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北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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年末といえば「第九」。

べつにそんな習慣、持ち合わせているわけではないのだが、最近はなかなか行きたいライブにも行けないのでせめて年末くらいはと、すみだトリフォニーホールまで「第九」を聴きにいってきた。

指揮者の広上淳一新日本フィルの組み合わせによる「第九」は以前にもいちど聴いている。そのときの演奏は作曲家マーラーによる編曲版での日本初演というちょっと風変わりなもので、クリムトの『接吻』ばりにキンキラキンの「第九」をここぞとばかり広上がブンブン腕を振り回し、指揮台の上でぴょんぴょん跳びはねながらオーケストラを煽りに煽り立てめちゃくちゃ面白かった(ちょっと調べたら一九九二年、なんと十六年も前の話だった)。

ことしの「第九」はふつうの「第九」。変な言い方だが。そして広上の指揮もここ何年かでだいぶ変わった。かつてのように力まかせにオーケストラをドライブするようなことはなくなり、あくまでも作品がもつ音楽の流れを大切にしつつ、同時に細部に彫琢をほどこしてゆく感じ。指揮のアクションも、(これでも)かなり控えめになった。

演奏の好みというのもまたコーヒーの味の好みといっしょで、いいとかわるいとか一概に言えるものではないけれど、広上の指揮ならできればべつの、もうちょっと音に厚みのあるオーケストラとの組み合わせで聴いてみたかったというのも正直ところ。広上淳一という指揮者は、思うに、このあいだのコロンバス交響楽団の音楽監督辞任をめぐる騒動からもわかるとおり、こっちがもどかしくなるほどに愚直なひとである(福山雅治のCM風に言えば「自分、不器用だな」といったところか)。指揮者というのは競馬の騎手とおなじで、よいウマに乗って勝ち星を重ねることで初めてその才能が正当に評価されるようなところがある、とぼくは信じている。その意味で、よいウマにありつくために器用に立ち回るということもまた(じぶんで音を出すことのできない)指揮者にとっては不可欠な才能のひとつなのかもしれない。じっさい、器用さで実力を上回るポストを得たようにさえみえる指揮者だっているのだ。だから、今後おそらく日本で広上の演奏に触れるチャンスは増えるだろうけれど、その才能を評価する者にとってはうれしいような悲しいような、ちょっと複雑な心境だったりするのである。

もし、オーケストラを生で聴いてみたいけれどどの演奏会に行ったらいいかわからないというひとがいたら、個人的には広上淳一がタクトをとるコンサートをぜひおすすめしたい。とりあえず、このブレンド絶対おすすめだから飲んでみて、というくらいのノリでおすすめしておこうと思う。
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