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北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。
十月十日である。

十月十日といって「体育の日」を思い出すのは、もはや「昔のひと」かもしれない。いまや十月十日はふつうの日、「ハッピーマンデー」とかいうワケのわからない制度のせいである。だいたい、月曜日というとブルーだったり(←NEW ORDER)哀愁が漂っていたり(←ゲルドフ)するものとかんがえがちな「昔のひと」からすると、そもそも月曜をハッピーにしようだなんてことからして形容矛盾みたいなもの、ちょっとした神への冒涜と思わずにはいられない(どこの神に対してかは知らないけれど)。

たとえばことしの場合、十三日の月曜日が「体育の日」にあたる。でもどうだろう?十三日に、「ああ、きょうは体育の日だなあ」とかんがえるひとはいったいどれだけいるのか?たいがいのひとはこうかんがえるんじゃないだろうか?「きょうは三連休の最後の日だ」。不思議なのは、どういうわけか祝日にも「動かしてもいい祝日」と「動かしちゃダメな祝日」があることで、個人的には「動かしてもいい」ような祝日はほんとうのところ「祝日」である必要はあるのだろうかとすら思ってしまうのだった。

それにしても、「十月十日」が誕生日のひとはどうなのか。ひとから誕生日を尋ねられるたび、間髪入れず「体育の日」と答えていたようなひとは、いったいこの事態にちゃんと対応できているのだろうか?「体育の日。あっ、いや、いまはちがっちゃったけどね」などと言っては淋しい思いをしているんじゃないだろうか?そうかんがえると心が痛む。余計なお世話と知りながら、なにか代わりになる「記念日」らしきものを用意してあげてはどうだろう。

十月十日・・・じゅうじゅう・・・で、鉄板焼きの日。とおとお・・・TOTO・・・で、トイレの日。慰めにはほど遠い。

ちなみにぼくは「ひなまつり」です。
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