北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。
夏休みといえば宿題。宿題、といえば読書感想文。というわけで、映画『チャーリーとチョコレート工場』の原作者でもある、作家ロアルド・ダールの『少年』を読んだ。

この『少年』という本はけっして「自伝ではない」、そうダールは言う。ではなにかというと、それは六歳から二十歳にかけて彼の身に実際におきた「数多くの事件」−なかには「滑稽な出来事もあれば苦痛にみちた出来事もある。思い出すに不愉快なこともある」−を綴ったエピソード集といった体裁をとっている。

ダールの言葉どおり、ページを開くとそこには大胆で機知に富み、それでいて人一倍ナイーヴな「少年」の記憶が顔をのぞかせる。両親の祖国ノルウェーで過ごす、家族そろっての極上の夏休み。友人や兄弟と仕掛けた「いたずら」の数々。なかには、「靴紐の形をした甘草入りのアメ(リコリス・ブートレース)」の思い出も・・・

でも、この本でいちばん多いのは学校生活の話題、とりわけ不可解で窮屈な校則や、教師や上級生からうける理不尽な仕打ちに対する「怒り」にかんするものだ。そして、読み進むにつれこちらまで熱くなってしまった。というのも、じぶんの「高校生活」にもすくなからず似たような状況があったからにほかならない。

ぼくが通っていたのは都内にある私立の男子校で、「進学校とはいえない程度の」進学校だった。そこでは体罰は日常茶飯事。見上げるような高い塀に囲まれ、すべての窓という窓には金網がつけられた校舎は、まさに陰気な監獄そのものといえた。そして校内を仕切っているのは、柔道部や剣道部の顧問をつとめる数人の「生活指導」の教師たちで、竹刀片手に廊下をガニマタで闊歩するのが連中の日課だった。

とりわけ、いま思い出しても凄かったのは「始業時間」の光景だ。始業時間になると、校門のかたわらに立つ顔色のわるいフランケンシュタインのような守衛がボタンを押す。すると、天井から鉄製の自動ドアが降りてきて校門をシャットアウトするという仕掛けだ。当然、遅刻を免れようと生徒はみなその「けっして止まらない」自動ドアの下をくぐり抜けることになる。これが毎朝「儀式」のように繰り広げられていたのだから、よく事故が起こらなかったものだと思う。ほかにも、校則で禁じられていた「パーマ」がみつかり、そのまま近所の床屋に連れていかれ丸坊主にされたクラスメートもいた。

ロアルド・ダールは書いている。「みなさんはなぜわたしが学校における体罰をかくも強調して書くのかと不思議に思われるに違いない。その答えは、要するに書かずにいられないからである」と。そして「わたしにはそのこと(教師や上級生ががほかの生徒たちを傷つけるという事実)がどうしても納得できなかった。いまだに納得していない」とも。ぼくもまた、「納得」できずにいる。

そんな高校生活でのぼくの「たのしみ」はといえば、いかにスマートに校則を破るかであった。髪型や制服や持ち物、放課後の過ごし方などなど、周到な準備をもって「校則を破る」ことに快感をおぼえていたのだ。おかげで、全身「校則違反だらけ」にもかかわらず、高校生活を通じていちども「敵」に捕まったことはなかった。「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」なんて「敵」を喜ばすだけでなんの「反抗」にもなっていない、そう考えていた。出し抜いてなんぼ、そんなことばかり考えている皮肉で屈折して暗い高校生だったのだ。

唯一残念なのは、ぼくに「文才」が足りなかったこと。もしあったなら、きっといまごろロアルト・ダール顔負けのシニカルな小説をたくさん書いていたことだろうに
少年 少年
ロアルド ダール (2000/04)
早川書房

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