北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。
一年間の日本での生活を終え、ユンジョンが韓国に帰っていった。お別れを言おうとなじみのお客さんたちが集まって、日曜日の夜のmoiはずいぶんとにぎやかになった。

思い返せば、ユンジョンとの出会いは一通の手紙からはじまったのだった。ある日韓国から届いた一通の手紙、消印をみると二〇〇五年十一月とある。そこには、ハンドドリップのコーヒーやカフェが大好きであること、ネットでmoiを見つけてとても気に入ったこと、そして近々ワーキングホリデーを利用して日本に滞在するので可能ならばmoiで働きたいといったことが、漢字まじりの上手な日本語で書かれていた。本人は恥ずかしがるけれど、いまあらためて読み返してみても立派な手紙だ。

思いがけない海外からの便りに感激するそのいっぽうで、正直なんとなく気が重たくもあった。というのも、ぼくはそれまで韓国の人と個人的に知り合った経験がなかったからである。「韓国人」といえば「韓流スター」か、はたまたニュース報道か、いずれにせよマスメディアからの情報でしか知らなかったのである。「韓流スター」のほうはともかく、すくなくともニュース報道で接する韓国のひとはみな、日本嫌いでつきあいづらい、そんなイメージがあった。おとなりの国であるにもかかわらず、というよりはたぶんおとなりの国ゆえに、韓国の人と仲良くなることは、たとえばパプアニューギニアの人と仲良くなるよりもはるかにずっと難しいことのような気がしていたのだ。

じっさいにユンジョンと会ったのは、年が明けた去年の二月のこと。来日後、さっそくmoiを訪ねてくれたのだ。じっさいに会ったユンジョンは好奇心旺盛でひとなつっこく、いつも屈託のない笑顔をうかべているようなごくふつうの女の子だった。そしてそんな感じだから、moiのお客さんたちともあっという間に打ち解け、仲良くなってしまう(←「どうぶつ占い」は「こじか」)。旅行にでかけたり、着物を着せてもらったり、お正月に手作りの「おせち料理」をふるまってもらったり。そのかたわら、おすすめのカフェや喫茶店を教えてもらったり、グラウベルさんの「コーヒー講座」に参加してみたり、道具を一式そろえ自宅でもドリップの練習(?)に励んだりと、「日本のカフェやコーヒー文化にふれる」という当初の目的も着々とこなしている様子だった。

そしてぼくはといえば、相手が韓国人だろうとパプアニューギニア人だろうと、あるいはもしかしたら宇宙人だろうと、そのひとがカフェが好きでコーヒーが好きで音楽が好きであるかぎり仲良くなるのはとてもかんたんなことだという、ごくごく当たり前のことを彼女の存在から「学んだ」のだった。さらにこの一年、ここmoiでユンジョンと出会ったお客さんひとりひとりの、「笑い声」のむこうのあたたかい気持ちにいつもいつもシアワセな気分を味わわせてもらってもいた。

韓国にもどったユンジョンは、これからいろいろと勉強してまた必ず日本に帰ってきたいと言っている。日本のカフェや、そこでのたくさんのすてきな出会いを一冊の本にまとめたいという密かな野望もあるらしい。とても楽しみだ。またいつでも、その明るい笑い声を連れてmoiに戻ってきてもらいたいと思う。お元気で、アンニョン!(←この一年で覚えたたったひとつの韓国語)。