北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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moi[モイ]では、吉祥寺への移転にともないスタッフを募集します。

ちいさな、ちいさなお店ですが、カフェに興味のある方、フィンランド大好きな方、いっしょに働いてみませんか?ご興味をお持ちの方は、ぜひ下記のアドレスからメールにてご連絡ください。あらためて、くわしいご案内をさせていただきます。

◇勤務地  吉祥寺(JR、京王「吉祥寺」駅より徒歩7分)

◇仕事内容 ホール、キッチン(かんたんな調理含む)等カフェ業務全般
      物販およびイベント補助など

◇勤務時間 10時~22時 シフト制(早番/遅番)
      一日4~6時間程度入れる方

◇応募資格 20歳以上 学生不可
      経験不問ですが、責任感のある方を希望します
      週4日以上入れる方、長期勤務可能な方、大歓迎

以上、よろしくお願いします。


今回の募集は締め切らせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。
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この冬いちばんの冷え込みの中、設計してくれたRIOTADESIGNの関本さん、それにRIOTADESIGNの新戦力Sクン(ちなみにmoiの常連さんでもある)を巻き込み、朝の9時から荻窪で使っていた厨房機器、家具等の運び出しをおこない、そのまま吉祥寺へと移動し今度は新たに設置する機器の受け取りと搬入をする。

ふだんめったに口にしないドリンク剤を飲みはりきっていたのだが、どうも素人が現場をウロウロしてるのでは仕事がしづらいらしく(?)「あとは我々でやりますから、大丈夫ですよ、ほんとに」と満面の笑顔で「お役御免」を言い渡され、すごすご退散。来月オープンするというマリメッコ吉祥寺店の場所をチェックして戻ってきた。中道通りから、そのまま新「moi」の入口へとまっすぐに伸びている通称「けものみち」(?)を使うと意外にも近い(徒歩10分切る感じ)。この「けものみち」は吉祥寺の混雑を極力避けたいひとにもおすすめのルート。いずれ紹介します。

内装はここまでくるとどんどんスピードを増して完成に近づいている感じ。それに比例してこっちの気持ちもぐんぐんあせってくる・・・。厨房機器や家具が入ると、ほんと一気に店らしくなるから面白い。
《荻窪音楽祭》というイベントがひらかれている。この週末、荻窪のあちらこちらでは大小さまざまのクラシックコンサートがおこなわれる。

そこできょうは、午前中原稿の直しをしたりメールを送ったりした後で、家から徒歩5分くらいのところにある杉並公会堂でコンサートを聴いてきた。以前、常連のOサンからこの日ピアノを弾くという話を聞いていたのを思い出したのだ。

曲はサン=サーンスの「オーボエとピアノのためのソナタ」。はじめて聴く曲だ。サン=サーンスの最晩年、八十五歳のときの作品だそう。サン=サーンスといえば「保守派の頑固オヤジ」というイメージが強く、じっさい曲もロマンティックで重厚という印象だったのだが、この曲はちょっとちがう。活きのいいリズム、深呼吸するかのような旋律の大きなうねり、素朴な歌心など、老人になってむしろ若返ったような感じすらある(とはいえ、けっしてカジュアルになりすぎることはないのだが)。歳を重ねて肩から荷が下りたということなのだろうか?それとも、もしかしたら背中に羽が生えてきたせい?

おなじ年に書かれたクラリネットやバスーン(ファゴット)のためのソナタもすごく聴いてみたくなった。
荻窪の設備の取り外しはあらかた完了し、あとは月曜日に家具、それに厨房機器の運び出しが残っている。ただ、吉祥寺にもってゆくもの、家に持ち帰る必要のあるものとダンボールがまだまだ山積みだ。これは来週早々になんとかしなければ。

そんななか、きょうは原稿を書いたりした。想像以上に苦労したけれど。最近すっかり告知を怠っていたのだが、bar bossaのマスターはやしさんとご一緒させていただいている雑誌「カフェ&レストラン」の連載、まだまだ続いてます。どこかでみかけたら、ぜひ思い出して手にとっていただければ、と。

カフェ&レストラン 2007年 11月号 [雑誌] カフェ&レストラン 2007年 11月号 [雑誌]
(2007/10/19)
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アンデルジェフスキというピアニストが目の前で「ディアベリ変奏曲」を弾いている。ベートーヴェンの曲だ。場所は紀尾井ホール。

ベートーヴェンのピアノ曲といってまず思い浮かべるのはピアノソナタかもしれない。情感に訴えかけるメロディーや情熱的なパッセージ、あるいは後期の作品にみる極限まで純化された音による孤高の世界は聴くものを圧倒し、惹きつけてやまない。それにくらべると、この「ディアベリ変奏曲」というのはどうもいまひとつ分が悪い。

タイトルからも想像がつくとおり、これはディアベリ(ディアベッリ)という作曲家がつくった短いワルツを下敷きにした変奏曲集である。変奏曲という性格からすれば、独創的でインスピレーションに満ちた楽想からなる一連のソナタにくらべてどうしても退屈に感じられがちなのは無理もない。ベートーヴェン自身も、この曲で変奏曲をつくってほしいと頼まれたものの気乗りせず、しばらくほったらかしにしていたと云われている。「靴屋のつぎはぎ」。この曲を評してベートーヴェンはそんなふうにも言ったらしい。

ところが、気づいてみたらベートーヴェンはこの「靴屋のつぎはぎ」と呼んだ曲をもとになんと33曲(!)もの変奏曲を書いてしまったのである。いったい、なにが起こったのか?

料理人魂に火がついた

そうかんがえるべきだろう。変奏曲というのはそもそも、「一個の素材」をもとに手を変え品を変えする「料理のようなもの」ではないだろうか。明石でとれた天然物の「鯛」を独創的な料理に仕立てるというのは、ある意味「料理人」としてはしあわせな仕事だろう。じゃあ、手渡されたのがごくふつうの、ありきたりの「里芋」だったらどうか?

里芋かよっ

はじめベートーヴェンはそうつぶやいたのかもしれない。しかし(おそらく)途中で気がついたのだろう。「里芋」で極上の一皿をつくってみんなの度肝をぬかしてやろう。それでこそ一流の料理人じゃないか、と。そうして、一個の「里芋」は33皿もの料理として新たないのちを吹き込まれた。「エッ?これ、ほんと里芋ですかぁ?」そんな眞鍋かをりの感嘆の声もきこえてきそうである。

しかしここが難しい。「里芋」は「里芋」だ。15品めともなると、さすがに驚きを通り越して飽きてくる。「せめてジャガイモありませんかぁ?」さすがの眞鍋かをりも当惑気味である(かたわらで、ギャル曽根だけは黙々と食べつづける)。それはともかく、なにが言いたいのかというと、変奏曲にいちばん重要なのは「ライブ感」だということだ。器にきれいにもられた完成作だけでなく、一個の「里芋」がザクザク刻まれ、こんがりソテーされ、あるいはぐつぐつと煮込まれることでいままさに驚愕の一皿に生まれ変わらんとするそのプロセス、その躍動感を想像させることができなければ、この60分ちかくにもおよぶ33の変奏曲を一気に聴かせることは無理といっていい。

「うわぁセンセー、いっそこのまんま食べさせてほしいわぁ」と思わず調理の途中で口にしてしまう、上沼恵美子のあの感じを思い出してほしいのだ。じっさいベートーヴェンは作曲家としての名声を確立するよりはるか以前から、貴族のサロンなどを中心に「ピアノの名手」として名をはせていた。とりわけその初見演奏の腕前と自由自在な即興演奏で人気を博していたという。いきなり誰かから手渡された一個の素材をあっという間に思いもつかないような見事な作品に仕上げてしまう、そういういわば華麗なる天才料理人ぶりを夜な夜なあちらこちらで見せつけていたわけであって、禁欲的かつシリアスな姿勢でソナタを作曲するのとはまたべつの、そういうベートーヴェンのある一面をもっともよく伝えてくれているのがこうした変奏曲だと考えられる。

さて、では今夜の「ディアベリ」はどうだったか?CDで耳にしてきた並み居る巨匠たちの演奏よりも、もちろん全部が全部とはいわないまでも、ぼくにははるかに面白く感じられた。何人かの「巨匠」たちの演奏ではいまひとつ伝わりづらかった「ライブ感」が、たしかにそこには感じられたからにちがいない。全般にフレッシュ、ときに大胆でときに繊細、そうした振幅の広い演奏のせいだろう。最後の変奏、34曲目などはまさに口直しのシャーベットのようだったのだ。

Beethoven: Diabelli Variations Beethoven: Diabelli Variations
(2001/07/03)
Virgin

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書き忘れていたのを思い出してしまったのでいまさら書くのだが、京都では、ホテルのならびにある《古今烏丸》という商業施設で全館を挙げて「COCON×フィンランド」というイベントをやっていた。

インテリアショップの「ACTUS」でイーッタラの特集をしていたり、京都精華大学が運営している「shin-bi」というショップでも映像を使ってフィンランドの若手デザイナーたちの紹介をしていたり、あるいはACTUSがやっている「スーホルムカフェ」でも特別メニュー(グロギとか)を出していたりといった具合。ほかに映画館でも『かもめ食堂』を上映していたりしていたのだが、いちばん力が入っていたのは「lisn(リスン)」だった。

「lisn」というのは(知っているひともいるだろうが)「松榮堂」という老舗がやっているお香屋さんである。以前から北山のコンクリート打ちっ放しのビルにコム・デ・ギャルソンのショップのようなスノッブな雰囲気の店があったのだが、その後表参道や四条烏丸の《COCON》にも出店し、なんと昨年には(まったく知らなかったが)ヘルシンキにまで進出したらしい(反応はどうなのだろうか・・・)。そんな関係もあってか、今回はフィンランドの若手デザイナーたちにオリジナルの「お香立て」のデザインを委嘱するという試みをしたのだという(くわしくはこちら→●をどうぞ)。なかでは、さすがSyrup Helsinkiが「おしゃれな北欧」という日本人ウケする線をしっかり押さえているなあという印象。個人的にはもっと無骨なCOM-PA-NYのほうによりスオミっぽさを感じてしまうのだが。ほんとうは、フィンランドをイメージした香りとか期待していたのがそういうのはなかったのがちょっと残念。

ほかには散歩の途中、寺町通り二条下ルの「MAISEMA(マイセマ)」というフィンランド物中心のアンティークショップをのぞいたり・・・けっきょくどこに行ってもフィンランドから離れられないのだった。
荻窪時代からなにかとお世話になっているイラストレーター、みやまつともみさんの貼り絵と銅版画展「みやまつともみのスケッチブック」がいま吉祥寺でひらかれています。会場は、あたらしいmoiの目と鼻の先にあるギャラリーfeveさん。打ち合わせを終えたその足でさっそく行ってきました。

みやまつさんというと、これまで椅子とか生活まわりの道具といった「静物」を好んで描かれている印象があったのですが、今回の展示ではこれまで以上にサカナとか牛、象といった「いきもの」をモチーフにした作品がたくさん登場していて新鮮でした。かつて水族館で研究職についていたというプロフィールの持ち主だけに「サカナ」の緻密さは圧巻ですが、個人的には「牛」のからだの感じと貼り絵の質感がぴったりと合っているように思いました。ほかにも、版を重ねて色をつけてみたという銅版画もこれまで以上に雰囲気がでています。

今週土曜日17日までの開催(あす水曜日はお休み)とのことですので、ぜひお散歩がてらご覧になられることをおすすめします。
miyamatsu2007


ファサードや壁面の色を決めるため現場へ。画像は、客席部分からキッチン方向を見たもの。ちょっと見ない間にだいぶ店らしい姿になってきた。
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色見本で選んだカラーは、職人さんがいくつかの色を混ぜ合わせてその場でこしらえてくれる。様子をみながら薄めにしたり濃くしたりと微調整も思いのまま。すべてがすべて、こんな具合にひとの手を介して作られるのだからある意味(こんなご時世に)ぜいたくな話だ。お金がかかるのも当然か・・・(ため息)。
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spoooon

片づけは続いている。引っ越しにつきものなのは、なんじゃこりゃ?!というモノがどこからともなく姿をあらわすことである。

たとえばこれ、三本のスプーン。しかもなぜか柄の部分がぐにゅっと曲がっている。そうかんたんに曲がるようなものじゃないのだけれど。いったいどうして?こんなことするのは、だいたいユリ・ゲラーかエスパー清田くらいにきまっている。が、ユリ・ゲラーかエスパー清田がmoiにやってきた憶えはないし。

ていうか、ユリ・ゲラーだってエスパー清田だって、なにも行く先々でスプーンを曲げているワケじゃあないだろう。ナゾは深まるばかりである。ま、そんなことよりもちゃっちゃと片づけろという話だ。
話は前後するが、秋に京都へ行ったのは二度目のことだ。十年くらい前、遅い「夏休み」で来たときは一週間ずっと京都にいて、これといった予定も立てずぶらぶらとコーヒーを飲んだりレコード屋をひやかしたり、ときには神社仏閣まで足をのばしたりとひとり気ままにすごしたのだった。おかげで、京都市内だったらたいていの所へは地図なしでたどりつく自信がある。

ところで、京都では広隆寺にも行った。広隆寺も二度目で、やはり秋だった。もちろんお目当ては有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」で、建物の中は修学旅行の学生たちでとてもにぎやかにもかかわらずなぜかその仏像の周囲だけは空気がしんと静まりかえっているように感じられて不思議だったことをおぼえている。今回は微妙にオフシーズンだったのか広隆寺の広い境内は閑散としていて、「弥勒菩薩像」のある建物も人影はまばらだ。

正直なところ、ぼくはとりたてて「仏像」に興味はない。前ここにきたのも「なんか有名だからとりあえず」といった程度の理由だし、今回は今回で奥さんが見てみたいというので来たにすぎない。でも来ちゃったのである、しかも空いているのだ。せっかくだからゆっくり見てみよう、そう思い正面に立ってじっくりと眺めてみた。

それとなく気づいてはいたのだが、よくよく見るとこの「弥勒菩薩半跏思惟像」はものすごく華奢な体つきをしている。女の子のようというか、いまどきの女の子のほうがもっと骨格も肉づきもいいんじゃないか。ウェストなんてすごく細くて平べったい。しかも小首をかしげているのでいっそう頼りなげに映る。ところがである。この「弥勒菩薩」は小首をかしげつつ頬に手をあてて「どうしたらすべてのひとびとを救うことができるのか」と考えているのだという。そんな壮大なこと考えちゃって大丈夫なんだろうか?だって、そのカラダですよっ。

子供のころ、さんざん特撮ヒーローもので育った世代としては「救うもの」に対してはそれ相応のイメージがある。重要なのは、いかにも「救ってやるぞ」という気合いがバシバシ伝わってくるような迫力である。そういったパッションが、どこからどうみてもこの「弥勒菩薩」からは伝わってこないのである。いにしえのひとはどうしてもっとマッチョなキャラの「弥勒菩薩像」にしなかったのだろう?

それはたぶん、「救い」ということに対するとらえかたのちがいなのだろう。仏教の「救い」についてはまったくなにも知らないのだが、すくなくとも座礁した船から投げ出されたひとをぐぅわああーと荒れ狂う海に飛び込んで助け出すといった意味での「救い」でないことはわかるし、ボランティアとして地震の被災地におもむき疲れ切ったひとたちを元気づけようと長渕剛の「乾杯」を熱唱するといった意味での「救い」でないこともたしかだ。へこんでいるとき、無理矢理元気づけようとあれこれ頑張られるよりも、こちらの話にじっと耳を傾けてもらうだけでかえって気分も軽くなり現実に立ち向かう気力もわいてくる、といったことがある。腕力ではなく、そういう包みこむような愛による「救い」、いわゆる「慈愛」についてこの華奢な仏さまは伝えようとしているのではないだろうか。

ところで近ごろは、線の細い華奢な男子がウケるのだろうか?街を歩くカップルをみてそう思うときがある。広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」を眺めていたらそんなことを思い出したのだ。となると、イマどきの女子は男子に腕力よりも慈愛を求めているということになるのだけれど・・・。そういえば、そんなカップルはやっぱり圧倒的に女子がしゃべりまくっていて男子はひたすら聞き役に徹している。もちろんその表情にはアルカイックスマイルをたたえて。

写真は、京都にでかけたときの「定番」になりつつある荒神口の「かもがわカフェ」。こういうお店はやはり、京都ならではと思うのだ。自家焙煎のコーヒーもおいしい。
kamogawacafe

20071109

重い腰をあげて、きのうから荻窪の片づけに明け暮れている。ちいさい店ゆえ楽勝などということはまったくなく、このちっちゃなお店のいったいどこに!?というくらいいろいろな物があちらこちらから出てくるのだった。それはともかく、思った以上に手こずったのが「ホームエレクター」というワイヤーシェルフの解体。ハンマーでぶっ叩いて取り外すのだが、負荷がかかればかかるほどガッチリ食い込んで安定するという構造ゆえ叩いても叩いてもびくともしない。半ベソかきながらやっとのことで一段クリア・・・でもまだ残り六段もあるし・・・。それでもだんだんコツがわかってきてなんとか無事解体し終えたのだが、おかげでカラダの節々が痛い。

この後、工務店が入り吉祥寺でも引き続き使用する設備の取り外しがあり、今月末には解体・明け渡しの予定。日曜日じゅうにはなんとかメドをつけなきゃ。というわけで、感傷に浸っているひまもなし。
慰安旅行

駆け足で京都へ行ってきました。写真をごらんいただければわかる通り(!?)「社員慰安旅行」です。また、しっかり働いてもらわなきゃなりませんからね・・・。

今回は、あまり時間もなく思ったほど回ることができなかったり、お気に入りの喫茶店の味がじぶんの好みとはちょっと違う方向にシフトしてしまっていたり、体調がいまひとつだったりといろいろありましたが、カフェ大好き大阪人にしてmoiの常連さんでもあるマンマンデーさんイチ押しのELEPHANT FACTORY COFFEE SHOPがとてもすばらしく、そんなモヤモヤした気分を吹き飛ばしてくれました。

コーヒーを口にふくむと一瞬ふわりと日だまりの匂いがします。けっして堅苦しいというワケではないけれど、すべてにおいて「節度」の守られた気持ちのよいお店。きっと「社員」も満足してくれたことでしょう。

「社員」のプロフィールはこちら→●
moi_ogikubo

本日をもちまして、ここ荻窪での営業は(完全に、そして本当に)終了いたしました。

最後に顔を出してくださった常連のみなさま、偶然お越しいただき驚かせてしまったみなさま、遠方からお越しくださったみなさま(大阪&韓国!)、そして都合がつかず顔を出すことができなかったというみなさまも、ほんとうにありがとうございました!

荻窪のお店はこれでなくなりますが、みなさんと過ごした楽しいひととき、その笑顔、笑い声、たまに涙、もぜんぶ心にしまいこんでどっこらしょっと新しい街へ向かいます。

では、吉祥寺でお会いしましょう!


2007.11.4  moi店主

photo Shuhei Nezu(C)
hikarigaokapark

実家に帰るにはふたつの方法がある。ひとつは最寄りの地下鉄の駅から歩く方法、もうひとつはすこし離れたべつの地下鉄の駅で降り公園を横切って帰る方法である。前者なら歩いて十分足らず、後者だと二十分はかかる。なので、ふつうは前者のルートをとるのだが、気候のいいいまなら断然後者のルートに限る。

公園はとても広い。それもそのはず、そこにはかつて飛行場があったという。その後、終戦とともに米軍に接収され「グラントハイツ」という将校住宅になった。「No Entry」、つまり1973年までそこは「アメリカ」だったのだ(当時の写真が見れる貴重なサイトはこちら→●)。80年代になってそこには広大な公園を取り囲むようにしていくつもの団地群が建ちはじめ、それと同時に我が家もここにやってくる。

じっさい入居したてのころ、そこにはまだまだ「アメリカの匂い」が残っていた。錆びた英語表記の交通標識が傾いて立っていたり、なんの変哲もないひなびた風情のたばこ屋の店名が「バニー商会」だったり……。すでに閉じてはいたが、近所に「FUJI」というロゴの看板がついた木造の建物があり、後から知ったことだがそれは「グラントハイツ」に暮らしていた米兵相手の「みやげもの屋」だったそうだ(いってみれば原宿の「オリエンタル・バザール」みたいなもの?)。「FUJI」の並びにはちいさなアンティークショップもあった。ぼくがそこにやってきたころにはまだ店を開けていて、ショーウィンドウ越しにみえる巨大な手のひらのかたちをした真っ赤なオブジェが強烈だった。おぼろげにベルトイアの椅子もあったような気がする。おそらく、帰国した米兵たちが処分していった家具やインテリア類を売りさばいていたにちがいないが、まだ高校生になったばかりの少年には敷居が高く足を踏み入れられないままやがて店をたたんでしまった。いまにして思えば、もったいないことをした。

それから二十年あまりの月日が過ぎ、いまやそこはすっかり「日本」になった。「アメリカの匂い」なんてどこを探してもみあたらない。不思議な感じだ。夢をみていたような気分。サリンジャーやアップダイクが好きで、公園を「セントラルパーク」に見立ててぶらぶらと散歩しながら「学校行きたくねぇ~」なんて呟いていたちょっとイタい高校生だったあの頃……なんだったんだろう?あれは。
あす土曜日、あさって日曜日、週末営業をさせていただきます。いよいよ今週が荻窪でのラストになります。

メニューは

ドリンクとシナモンロールのみ

シナモンロールは売り切れ次第終了となります。ご了承ください。

営業時間は

13時より19時まで

となります。お時間のある方、ぜひお立ち寄りください。お待ちしております。
「植草甚一の展覧会やってますよ」という常連おくむらクンの言葉を思い出し、荻窪からバスにゆられて世田谷文学館まで行ってきた。

はじめて植草甚一のことを知ったのは、まだ高校に入りたてのころだった。愛読していた「LOO」というおかしな雑誌でとりあげられていたのだ。本の山に埋もれるようにしてこちらを見ている奇矯な風体の小柄な老人、その写真からはちょっとありえないような異様なオーラが放たれていた。ミステリーもジャズもシュールなイラストも、彼が語る興味の対象はどれも当時のぼくには縁遠いものだったけれど、それでも彼がものを語るときの語り口、その独特の文体には刺激を受けた。まるで喫茶店で友だちを前に世間話しているかのような口調で話がはじまったかと思うと、話題は突如なんの前触れもなく方向転換する。終わり方にしても唐突で、飽きてしまったので切り上げましたと言わんばかりだ。なんかいい加減な気もしなくはなかったが、かえって昔から集中力に乏しかったぼくにとっては好都合、さらっと読み進めたのである。

それからずっと今にいたるまで、折りにふれ「植草甚一」という人物と「出会って」きた気がする。それは本人であるときもあれば、彼から影響を受けた「子供」だったり「孫」だったりすることもあった。音楽にせよ映画にせよ美術にせよ文学にせよ、ちょっとカッコいいなあとか面白いなあと思わせるもので彼の「あしあと」が残されていないものはないんじゃないか、そんなふうにさえ感じられるのだった。

以前、はたらいていた場所で『ジャン・コクトー展』が開かれそれにあわせてトークイベントを企画したことがあるのだが、そのときイラストレーターの安西水丸さんがコクトーについてこんな印象を語っていたのがおもしろかった。もうずいぶん前でちょっと記憶もあやふやなのだが、だいだいこんな感じでまちがっていないと思う。つまり、なにかおもしろそうな匂いがして行ってみると、いつも必ず先回りしてそこにいるような気に障るヤツと。植草甚一というひとも、ある意味まあそんな「偉大なる目の上のタンコブ」なんじゃないだろうか?偉大な親をもった子供が伸び悩むように、七十年代以降、八十年代、九十年代と時は過ぎても、いまだある種のひとびとにとって「植草甚一」は乗り越えるべき存在でありつづけているし、結局のところ乗り越えられないまま「植草甚一のへたくそなコピー」に甘んじざるをえないジレンマに苦しんでいるような気がする。

展示されている原稿にほとんど書き損じがなく感心したり、意外にも蔵書をカード化してきっちり分類していたり、森村泰昌に先んじること四十年ちかく、すでに「モナ・リザ」に扮していたり(笑)と、いろいろ興味深い発見もあったのだが、そういった個々の印象よりも漠然といろいろなことを思い出したり考えさせられたりした展示だった。

●展示「植草甚一 マイ・フェイヴァリット・シングス」は11/25(日)まで世田谷文学館にて開催中。
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