北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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松江をたつ直前、一時間半ほど時間があいたので松江の中心部、茶町、京店から殿町あたりといったかつての繁華街を散歩してみた。
茶町

こういってはなんだが、寂れていた。梅雨時の平日の昼下がりといったことを差し引いても、老舗旅館や観光客相手の店がならぶ町並みはあまりにも閑散としている。空き店舗もやたらと目立つ。みじかい旅のなかでぼくが出会った松江、それに出雲がすばらしく豊かな場所だったことを思うと、そのあまりのギャップに戸惑わざるをえない。

松江や出雲ではどこでも−町のまんなかでさえ−、ちょっと手をのばしさえすれば自然の息づかいを感じ取ることができ、その自然の恵みであるふんだんな海の幸や山の幸は旅人の胃袋をみたしてくれた。豊穣のシンボルである大黒さま、つまり大国主命がここ出雲の地に祀られていることはたんなる偶然ではないのだと、この土地を歩くとよくわかる。同時にそこは「茶の湯」の都であり、小泉八雲が愛した素朴な人々が語り継ぐ神話と伝説の都市であることも忘れられない。

にもかかわらず、この豊かな土地であるはずの島根県がどうもけっして「豊か」ではないらしいのだ。じっさい2005年のある調査によると、ここ島根県の「人口減少率」は秋田、青森についで第三位だという。その土地で暮らしてゆけないから若者は仕事を求めて県外へと流出してしまう。結果いよいよ高齢化に拍車がかかり生産力は減衰する。悪循環である。路線バス(市バス)にのって気づいたのだけれど、ここでは高齢者からも運賃をとっている(割引制度はあるらしい)高齢化が著しい場所ほど、逆に老人福祉が手薄になるという矛盾である。

いまの時代、殺伐とした土地であっても、大きな自動車工場のひとつもあればその土地は「豊か」に潤おう、そういう時代である。そういう時代に生きているのだから、それをむやみに否定してもしょうがない。ただ、すべての価値の尺度をそこに寄せていってしまうということについてはやはり疑問が残る。この目で見て触れた松江、出雲が「豊か」ではなかったとはけっして思えないからだ。乱暴に言えば、「豊かさ」にはたぶん質的な豊さ量的な豊さとがあるのだろう。島根県の「豊かさ」は、「量的な豊さ」こそを「豊かさ」だと定義する資本主義社会にあっては、手のひらですくった水のようにみすみすこぼれ落ちてしまうものなのだ。
水際

茶の湯についてかんがえてみる。それはもともと武士のものだった。信長や秀吉といった戦国時代の武将たち、つまり現代に生きるぼくらよりもずっとシリアスに現実と向き合っていたひとびとが「茶の湯」を愛し、茶人を庇護してきたというのはなんとなく不思議な気がする。生死をかけて権力の座を奪い合う血なまぐさい日常と、「茶の湯」というどこかスローな儀式とのあいだの関係性がいまいち見えにくいからだ。けれども、よくよくかんがえれば「量的な豊さ」を極めようとする武人が、むしろそれゆえ「質的な豊さ」を必要としていたというのは自然なことである。天下をとるような人物は、「量的な豊さ」の有限を知っている。その虚しさを埋めるためにも、おそらく「質的な豊さ」を味わうセレモニーとしての「茶の湯」を渇望したのかもしれない。俗世を離れた極限的に小さな世界でパンパンに膨張した風船のような密度の濃い時間を過ごすことで、「量的な豊さ」に埋没しそうな自分自身をリセットしたのではないか?ちなみに、「量的な豊さ」のみに走る経営者たちの行く末については、ここ最近のニュースをみればおわかりのとおり。

生まれたときにはすでに、わけがわからないまま「量的な豊かさ」を追求する経済原理にからめとられてしまっているぼくらもまた、戦国武将にとっての「茶室」のような仕掛けをたぶん求めている。戦国武将のようにみずから進んでそうしたシステムに飛び込んだわけではないぶん、本当はぼくらのほうがずっとそういう「仕掛け」を必要としているのだ。無自覚なだけに始末が悪い。けっきょく、さまざまな「ストレス」として表面化してはじめて気づくのだ。

静かでおだやかな土地に行きたいと思って松江・出雲へと出かけたぼくは、思えばおなじ理由でフィンランドへも出かけていたのだった。ふたつの都市がもつ波長は、ぼくにとってとても似ている。それは「質的な豊さ」を実感できるという意味で似ているのであり、いってみればそこには「茶室」のような仕掛けがある、ともいえる。不意におこるその土地へ行きたいという直観には、どうやら従ったほうがいいみたいだ。

さて、22回にわたってお送りしてきたこの「松江、出雲の旅」もそろそろおしまいです(だいだい気も済んだので!?)。一応、念のためお知らせしておくと、実際の旅はたったの二泊三日でした(笑)。呆れつつも忍耐強くおつきあいくださったみなさま、ありがとうございました。