北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。
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五月になると、「五月のミル」をみる。《年中行事》みたいなものである。
milou

感想は、きかないでほしい。この映画、つまり、「ルイ・マル」監督による「コメディー」、しかも相当に「フランス的」な、を語るというのは、ほとんどトリプルアクセル+トリプルトゥループ+トリプルループ並みの難易度の高さなのだから(よくわからないが)。だいたい、ぼくの場合、映画よりも先にステファン・グラッペリののほほんとしたサウンドトラックのほうに親しんでいたものだから、じっさいに映画をみてはじめて、タイトルの「五月」が1968年の「五月革命」を指していると気づいたほどである。ルイ・マル自身、あえて《そのこと》に対するみずからの「立ち位置」をぼやかそうとしているようにもみえるこの作品を、しかしわが家ではたんなる「バカ一家の話」と呼び親しんでいる。「『バカ一家の話』みる?」、「みる、みる」といった具合に。そして毎度思うのだ。「あはは、バカだなあ」と。感想など語れるはずもない。

けれども、ひとつだけ断言できることがある。それは、この「五月のミル」という映画には、やはり「五月」という季節のもつすべてががつまっているということだ。強さを増した光と薫る風、蒼々とした樹々の新緑に象徴される「生命の躍動」、倦怠と頽廃、そして不穏な予感。「五月のミル」をみれば、「五月」はより「五月」らしくなる。

そして、「五月革命」はしかるべくして「五月」に起こったのだ、と思うのだ。
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