北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。
いま読んでいる小説のなかに、《風景小説》ということばをみつけた。ある短編小説家についてのべていることなのだけれど、絵の世界に《風景画》というジャンルが成り立つのであるならば、淡々と《風景》について描写しながらある確固とした物語世界を構成するような手法、つまり《風景小説》とでもいうべきジャンルもまた存在しうるのではないだろうか、というのだ。

そんななか、DVDで『天空の草原のナンサ』というモンゴルの映画を観た。そして思ったのだけれど、これはまちがいなく《風景映画》である。《風景映画》の特徴は(たぶん)その淡い筆致にある。淡い筆致のなかに、けれども「透かし細工」のように《物語》が立ち上がってくる、そこに、《風景映画》とたんなる風景を撮っただけの映像とをへだてる大きなちがいがある。

この映画『天空の草原のナンサ』は、遊牧民としてモンゴルの草原を移動しながら「ゲル」と呼ばれるテントで暮らすある(実在する)家族と、その日々の生活を淡々とつづった叙事詩的な作品である。物語は、ある日6歳になる娘ナンサが一匹の子犬を拾ってくるところからはじまる。子犬に「ツォーホル」と名づけどうしても家で飼いたいナンサと、それを許さない父親、そしてその様子をやさしく見守る母親。なんてことのない、ほんとうになんていうことのない日常の風景のむこうがわに、けれどももうひとつの《風景》が静かにたちあがる。たとえば、遊牧民が「迷い犬」をその生活に迎え入れるということがもつ意味の重さ、あるいはまた、頑なに伝統に寄り添って生きてきた遊牧民の暮らしに押しよせる近代化の波などなど・・・。そこでは、ふたつの異なる《風景》があたかも「対位法」のように有機的に関係しあいながら、ひとつの《物語》をかたちづくっているのだ。

強烈な印象をもたらすインパクトはどこにもないけれど、ひさしぶりに低く、しかも長い余韻を残す映画と出会った、そんな気がする。
天空の草原のナンサ デラックス版 天空の草原のナンサ デラックス版
ナンサル・バットチュルーン (2006/06/23)
ジェネオン エンタテインメント

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