え、しかも噺の中に入れ込むなんて!!ウルトラマンのポーズを決めて「トワッ!!」って……もう最高、降参です。

ーーー

2015年11月24日

上野・鈴本演芸場11月下席夜の部「特別企画:喬太郎 ハイテンション 高カロリー」

ーーー

開口一番 柳家圭花「道灌」
◎柳亭左龍「家見舞」
◎アサダ二世(奇術)
◎祝二つ目昇進〜金原亭駒松改メ馬久「厄払い」
◎春風亭一朝「宗論」
◎ホンキートンク(漫才)
◎三遊亭天どん「肝つぶし」
◎三遊亭白鳥「千葉棒鱈」

〜お仲入り〜

◎翁家社中(太神楽曲芸)
◎橘家文左衛門「千早ふる」
◎林家二楽(紙切り)
柳家喬太郎「抜けガヴァドン〜千早ふるver.」


img079.jpg
 遠くにある台風の影響か、ときおり大粒の雨がバラバラっと落ちてくる。ふだんなら、四ツ谷駅から麹町を抜けて国立演芸場のある隼町まで歩いてしまうところだが、怪しげな空模様に負け地下鉄で永田町まで。ところが、いまひとつJR四ツ谷駅の構造が頭に入っていないため、南北線への乗り換えに手間取ってしまう。余裕をもって出たつもりが、二番太鼓にうながされ、けっきょく汗の引くのを待つ間もなくいそいそと客席へ。

 応援していた噺家が真打に昇進するというのは、こうも嬉しいものなのか。夢吉改メ二代目夢丸師匠の披露目に足を運ぶのも、浅草、池袋につづきこれで3回目。その〝目出度さ〟に便乗したい、そんな気分もある。そのうえ、きょうの顔付けは個人的にツボなので期待も大きい。
 まず、開口一番に登場したのは今いちさん。初めて聴く前座さんである。落語協会とくらべると、落語芸術協会の前座さんたちは総じてフリーダムな印象があるけれど、どうやら新作派の方らしいこの今いちさんからもそんな印象を受ける。でも、噺のほうは「初天神」を手堅く。

 ずっと気になっているのに、どういうわけかタイミングが合わずなかなか聴く機会に巡り会えない、そんな噺家が何人かいる。そのひとりが小痴楽さんだったのだが、ようやく聴けた。小痴楽さんは、二ツ目にしてすでに〝スタイル〟をもったひとである。それは、自分の個性をじゅうぶん理解した上で、その個性がより輝くようなネタを選んでいるからにちがいない。要は、〝センスがいい〟のだ。「強情灸」。その〝がらっぱち〟な雰囲気が、いかにも「江戸っ子らしい」。「いかにも…」というあたりがインチキ臭く、また可笑しい。「祇園祭」や「大工調べ」も得意としているようだが、さぞかし面白いにちがいない。
 続いて、鯉橋師匠が高座にあがる。数年前、同じここ国立演芸場で真打昇進の披露目をみたのがなつかしい。「牛ほめ」。鯉橋師匠の与太郎は、とても愛らしい。父親から「ほめ言葉」を教わるときだって、ちゃんと真剣に覚えようとするのだ。とはいえ、最後には結局こんがらがっちゃうんだけれどね。ところで、この鯉橋師匠はじめ、芸協の若手はなかなかの層の厚さだ。ほかにも、小助六師匠、夢丸師匠、二ツ目だと小痴楽さん、宮治さん、前座で音助さん、鯉んさん…… もっと聴いてみたいと思わせる噺家が何人もいる。彼らにもっと出番が増えれば、寄席のお客さんもぐっと若返るんじゃないだろうか。

 ウワサの東 京丸・京平師匠の漫才も初聞き。「ウワサの…」というのは、「ラジカントロプス2.0」というラジオ番組にナイツのふたりが出演したとき、このベテラン漫才師にまつわる抱腹絶倒のエピソードを披露していたからである。漫才を観ながら、いちいちそれを思い出して笑いが止まらなかったのだが、横で口の悪いおばちゃんが「なに、このヘタクソな漫才!」などとおもいっきりdisっていたので気が気でなかったです…。おばちゃんのご機嫌が直ったのは、入院中の歌丸師匠に代わって登場した文治師匠の「源平盛衰記」のおかげ。横目でのぞいたら、プログラムの文治の名前に大きく「◯」がつけられていた。「源平盛衰記」というと、まっさきに思い出すのはYouTubeでみた先代の三平師匠の高座。お客に、「このひとは一生懸命『源平〜』を語ろうとしてる」と信じさせてしまうところが三平師匠のクレバーなところである。必死に語ろうとしているのに、油断するとつい脱線しちゃう面白さ。「源平盛衰記」がそのじつ漫談でありながら、あくまで「源平盛衰記」であって「漫談」といわれないのは、ひとえにその点につきるのではないか。
 賑やかな文治師匠の後は、五代目圓楽一門会会長の三遊亭好楽師匠が登場し、仲入りを勤めた。こういうおめでたい席では、芸が「化ける」ようにと縁起をかついでおばけの噺をしたりするというマクラから、「三年目」。鶴瓶師匠のときも思ったのだが、テレビで顔の売れている落語家はみんないい着物をきている。好楽師匠の着物も、素人の目にもわかるくらいすばらしかった。

 仲入り後は、口上から。幕が開くと、下手より司会の夢花師、鯉橋師、文治師、夢丸師、小文治師、そして好楽師と並んでいる。これまでは、同時昇進の3名が一緒に並んだが、国立演芸場は日替わり出演のため夢丸師のみ。先代の夢丸師に可愛がられ、名跡を譲ることについても相談を受けたという好楽師が音頭を取って三本締め。
 空を飛んだり、竜巻で一回転するアクロバティックな夢花師匠の「反対俥」の後は、より〝本寸法〟が際立つ(笑)小文治師匠の「親子酒」。かたちがきれいな噺家だ。演出が、よく聞き知っている「親子酒」とはずいぶんちがう。「ただいまかえりました」倅がしっかりしているのが面白い。しかし、それもつかのま、親父同様、気持ちとは裏腹に一気にグズグズになってしまうのだった。どこまでも似た者親子なのだ。ヒザは、ボンボンブラザーズのモダン太神楽。パントマイムをとりいれた繁二郎先生の動きが、もはやMr.ビーンにしか見えない…。余談だが、心臓の悪いひとはボンボン先生が出演されるとき、2〜4列目あたりに座ってしまうとキケンです(笑)。ぼくはいつも、どうしたわけかそのあたりに座ってしまい肝を冷やす。

 トリは、夢吉改め二代目夢丸師匠。たくさんの「待ってました!」の声に照れながらの登場。お、「幾代餅」だ! メソメソした清蔵のキャラは、「明烏」の息子同様で夢丸師のお得意。清蔵と親方は、抱き合って男泣きしたりして、「職人と親方」というよりは、なんとなく「高校野球の選手と監督」のよう。
 心に残ったのは、幾代太夫が清蔵に年季が明けたら女将さんにして欲しいと頼むとき、「あなたのおかみさんにして下さい」とわざわざ町人風の言葉遣いで言い直すところ。こうやって書いてしまうとクサいけど、「傾城に誠なし」といわれる世界に身を沈めながらも、なお幾代太夫が誠実な人物であり、またいかに誠実な人間を求めていたか、これからは町人としてつましく暮らしていきたいと願う彼女の覚悟が一瞬にして伝わる箇所である。だいたい、太夫ともなれば、その言動からして清蔵が「野田の醤油問屋の若旦那」なんかではないことはとっくにお見通しのはず。清蔵の心を知るためあえてその嘘につきあう、そういう〝賢さ〟をもった女性なのだ、幾代は。
 思えば、清蔵と、落語家になりたい一心で新潟から家出同然で東京にやってきた入門当時の夢丸師匠とはほぼ同じくらいの年齢だったのではないか。17歳くらい? 思い続けて、ついに幾代太夫の真心を射止めた清蔵の一途さと、ついに真打の晴れ舞台に立った落語好きの少年の一途さとが重なって、ちょっとグッとくる高座であった。大入り。

ちなみに夢丸師、確認できてないけれど、この披露目中、もしかしたらトリのネタ全部替えたのではないだろうか…。

ーーーーー
2015年7月8日 

国立演芸場 7月中席
夢吉改メ二代目三笑亭夢丸
真打昇進襲名披露興行

ーーーーー

開口一番 古今亭今いち「初天神」
◎柳亭小痴楽「強情灸」
◎瀧川鯉橋「牛ほめ」
◎東 京丸・京太平(漫才)
◎桂文治「源平盛衰記」 *歌丸代演
◎三遊亭好楽「三年目」 *五代目圓楽一門会

〜 仲入り 〜

◎口上 下手より夢花(司会)、鯉橋、文治、夢吉改メ二代目夢丸、小文治、好楽
◎三笑亭夢花「反対俥」
◎桂小文治「親子酒」
◎ボンボンブラザーズ(太神楽曲芸)

三笑亭夢丸「幾代餅」

 連雀亭で、夢吉さんご本人から披露目のチケットを購入したのが、あれはもう4ヶ月も前のことだったのだなァと遠い目になりながら池袋演芸場へ。バタバタの4ヶ月であった。先月の浅草につづき、真打昇進襲名披露興行は2回目である。もう1回、国立演芸場にも行くつもり。

 断続的に土砂降りの雨が降る悪天候ながら、ざっと見渡したところ場内は7、8割の入り。トリを勤めた夢吉改メ2代目夢丸師匠は、マクラでご両親のエピソードをふってからの「明烏」。これはもう、今後の夢丸師匠の〝鉄板〟ネタになることまちがいなしの弾けっぷり。夢丸師匠は、ことさら現代的なクスグリで笑いをとろうというところはなく、かわりに登場人物の性格をデフォルメすることで〝モンスター〟に仕立ててしまう。結果、噺はファンタジーのように、SFのようになり、それに応じて〝滑稽さ〟もまた大波のようになって押し寄せてくるのだ。
 勉強ばかりで世間を知らない倅の堅物ぶりもかなりなものだが、それにも増して、その倅になんとか人並みの遊びを覚えさせようとあれやこれやと腐心する父親のパッションがものすごい。だいたい近所の遊び人に金を渡し、息子をだまして吉原に連れてゆくよう手引きをする父親なんているはずない。だから、所詮この噺はファンタジーなのだ。そして、ファンタジーをファンタジーとしてキッパリ描き切ってこそ面白い。夢丸師匠の「明烏」は、そういう演出に思える。暴走する父親に対し、母親はというと、心配こそしているものの、そこまでは望んでいない。いい着物を出すよう夫に言われながら、モタモタして催促される台詞からそれがわかる。気が進まないのだ。真っ当。手引きを依頼されるふたりにしても、チンピラというよりは、遊び好きだが貧乏な町内の顔見知りという位置付け。ほどほどにワルではあるが、父親の「暴走」にあきれるだけの常識は持ちそなえている。つまり、息子と父親は、対極にあるとはいえ、その〝モンスターっぷり〟で似た者親子なのである。この図式をひっくり返すと、これを機に息子は落語によく登場する道楽者の若旦那にすっかり変身し、反対に、見かねた父親は頑固な堅物に変身してしまったなんていう〝後日談〟もできるかもしれない。帰り道、もう一回ニヤリとできる「明烏」。

 ほかには、仲入りに小遊三師匠の代演で登場した鶴光師匠、そしてヒザ前の小柳枝師匠、ふたりのベテランがさすがの貫禄をみせた。鶴光師匠の「試し酒」は、酔うほどにボヤキっぽくなってしまいには主人にまでチクチクやりだすところが可笑しくってたまらない。大酒呑みの名前が「久蔵」ではなく「井上」なのは、誰かに引っ掛けていたのかな? さらーっと流しているようで、けっして薄口にならないのが小柳枝師匠の至芸。あの年齢にしてあのスピード感、そして「間」。どこが面白いとかうまく形容できないのだけれど、そこはかとなく面白い。〝旨味〟とでもいうか。とにかく、聴けるうちにたくさん聴いておきたい落語のひとりである。

 ところで、歌丸師匠が腸閉塞が原因で入院されたとのこと。先月、板付きで高座に上がった歌丸師匠は、まるで上半身だけ座布団にのっているかのようにみえるほどの異常な痩せ方で幕があいた瞬間、仰天した。声には張りがあったので安心したのだけれど。適切な処置の下、一日も早く高座に復帰されますように。

ーーーーー
2015年6月17日(水)

池袋演芸場 6月中席後半 夜の部
笑松改メ春風亭小柳
朝夢改メ三笑亭小夢
夢吉改メ二代目三笑亭夢丸
真打昇進襲名披露興行

ーーーーー

開口一番 昇市「たらちね」
◎三笑亭可女次「魅惑のアジアンツアー」
◎マグナム小林(バイオリン漫談)
◎三笑亭夢花「くどき武士」
◎春風亭柳之助「家見舞」※代演
◎松旭斉小天華(奇術)
◎雷門助六 小咄、あやつり踊り
◎笑福亭鶴光「試し酒」※代演

~仲入り~

真打昇進披露口上(下手より)
夢花(司会)、助六、夢丸、小夢、小柳、小柳枝、鶴光
◎三笑亭小夢「皿屋敷」
◎春風亭小柳「悋気の独楽」
◎春風亭小柳枝「新聞記事」
◎やなぎ南玉(曲独楽)
◎三笑亭夢丸「明烏」

 思いのほか用事が早く片付いたので、隼町の国立演芸場まで足をのばしてみる。6月上席は現「落語協会会長」にして「日本歌手協会会員」、柳亭市馬師匠が主任。渋めながらも、ゆったり寄席の雰囲気を味わうにはなかなかいい顔付けである。ちょうど、開口一番の圭花さんが高座に上がったところで着席。いっしょうけんめい寄席に通いはじめた頃よくみかけた前座さんだが、噺を聴くのはひさしぶり。「一目上がり」。ずいぶん腕を上げたなぁ(上から目線でスミマセン)と思って調べたら、もう来春には二つ目昇進という香盤だった。

 市楽さんの明るい高座につづいて、百栄ちゃん登場。きょうはなんとなく「寿司屋水滸伝」が聴きたい心持ちだったのだが、いつものマクラから入ったのは自作の「誘拐家族」。いっときはあんなに「寿司屋水滸伝」が続いたのに、聴きたいと思うとなぜか遭遇しない不思議。思春期の子供をもつ家庭ならどこにもありそうな状況設定、間の抜けた悪人、いつのまにか立場逆転…… いわゆる「新作」だが、目先のギャグに走ることなく〝落語らしさ〟をきっちり押さえている。現代が舞台でも、だからただの「お笑い」にはならない。やっぱりそこは「落語」なのだ。

 自由自在にピアニカとリコーダーをあやつる「のだゆき」の音楽パフォーマンス、縁がなかったのだがようやく観れた。笑いで(お客様を)掴んで、芸で感心させる。のだゆきさんもそうだが、若手の色物さんはみな構成の巧みさで際立つ。
 ふつうに演っても、そもそも「落語」はおもしろい。ぼくは、そう思う。でも、ちょっとした「間」やしぐさ、表情が加わるとき、さらに、ものすごくおもしろくなる。一九師匠の「桃太郎」に食い足りなさを感じてしまったのは、あるいはそのあたりに原因があるのかも…… そんなことを考えているうち、気づけばあっという間に仲入り前。いちど寄席で聴いてみたかった桂南喬師匠。

 三代目金馬師匠の弟子もいまとなっては貴重……なのかな? もしかしたら当代と、あとは南喬師だけ? 落語を聴きはじめた当初、とにかくお世話になったのは志ん朝と先代金馬の音源だった。そんなことをふと思い出す。ネタは「鰻屋」。往来の真ん中で、ぼんやり西日に照らされて突っ立っている友だちをみつけた男が、「ご馳走してやる」と飲みに誘う。ところがこの友だち、せっかくの誘いにもかかわらず行きたくないという。聞けば、このあいだ、やはり別の友だちに誘われてひょいひょいついていったはいいが、ひどい目に遭ったらしい。そのエピソードを、「しょーもねぇーなぁ」とときに面白がりながら、ときにダメだししながら聞く男。しっかり者の兄貴分なのだ。お人好しでぼんやりした友人は、どうやらいたずら好きで小賢しいべつの友人にからかわれたらしい。南喬師の噺から、男3人ののんきな人間関係が浮かび上がる。「鰻屋」に行くと、主人が暖簾から顔をキョキョロのぞかせて職人の帰りを待っている。主人の様子がすでにウナギである。だいたい、ウナギに名前をつけて可愛がるとか、もはや「アンタ鰻屋に向かないよ」と忠告したいレベル……。〝士族の商法〟が身近だった時代ならいざ知らず、個人的には、いま聴いて面白いのは断然「素人鰻」より「鰻屋」かもしれない。

 仲入りのとき、劇場の係から「鈴をお持ちのお客様は、かばんの中にしまって下さい」との声掛けがある。高座中、ずっとカラカラと鈴を鳴らしている客がいたので、実際のところはピンポイントの注意だったわけだが、とたんに会場のあちらこちらから鈴の音が鳴りだしたのには驚いた。まさか「熊除け」ということもないだろうし。「おばさんはなぜ声に出してメニューを読みたがるのか?」という日頃から抱いている身近な疑問リストにもうひとつ、「おばさんはなぜ持ち物に鈴をつけたがるのか?」というのも加えておこう。

 さて、食いつきはダーク広和先生。出し物が日本の古い奇術だったからだろうか、いつもはスーツ姿なのにきょうは派手な袴姿で登場。ダーク先生の、こういう細かすぎてかえって伝わりにくい(?)こだわり、じつはけっこう好きだったりする。勝手に脚が飛び出す、DIY感覚あふれるテーブルとか。そういえば、ブログを拝見したところダーク先生はかなりのコーヒー通。しかも、生豆をハンドピックして自家焙煎したり、コーヒーの木を栽培したりと本格的だ。つくづく凝り性なのだ。泡坂妻夫の『11枚のとらんぷ』を読んだとき、まっさきに思い浮かんだのはダーク先生の姿だった。ヒザ前は、〝幻の噺家〟として有名(?)な小のぶ師匠。てっきり堀井憲一郎さんがつけた惹句かと思いきや、一時期、ご本人みずからそう名乗っていらっしゃったらしい(『青い空、白い雲、しゅーっという落語』)。最近ではすっかり寄席の出番も増え、それどころかトリを勤めるほどの活躍ぶり。さほど〝幻〟でもなくなったが、それはきっとよいことなのだろう。ありがちな粗忽者の小咄ではなく、「行き倒れ」についての詳しい解説からの「粗忽長屋」。小のぶ師匠の高座は2度目だが、大きなしぐさ、間、スピード、なんともいえない独特の〝おかしみ〟が特徴的。昭和こいる・あした順子先生のユルい笑いの後は、いよいよトリを勤める市馬師匠の登場である。

 〝さんぼう〟(どろぼう、つんぼう、けちんぼう)のマクラから「片棒」に入る。ケチで有名なある商家の大旦那、食うものも食わずお金を貯め込んだはいいが、そろそろ息子に身代を譲ろうと思い立つ。しかし、譲るにあたってはできるだけ自分と金銭感覚が近いほうがいい。そこで、3人いる倅を呼びつけ、もし自分が死んだらどんなお弔いを出すか? と尋ねてそれぞれの金銭感覚をはかろうと試みるのだが……。派手好きの長男に祭好きの次男、「だめだこりゃ」とは言わないが、ドリフターズでおなじみ「もしものコーナー」である。あきれかえる父親の前に、最後に現れたのが末っ子の鉄三郎。兄貴たちとは違い、〝質素〟な弔いにするという鉄三郎。それを聞き、よろこぶ親父。ところが、チベット式のお弔い(鳥葬)、フライング出棺、菜漬けの樽などなど、鉄三郎の〝質素〟はもはや大気圏に届かんがばかりの〝ファンタジー〟。当然「だめだこりゃ」となる筈なのに、なぜか身を乗り出してくる父親の様子がおかしくも、哀れ。ご自慢の美声で木遣りから祭り囃子、ついには美空ひばりまで飛び出す、客席も大喜びの「鉄板ネタ」であった。

 そしてあらためて、市馬師匠の噺に身をあずけているときの、なんともいえない心地よさについて。〝巧い〟とか〝おもしろい〟というよりも、ふわーっとしてなんだかとても〝気持ちいい〟のだ。半年に一回くらい、ものすごく市馬師匠の高座が恋しくなるのもきっとそのせいだろう。じっさいのところ、半年に一回くらい市馬師匠がトリを勤める寄席に足を運んでいる。さて、つぎは年末、「掛け取り」でも。

ーーー
6/2 国立演芸場 6月上席

開口一番 柳家圭花「一目上がり」
◎柳亭市楽「強情灸」
◎春風亭百栄「誘拐家族」
◎のだゆき(音楽パフォーマンス)
◎柳家一九「桃太郎」
◎桂南喬「鰻屋」

〜仲入り〜

◎ダーク広和(奇術)
◎柳家小のぶ「粗忽長屋」
◎昭和こいる・あした順子(漫才)
◎柳亭市馬「片棒」

鈴本演芸場で、林家たい平師匠の「不動坊」を聴く。

「不動坊」という噺を聴いたのは、これが二回目。最初聴いたときには、後半のスラップスティックコメディー的な展開に「バカバカしい噺」という印象しか持たなかったのだけれど、なんだか今回はちょっとツボがちがった。ただこれはたい平師匠の演じ方というよりも、自分の心持ちのせいだろうと思う。

「不動坊」は、いい噺だ。「純愛」である。

長屋の大家さんとのやりとりにはじまり、長いあいだ思いを寄せていた未亡人「お滝さん」との縁談をもちかけられた吉兵衛のテンションが振り切れて妄想が爆発する前半も、たしかにバカバカしいことこのうえない。しかし、お滝さんの夫で講釈師の「不動坊火焔」が巡業先で客死したことを聞いた吉兵衛が驚きつつも大家に漏らすこんな言葉が、なかなかいい。


「お滝さんは、なにを隠そうあっしのおかみさんなんですよ、三年前っから」


いきなりなにを言い出すんだ? この男は…… と呆れる大家に、こう説明する。三年前、長屋に引っ越してきたお滝さんにすっかり一目惚れしてしまった吉兵衛。頭の中は寝ても覚めてもお滝さんワールド、恋煩いである。悩んで悩み抜いたあげく思いついたのは、「しばし、自分のおかみさんであるお滝さんを不動坊に貸してやってるのだ」と思い込むという案。身勝手である。身勝手にはちがいないが、まあ、誰にも迷惑はかけていないのでいいのである。じっさい、吉兵衛はこの「エアーおかみさん」ことお滝さんを思って仕事に精を出し、小金も蓄える。そんな吉兵衛の《真面目さ》を知っているからこそ、大家はお滝さんに吉兵衛との再婚をすすめ、お滝さんも「吉兵衛さんとなら……」と応えるのである。


「じゃあ、不動坊からお滝さんを返してもらおう!!」


ここに、奇跡が起こった。とはいえ、たんなる偶然のいたずらではなく、はたから見れば身勝手でバカバカしい妄想でも本人にとっては大真面目というふるまいがサヨナラ逆転満塁ホームラン的に恋愛を成就させてしまうところにこの噺の古きよきハリウッド映画的な心地よさがあるのではないか?

後半はご存知のとおり、ヤキモチから「長屋のアイドル」お滝さんを奪還しようと「お化け騒動」を仕掛ける三人組+万年前座の噺家によるドタバタ劇へと発展するのだが、その失敗は目にみえて明らかだ。だって、吉兵衛とは「了見」がちがうんだもん。

スラップスティックコメディー的な爆笑よりも、むしろ個人的にはこの「不動坊」という噺、吉兵衛のまっすぐな、ときにまっすぐ過ぎる一途な思いを祝福したいそんな噺といえる。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。