北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。
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かの井崎脩五郎先生いわく(たぶん)、

名馬は言い訳しない。

馬場が悪かったから、コースが左回りだったから、斤量が重かったから・・・そうしたさまざまな条件とは関係なく、つねにじぶんのもてる力をフルに発揮できるからこそ「名馬」なのだと、そう井崎先生はおっしゃっているのである。

このことはもちろん、ウマ以外のものごとにもあてはまる。

よい職人は言い訳しない。

じぶんの家を建てているときに大工が、なんかさぁ、このカナヅチ、釘がまっすぐ入んないだよねぇ、などと言っているのを耳にしたとしたら、ちょっとどうしたものかと不安になるだろう。

よい店は言い訳しない。

こう雨が続いちゃさすがにお客さんも来ないよ、とか、こんなにいい天気だとお客さんがみんなどこかに出かけちゃうよ、だとか・・・。耳が痛い。

さて、いよいよ凱旋門賞。言い訳ならあらかじめいくらでも用意されているようなアウェイでの大一番、ロンシャンの萌えるような緑のターフの上、はたしてディープインパクトはどんな走りをみせてくれるのだろう。
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秋めいてきたと感じるのは、なにも気温のせいばかりじゃない。光のせい、である。

この季節、夕刻になるとなぜか西日が東から店内に差し込んでくるのだ。カレンダーをみるよりも、道ゆくひとびとのファッションを目にするよりも、この「光」のほうが断然ぼくに「秋」という季節を実感させる。石器時代からすこしも変わらない人間の感度。

ところで、この東からやってくる西日の秘密だが、どうやら東側に建つビルに反射した西日がほんのすこしの時間、moiに光のおすそわけをしてくれているようなのだ。西日はたいてい、どちらかといえば厄介なイメージをまぬがれない。でも、いちど建物にぶつかって反射した光はけっしてまぶしすぎることのない適度なやわらかさをもっている。いわば自然の間接照明

こういうちょっとしたことが、ずいぶんと一日をおだやかなものにしてくれる。
ついにフィンランド航空「成田便」の増便が正式発表されました!

これまでの水曜日&日曜日(成田)発に、12月4日からは月曜日&金曜日発をくわえて週4便での運航になります。ちかごろは成田便のチケットがとれないためやむなく関空あるいはセントレアから出発するという方もすくなくなかったので、週2便の増発はほんとうによろこばしいかぎり。

ちなみに、フィンランド航空が使用するロシア上空の飛行ルートは日本とヨーロッパとを結ぶ「最短ルート」にあたるうえ、ヘルシンキのヴァンター空港はこじんまりとしているので乗り継ぎもラクラク、フィンランド以外のヨーロッパ主要都市へもスピーディーに到着できます。

フィンランドへゆくひとも、そうでないひとも、(減便されないよう)フィンランド航空を利用しましょう!

●フィンランド航空のニュースリリース「成田路線、週4便へ」
しのつく雨の中、打ち合わせのため午後の渋谷へ。

仕事でまいにち渋谷へ通っていたのは5年まえのこと。いまでは、年に数回あしを運ぶのがせいぜいだ。近道するつもりでもぐった地下道では道に迷いそうになるわ、あったはずのビルは影もかたちもなくなっているわで、まったく「浦島太郎」もいいところ。

そんななか、ふと目にはいったのが以前オフィスによく出入りしていた宅急便のお兄さんで、そのとたんなつかしいというよりは、むしろどこか遠い異国の地で知っている顔をみつけたときのようなそんなホッとした心持ちになったのが可笑しかった。

なつかしいという感情はつまり、じぶんはまだその「場所」にいてそこから過去をふりかえっている心持ちをいうのだと思うが、ここで、ぼくはもうすっかり「なつかしさ」すらも感じられないようなただの「異国のひと」になってしまったらしい。

渋谷が、気がつけばずいぶんと遠い場所になっている。
思いがけずよいお天気だったので、所沢に鍼をしにいったあと「東京タワー」へと向かった。リリー・フランキーの影響(江國香織の、でもない)ではなく、いま読んでいる中沢新一『アースダイバー』に刺激されたのだ。
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内容の真偽ではなく、この本に書かれたことにぼくは「リアリティー」を感じる。「東京」のそこかしこについて子供のころから茫漠と抱いてきた「感覚」、あるいは「直感」のようなものが、読み進むうちにするするとほどけて霧が晴れてゆくような気分を味わっている。
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タモリ×糸井重里×中沢新一による対談「ほぼ日刊イトイ新聞-はじめての中沢新一。」も面白そう(まだ読んでいないけれど)。
アースダイバー アースダイバー
中沢 新一 (2005/06/01)
講談社

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この7月にフィンランドで演奏旅行をおこなってきたジャズピアニスト新澤健一郎さんから、ブログ形式にまとめた「フィンランド旅行記」が届きました。

夏のフィンランド各地でのライブ演奏の模様やオーディエンスの反応、およそ観光客は訪れないようなちいさな島や町での出来事がたくさんの写真とともにつづられています(新澤サン、いい思いしてきたなぁ~)。必見!

なお、このツアーとおなじメンバーによるライブが来月日本でも楽しめます。フィンランドを代表するジャズギタリスト、ニクラス・ウィンターを中心に、フィンランド人2+日本人2からなるクアルテット。10/8の「横濱ジャズプロムナード」を皮切りに、東京は赤坂、柴崎、ほかに神戸、京都でのライブが予定されています。真正"SUOMI JAZZ"と出会う貴重なチャンス、ぜひお見逃しなく!

ニクラス・ウィンター・クアルテットJAPANツアーの詳細は、こちらをチェック。
いま読んでいる小説のなかに、《風景小説》ということばをみつけた。ある短編小説家についてのべていることなのだけれど、絵の世界に《風景画》というジャンルが成り立つのであるならば、淡々と《風景》について描写しながらある確固とした物語世界を構成するような手法、つまり《風景小説》とでもいうべきジャンルもまた存在しうるのではないだろうか、というのだ。

そんななか、DVDで『天空の草原のナンサ』というモンゴルの映画を観た。そして思ったのだけれど、これはまちがいなく《風景映画》である。《風景映画》の特徴は(たぶん)その淡い筆致にある。淡い筆致のなかに、けれども「透かし細工」のように《物語》が立ち上がってくる、そこに、《風景映画》とたんなる風景を撮っただけの映像とをへだてる大きなちがいがある。

この映画『天空の草原のナンサ』は、遊牧民としてモンゴルの草原を移動しながら「ゲル」と呼ばれるテントで暮らすある(実在する)家族と、その日々の生活を淡々とつづった叙事詩的な作品である。物語は、ある日6歳になる娘ナンサが一匹の子犬を拾ってくるところからはじまる。子犬に「ツォーホル」と名づけどうしても家で飼いたいナンサと、それを許さない父親、そしてその様子をやさしく見守る母親。なんてことのない、ほんとうになんていうことのない日常の風景のむこうがわに、けれどももうひとつの《風景》が静かにたちあがる。たとえば、遊牧民が「迷い犬」をその生活に迎え入れるということがもつ意味の重さ、あるいはまた、頑なに伝統に寄り添って生きてきた遊牧民の暮らしに押しよせる近代化の波などなど・・・。そこでは、ふたつの異なる《風景》があたかも「対位法」のように有機的に関係しあいながら、ひとつの《物語》をかたちづくっているのだ。

強烈な印象をもたらすインパクトはどこにもないけれど、ひさしぶりに低く、しかも長い余韻を残す映画と出会った、そんな気がする。
天空の草原のナンサ デラックス版 天空の草原のナンサ デラックス版
ナンサル・バットチュルーン (2006/06/23)
ジェネオン エンタテインメント

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先日、「疲れた」などと書いたのはどうやら風邪の徴候だったようです。

全身のだるさが抜けないまま、昨夜あたりからは咳がひどくなってきました。いまのところ店に立てないほどの熱はないのですが、咳がひどくお客様に不快感をあたえる心配があるので、本日は念のためお休みさせていただき、病院へいってきたいと思います。

お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い致します。
ちかごろ家ではよくこれを使う。
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「松屋式」とよばれるコーヒーの抽出器具、いわゆる「ドリッパー」である。以前お客様から、そして最近もまたKさんから「松屋式」のことを聞き、このユニークな金枠のドリッパーをいただいた。くわえて具合のいいことに、ちょうどサイズ的にぴったりのサーバーを安く(在庫処分で千円也)手に入れることができたので、もっぱらコーヒーを淹れるときにはこれのお世話になっているというわけだ。

コーノ式にせよハリオ式にせよ、ネルドリップの味わいを念頭においたペーパードリップ用の抽出器具の場合、いかに理想的な「蒸らし」を実現するかがもっとも重要なポイントになっている。ペーパーを使いながらも、針金による最小限の支えのみによることでコーヒー粉の膨張をできるだけ邪魔しないよう工夫したこの「松屋式」は、ある意味この手のドリッパーのなかでは「最右翼」といえる存在かもしれない。
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ほかにも、この「松屋式」では、

スプーンなどで(コーヒー粉の)中心を掘り、フィルターにそって粉の厚さを均一にする

とか、最初の注湯後、

ふたをして3~5分じっくり蒸らす

といったちょっと風変わりな抽出の「コツ」がある。くわしく知りたいひとは、総本山(!?)である名古屋の「松屋コーヒー」のWEBサイトをチェックされるとおもしろいはずだ。

ところで、このように世間にはさまざまな抽出器具のたぐいが数多く出回っていて、それはそれで楽しいことこの上ないのだが、果たして、それらの器具によって抽出されたコーヒーの味わいのちがいをどれだけ精確にぼくの舌が感じ分けているのかといえば、正直な話ほとんどわからないのである。ただなんとなく、漠然と「好み」がある程度だろうか。

いつか自信にみちて、そのちがいを「100字以内で述べ」れる日がやってきたら、そのときはまた報告しよう(もちろんエラそうに)。
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サンマです。「秋刀魚」と書いて「さんま」。いかにも見たまんまつけてしまった名前という感じですね。「初物」で七十五日長生きする予定ですが、あいにく風邪は引きました。
どうしたわけか、きょうは時間がたつのがやけに遅かった。一日ヒマだったのならともかく、そこそこ忙しく立ち働いていたというのに。

三連休の中日ということもあって、きょうはいつもの日曜日にくらべて夕方以降にも忙しい時間があった。つまり、じっさいにいつもより接客の時間が長かったということもあるかもしれない。もうひとつ、お客様の来店パターンが今週は全般的にヘンだったような気がする。かんたんに言うと、

ひまな時間と忙しい時間とのギャップが激しかった

ということだ。じつは、こういうパターンがいちばんカラダにこたえる。「停止」と「全力疾走」のくりかえし。逆に理想的なのは、一定したペースでほどほど忙しい時間がつづく「マラソン」パターン。でも、めったにこんなことはない。

いずれにせよきょうは疲れた、もうヘトヘトである。あしたはすこしのんびりすごそう。
自宅で使っているのはこんなスピーカー。
sasakiacoustic

ガラス製の球体で、そのむかしササキアコースティックというブランドから出ていたものだ。学生のころ、当時オーディオ雑誌の編集の仕事をしていた友人から譲り受けたものだから、思えばもう15年あまり使っていることになる。

フィンランドのデザイナー、エーロ・アールニオによる「ボール・チェア」しかり、「球形」にはどこかひとの心をくすぐるものがある。じっさい、このボール・スピーカー(?!)もいまだにけっこうな人気ぶりらしい。たしかに、かわいいルックスはインテリアとしては最高、といえる(音はまあまあ、だけど)。とはいえ、15年以上も使っていれば当然、だいぶくたびれてもくる。

そこで、いまオーディオにくわしい大学時代の同級生に頼んで、安価で、しかもCPのいいスピーカーをみつくろってもらっている。リストアップしてもらったなかにはデンマークやスウェーデンといった北欧製のものもいくつか、ある。必然的に「インドア派」で、そのうえ「木」という素材を巧みに使った家具づくりに定評のある北欧のひとならば、なるほど質のよいスピーカーを作るのも当然といえるかもしれない。

こんど買うなら「北欧製」、だいぶ心は動いている。
モイのケーキやスコーンを焼いてくださっているパティシエ、来栖さんのお店「WILLcafe」さんが近々お店を閉店・移転されることになりました。移転先はおなじ国立市内の谷保(最寄りはJR南武線「谷保」駅とのこと)で、年内にはあたらしい店舗での営業を再開される予定とのこと。

ところで、ご存知のように、現在のWILLcafeはmoiとおなじく建築家関本竜太さんの手になるもの。以前、関本さんも「ふたつのカフェ」というタイトルでみずからブログに書かれているように、moiとWILLcafeとのあいだには共通する要素も多い。ぼく自身、そんなWILLcafeさんに対してどこか「兄弟のような」感覚を抱いてきただけに現在のお店がなくなってしまうことには寂しさも感じてしまうのですが、緑に囲まれたあらたな環境のもと今後どんなお菓子が登場するのか、たのしみにしていたいと思います。

なお、現在の店舗での営業は来月14日(土)までとのことですので、「行こう行こうと思っていたけれど実はまだ・・・」という方、いまのうちですよ!
経堂のギャラリー&カフェ「appel」さんから、来月19日をもって閉店されるとのお知らせをいただきショックをうけている。それは、これで街からまたひとつ「好きな場所」が消えてしまうという寂しさであり、むなしさでもある。

店の価値というのは、(あたりまえだが)その大きさにあるわけではない。お店をやっているひとに、その場所をどういう場所にしたいかという明確なヴィジョンがあること。そして、じっさいの運営においてもじゅうぶんな愛情を注ぎ、誇りをもっていること。それがすべて、である。そしてその意味において、「appel」はじつに「いい店」だとぼくは思う。このおなじ東京に「appel」が「ある」という事実は、ぼくが「moi」を運営するにあたっても大きな励みとなってきた。ほんとうに残念だ。

ところで、「appel」について思うとき、ぼくはいつも「インデペンデント」ということばを思い出す。それはきっと、「appel」を運営されているTATTAKAさんと泉沢さんのおふたりがともにアーティストであること、ギャラリーのほか冊子の発行などを通じて現代美術家たちの活動をバックアップしてきたことと関係があるだろう。そこでは、「こうあるべきだ」というおふたりの確信がそのまま、真正直に「appel」という空間となって結実していたように思う。なにものにもよらず、自分の足で立つ者のまわりにはいつも清々しい風が吹くものだ。もちろん「appel」にもそういう清々しい風が吹いていた。

今後は、それぞれアーティストとしての制作活動に専念されるとのことだが、これまでどおり冊子の発行はつづけてゆく模様。「appel」のスピリットはそこに引き継がれてゆくのだがら、ぼくらはよろこぶべきなのかもしれない。

TATTAKAさん、泉沢さん、おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。
雨が降っている。「夏」への訣別を告げるつめたい雨。そして、傘もあまり役に立たないようなこぬか雨の道をとぼとぼ歩きながら、そうだ、きょうはこれを聴こう、ずっとそうかんがえていた。

中島ノブユキのソロ・アルバム『エテパルマ~夏の印象』

夏の印象。猛暑のただ中でこのCDをはじめて耳にしたとき、もしかしたらこのサウンドがほんとうにしっくりくるのは夏ではない季節、もっと言えば「はじめての秋の雨の日」なのではないかと直感した。

この『エテパルマ』は、ピアニスト中島ノブユキによる全曲インストのアルバムである。オリジナルの楽曲以外にも、ここでとりあげられる音楽はヴィラ=ロボス、デューク・エリントン、シューマン、そしてモンポウなどと幅広い。そしてそれらの音楽が、中島の弾くピアノを軸にギター、バンドネオン、ストリングスなどを含むアンサンブルによって巧みに味つけされ、原曲とはまた異なる姿をもってフレッシュに立ち現れる。

たとえていうなら、夏の匂いがかすかに残るこの一瞬のためのサウンドトラック。できうるならば、まだどことなく長袖に腕をとおすのがぎこちないうちにこのCDにふれてほしいと思うのだ。
エテパルマ~夏の印象~ エテパルマ~夏の印象~
中島ノブユキ (2006/07/26)
インディペンデントレーベル

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・畑を耕す
・種をまき、育て、ふさわしい頃合いをみて収穫する
・その実りを味わい、またともに味わうべくふるまう

すべてのものごとは、これら《三枚のカード》から成り立っているのではないか、ときどきそう思う。逆にいえば、「上がる」ためにはこれら《三枚のカード》が手元にそろっている必要がある、そういうことなのだろう。

きょうは、友人、というか「先輩」、というよりはむしろ「先生」(!?)のご自宅に「打ち合わせ」と称して遊びにいってきた。ちょっとワクワクするような企てをたくらみ中。いずれぷっくり熟した実りをわかちあえるよう、額に汗して(!?)畑を耕している。
けさテレビで観たのですが(最近そんなのばかり)、アイスクリームでおなじみのブランド「ハーゲンダッツ」の名前って意味のない「造語」なのだそうですね。

ハーゲンダッツというのは1961年に生まれたアメリカのメーカーで、創業者がその語感から名前を決めたのだとか。ちなみに、

ハーゲン(Ha:agen)は「高品質なミルクをイメージさせる北欧の都市コペンハーゲン」の「ハーゲン(Hagen)」から、そしてダッツ(Dazs)は「語感が『ハーゲン』の響きにあう」という理由からつけられたもの。てっきりオーストリアかスイスあたりのブランドかと思っていたぼくは、これじゃあまるで「アメリカ人」だよ。

でも、そのつづりをみればたしかに無茶苦茶「造語っぽい」ですね。「Ha:agen」のまえの「a」にはウムラウトがついているのに、重なったうしろの「a」にはついていない。フィンランド語だとひとつの単語のなかで「a」が重なるというのはよくあるけれど、母音調和の法則というのがあるため、こんなふうにウムラウトのある「a」とない「a」とが重なることはまずありえないはず。ようするに、発音しにくそう

ということで、フィンランド人のおともだちがいるかたは、ぜひ「Ha:agen-dazs」とつづけて3回(?!)発音してもらいましょう!
朝ラジオをきいていたら、「キャンドル」をモチーフにした「ポイカ」という名前のオモチャが紹介されていた。ここで、

むむっ、キャンドル?!ポイカ?!

と反応したアナタは立派な「フィンランド好き」。というのも、フィンランドといえばキャンドルの消費量世界一の国、そして「ポイカ Poika」といえば「男の子」を意味するフィンランド語なのだから。

で、どんなオモチャなのかというと、光センサーと音センサーに反応して「ほのおの妖精ポイカ」が現れたり消えたりする《和み系玩具》とのこと。なんでも、企画した方が旅先のフィンランドで目にした窓辺のキャンドルのあかりからイメージしたのだそうだ。

へぇ~と思われたひとは、どうぞ公式サイトでくわしくチェックを。
きょう9月7日とあす9月8日の二日間、荻窪白山神社では秋祭りがとりおこなわれています。

高円寺の「阿波おどり」や阿佐ヶ谷の「七夕」とくらべれば、ていうか、くらべる意味もないくらい地味~なお祭りなのですが、ここ荻窪界隈ではもっともにぎわいをみせる一大イベントです。そしてなんといっても500年以上の古い歴史を誇る神社だけにお神楽や、なぜか「歌謡ショー」なども楽しめてしまったりします。ちなみに場所は「ひなぎく」さんのはすむかいです。

余談ですが、数年前の祭りの夜、参道に立ち並んだ「フランクフルトソーセージ」の屋台で「じぶんのカラダ」とひきかえに「ソーセージ」をゲットしようと涙ぐましい交渉をしている小学生(男子)をみかけました。もちろん(?!)「オメェのカラダなんていらねぇーよ」と店主のアンちゃんに一蹴されていましたが(笑)。ということで、

ほほえましいエピソードの宝島、オギクボへようこそ!
「郊外の美の悦楽は、慎重に、あたかも『煎じたように』消化され、散歩者自身が長い時間をかけて見出すものなのである」。(エッセイ「給水塔へ」から)

高速道路の高架付近や崩れかけた工場跡、丘の中腹を走る高圧線の鉄塔の下に小さな家々が「埋もれるようにたっている」パリ郊外の《魅力的》な眺めについて、堀江敏幸はそう述べる。「パリ郊外」についてはなにも知らなくとも、《散歩者のまなざし》をもって「都市計画における美醜の明確な区別」とはまったく次元を異にする「郊外の美」の存在を説くかれの意見にはまったく同感である。

個人的には、都市計画における「ランドスケープ」という概念には、なにやら胡散臭さをかんじずにはいられない。それは、人間が、人間の価値判断にもとづいて自然をコントロールしようとすることへの違和感といってもいい。自然を壊すことでおこなわれる「都市計画」が、同時に「ランドスケープ」という名前のもと自然を作り出そうとするのもおかしな話である。

けれども、おなじ「景観」について語っていても、じつは「都市計画」におけるそれと「郊外」におけるそれとではそのありようがまったく異なるのだと、堀江敏幸はそう言っているのである(たぶん)。都市計画においては、「景観」とは「発見させる」ものである。それに対して「郊外」にあっては、「景観」はそれに触れるひとが時間をかけて、つまり《散歩者のまなざし》をもって「発見する」ものにほかならない。

「人間の直裁なドラマではなく、湿った石塀や草いきれのする丘、泥濘のつづく小道にひそむ人間の息づかいを捜し求めるささやかな旅」。

「ひなびた独特の雰囲気」を醸しだす郊外に「美」を見出す《散歩者》にとって、「景観」とはじっさいにはそのひとのなかにあるもの、なのかもしれない。
郊外へ 郊外へ
堀江 敏幸 (2000/07)
白水社

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いま欲しいもの(と、「小学三年生」風に書き始めてみる)、それはBOSEの「ヘッドホン」
bose

なんといってもこの「ヘッドホン」、ただの「ヘッドホン」ではない。ノイズ・キャンセリングという機能がついているのだ。

カタログによると、「ノイズ・キャンセリング」とは「イヤーカップ内部に取り付けられた超小型の集音マイクで外部からの騒音をキャッチ、それらを瞬時に周波数データに変換し、同時に収集したノイズデータとは逆位相の信号を高速で発生させることで、イヤーカップ内のノイズを打ち消」すというわかったようなわからないような仕組みなのだが、ようするに音楽により集中できるよう、それを邪魔する外部からの余計なノイズ-車や電車内の騒音、エアコンやパソコンのファンの音など-を人工的にシャットアウトしてしまうという驚くべきヘッドホンなのである。

ところで、いまだipodすらもっていないぼくが、ipodよりもむしろこのヘッドホンを欲しいとかんがえるその理由。それはこのヘッドホンが、音楽を聴くという目的以上に、もしかしたら「ハイテク耳栓」として役立つかも、というのがあるからにほかならない。自動車やバイク、飛行機やヘリコプター、地下鉄のごう音やエアコンのファン、いろいろな店から流れてくるBGMなどなど、いまやすっかり「突発性難聴」が「持病」になってしまったぼくにとって、体調の悪いときの外部の騒音ほどしんどいものはない。そんなとき、耳栓以上に効果を発揮してくれそうなのがこのヘッドホンである。

ただし、いかんせん値段が高い。じつに耳栓の100個ぶんである。とにかく、いちど試着してみてその効果のほどを確認してみたいとおもっている。
荻窪から阿佐ヶ谷へとむかう細い道ぞいに、一軒の古ぼけたアパートがある。ぜんぶで四部屋しかないちいさなアパートだ。このアパートのことがどうして気になったのかというと、その理由(わけ)はふたつある。

ひとつめに、その名前。

このアパートの門柱には、かなりひかえめに(しかも「手書き」で)この建物のなまえが記されているのだが、それがなんと「細野ハウス」。しっているひとも多いだろうが、1973年に細野晴臣がリリースした初のソロアルバム(「HOSONO HOUSE」)とおなじ名前である。まあ、そこにはなんの「偶然」も「奇跡」もなく、ただ「大家さん」の苗字が「細野」だったというだけの話にはちがいない。けれども、このこじんまりとしたアパートの風情やその界隈をつつむゆるやかな「空気」と、細野晴臣によるこの「本邦初の”宅録”」のリラックスしたサウンドとがあまりにもぴったりとくるもので、ここを通りかかるときにはきまって「ろっか・ばい・まい・べいびい」なんてつい口ずさんでみたくなってしまうのだ。

もうひとつ、この「細野ハウス」が気になってしまうその理由(わけ)。それはそのシュールな外観にある。

「細野ハウス」には(さっきも書いたけれど)部屋が4つしかない。エンピツで四角形を書いて、それから一階とニ階にそれぞれふたつずつ、よくある平凡な扉を描けばそれがこのアパートのかなり正確なスケッチになる。つまり、それは見事なまでのシンメトリーなのだ。しかもそれだけじゃない。なぜか、二階にあがる階段までがふたつ(!!)あるのだ。ようするに、二階の部屋にはそれぞれ「専用の」階段があるということ。それもごていねいなことに、その階段は建物の中心から「V字」にそれぞれの部屋へと延びている。これはどうかんがえたって、「無駄」を承知の上でシンメトリーにこだわった、そうかんがえるほかないだろう。まさに、「細野ハウス」の「大家」にふさわしい《美意識》だ。

こんな《発見》があるたび、中央線沿線というのはやっぱり「風街」だなぁ、そう思ってしまう。

HOSONO HOUSE HOSONO HOUSE
細野晴臣 (2005/03/24)
キングレコード

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その1

例外的に、なのですが、

9/3(日)は一日限りのギャラリー展示があります。荻窪在住のアニメーション作家さんの誕生日にちなんで、ファンの方々が制作した作品の展示となります。

したがって、通常の週末より若干の混雑が予想されます。あらかじめご了承ください。

その2

9/2(土)に店内に「日傘」をお忘れになったお客様、こちらでお預かりしております。ご都合のよろしいときにご来店ください。

9月です。きょうの東京は、天気は悪いもののとても涼しくて快適です。このまま秋になってしまえばよいのですが、どうもそうはいかないようで明日にはまた残暑が戻ってくるのだとか。やれやれ。

9月のお休みですが、通常どおり月曜日&火曜日となります。18日(月・祝)もお休みとなりますのでお気をつけください。

また、先日お知らせいたしましたとおり、今月より毎月第一土曜日は「完全禁煙デー」となります。したがって、あす9/2(土)は終日禁煙です。ご協力よろしくお願い致します。

なお、あさって9/3(日)はギャラリー展示のため通常より若干の混雑が予想されます。あらかじめご了承ください。

では、今月もmoiでお目にかかりましょう!
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