『坊ちゃん』を読んだ。
なぜ、いまさら『坊ちゃん』なのか?と問われれば、ただそこに『坊ちゃん』があったから、としか言いようがない。我が家の通称「ブックオフ行き」と呼ばれている紙袋(ただし、いまだかつてそれらが「ブックオフ送り」となった例はいちども、ない)のいちばん上で、カバーをかけられたまま放置されていた文庫本版の『坊ちゃん』をたまたま手にとってしまったのである。
だいたいここのところ、四六時中店のことをかんがえている。というか、店のことしかかんがえていない。で、かんがえているうちどんどん焦ってきて、やがて胃のあたりが痛みだす。そんなわけなので一日のうちに一時間でも二時間でも、映画を観るなり本を読むなり、なにか店のこと以外に意識をそらす時間を無理矢理にでもこしらえないと身がもたない、この先ちょっとヤバいんじゃないかと思ったのである。そう思い立って、とりあえず目についた本を手にとったところそれが『坊ちゃん』だったというわけだ。
あらためて読んだ『坊ちゃん』は、さすが『坊ちゃん』だけあっておもしろい。あっという間に読み終えてしまった。夏目漱石というひとは当時、コンサバというよりはむしろハイカラに属するひとだったと思うのだが、じっさい巷にあふれる「封建主義」のなごりを思いっきりくさしつつ、そのいっぽうでは「清(きよ)」のような「封建時代の遺物」みたいな人物に対し愛情に満ちたまなざしを注いでいる(なぜ名前が「清」なのか、納得した)。おそらく当時の日本の「近代化」は、ハイカラな漱石をもってしてもあまりに性急なものと映ったのだろう。続々と輸入される「ハイカラ」に魅了されながらも、流されてはならんと踏ん張っている、そういう「二律背反」にこの時代の「文化人」たちはみな生きていたのかもしれないし、逆にいえばそういうスタンスこそがこの時代の「文化人」がとるべき態度だったかもしれない。
それはともかく、いったいなぜ我が家に『坊ちゃん』があったのか?まあ、奥さんが買ったからにちがいないのだが。いまさら『坊ちゃん』など読む気になった理由(ワケ)を尋ねてみたい誘惑にかられなくもないが、やめておこう。どうせ「そこに『坊ちゃん』があったから」くらいな理由に決まっている。
なぜ、いまさら『坊ちゃん』なのか?と問われれば、ただそこに『坊ちゃん』があったから、としか言いようがない。我が家の通称「ブックオフ行き」と呼ばれている紙袋(ただし、いまだかつてそれらが「ブックオフ送り」となった例はいちども、ない)のいちばん上で、カバーをかけられたまま放置されていた文庫本版の『坊ちゃん』をたまたま手にとってしまったのである。
だいたいここのところ、四六時中店のことをかんがえている。というか、店のことしかかんがえていない。で、かんがえているうちどんどん焦ってきて、やがて胃のあたりが痛みだす。そんなわけなので一日のうちに一時間でも二時間でも、映画を観るなり本を読むなり、なにか店のこと以外に意識をそらす時間を無理矢理にでもこしらえないと身がもたない、この先ちょっとヤバいんじゃないかと思ったのである。そう思い立って、とりあえず目についた本を手にとったところそれが『坊ちゃん』だったというわけだ。
あらためて読んだ『坊ちゃん』は、さすが『坊ちゃん』だけあっておもしろい。あっという間に読み終えてしまった。夏目漱石というひとは当時、コンサバというよりはむしろハイカラに属するひとだったと思うのだが、じっさい巷にあふれる「封建主義」のなごりを思いっきりくさしつつ、そのいっぽうでは「清(きよ)」のような「封建時代の遺物」みたいな人物に対し愛情に満ちたまなざしを注いでいる(なぜ名前が「清」なのか、納得した)。おそらく当時の日本の「近代化」は、ハイカラな漱石をもってしてもあまりに性急なものと映ったのだろう。続々と輸入される「ハイカラ」に魅了されながらも、流されてはならんと踏ん張っている、そういう「二律背反」にこの時代の「文化人」たちはみな生きていたのかもしれないし、逆にいえばそういうスタンスこそがこの時代の「文化人」がとるべき態度だったかもしれない。
それはともかく、いったいなぜ我が家に『坊ちゃん』があったのか?まあ、奥さんが買ったからにちがいないのだが。いまさら『坊ちゃん』など読む気になった理由(ワケ)を尋ねてみたい誘惑にかられなくもないが、やめておこう。どうせ「そこに『坊ちゃん』があったから」くらいな理由に決まっている。
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