
実家に帰るにはふたつの方法がある。ひとつは最寄りの地下鉄の駅から歩く方法、もうひとつはすこし離れたべつの地下鉄の駅で降り公園を横切って帰る方法である。前者なら歩いて十分足らず、後者だと二十分はかかる。なので、ふつうは前者のルートをとるのだが、気候のいいいまなら断然後者のルートに限る。
公園はとても広い。それもそのはず、そこにはかつて飛行場があったという。その後、終戦とともに米軍に接収され「グラントハイツ」という将校住宅になった。「No Entry」、つまり1973年までそこは「アメリカ」だったのだ(当時の写真が見れる貴重なサイトはこちら→●)。80年代になってそこには広大な公園を取り囲むようにしていくつもの団地群が建ちはじめ、それと同時に我が家もここにやってくる。
じっさい入居したてのころ、そこにはまだまだ「アメリカの匂い」が残っていた。錆びた英語表記の交通標識が傾いて立っていたり、なんの変哲もないひなびた風情のたばこ屋の店名が「バニー商会」だったり……。すでに閉じてはいたが、近所に「FUJI」というロゴの看板がついた木造の建物があり、後から知ったことだがそれは「グラントハイツ」に暮らしていた米兵相手の「みやげもの屋」だったそうだ(いってみれば原宿の「オリエンタル・バザール」みたいなもの?)。「FUJI」の並びにはちいさなアンティークショップもあった。ぼくがそこにやってきたころにはまだ店を開けていて、ショーウィンドウ越しにみえる巨大な手のひらのかたちをした真っ赤なオブジェが強烈だった。おぼろげにベルトイアの椅子もあったような気がする。おそらく、帰国した米兵たちが処分していった家具やインテリア類を売りさばいていたにちがいないが、まだ高校生になったばかりの少年には敷居が高く足を踏み入れられないままやがて店をたたんでしまった。いまにして思えば、もったいないことをした。
それから二十年あまりの月日が過ぎ、いまやそこはすっかり「日本」になった。「アメリカの匂い」なんてどこを探してもみあたらない。不思議な感じだ。夢をみていたような気分。サリンジャーやアップダイクが好きで、公園を「セントラルパーク」に見立ててぶらぶらと散歩しながら「学校行きたくねぇ〜」なんて呟いていたちょっとイタい高校生だったあの頃……なんだったんだろう?あれは。
