北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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9月より、フィンランド風シナモンロールを平日限定で復活します!

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フィンランドの家庭でお母さんが子供たちのために焼く素朴でやさしい味のシナモンロールは「コルヴァプースティ」という名前で親しまれ、日本でも映画「かもめ食堂」ですっかりおなじみとなりました。

moiのシナモンロールはフィンランドの友人から教えてもらったレシピをベースに、現地で食べておいしかったシナモンロールの味なども参考にしつつ、焼いてくれるスタッフとともにああでもない、こうでもないと言いながらオリジナルの味に仕上げた自信作です。


提供は、


月曜、水曜、木曜、金曜の平日のみ


また、焼くことのできる数が少ないため、大変申し訳ないのですが


イートインのみ


のご提供とさせていただきます。なお、売り切れの際にはご容赦ください

ご来店の折にはぜひお試しください。お待ちしております。
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先日お知らせしましたとおり、『フィンランド光の旅 北欧建築探訪』(プチグラパブリッシング)の刊行を記念しまして、著者の小泉隆さんによるトークイベントを開催します!

小泉隆さんがフィンランドで出会った「光」。その「光」と調和した美しい佇まいの建築の数々。

建築家として、教育者として、そしてひとりの旅人として、小泉さんが見たフィンランドの建築を書籍では掲載できなかった秘蔵写真もまじえてご紹介しつつ、お話ししていただきます。また、翻訳を手がけた坂根シルクさんからはフィンランド人の視点から語っていただく予定です。。

あわせて、リゾネーターギター(ブルースなどの演奏に用いられるアコースティックギター)奏者でもある小泉さんと、この本で翻訳を担当されている坂根シルクさんによるミニライブもおこないます。こちらは、かつてフィンランドの合唱団で歌っていた経験をもつシルクさんによるフィンランド民謡や本のなかでも紹介されている「光」をめぐって書かれたフィンランドの詩の朗読など、お聴きいただきます。

どうぞふるってご参加下さい!



『フィンランド光の旅 北欧建築探訪』刊行記念トークイベント&ミニライブ


●日 時  2009年9月9日(水) 19時30分 START
●会 場  吉祥寺 moi[カフェ モイ]
●出 演  小泉 隆(九州産業大学工学部建築学科教授)
      坂根シルク(翻訳/通訳/コーディネート)
●参加費  1,800円(1ドリンクつき)
●主 催  プチグラパブリッシング / moi[カフェ モイ]



▲ 8/31

おかげさまをもちまして、受付終了とさせていただきました。ありがとうございました。
夏バテなのだろう、今週は胃腸がやられ気味でしんどいスタートだった。おまけに先週の終わりくらいから足首の筋を痛めていて、買い物するにも不自由な思いをしている。

そんななか、きのうは閉店後にやっているフィンランド語教室がお休みだったので、いつもより早めに切り上げて所用のため原宿まで出かけた。帰り道、ふだんなら竹下通りを抜けて原宿駅まで行くところだが、混雑した山手線に乗るのがうっとうしかったのと思いのほか夜風が気持ちよかったので、足はちょっと痛かったが、ぶらぶらと千駄ヶ谷駅まで歩いていったのだった。

ところが、千駄ヶ谷に近づくにつれ何かいつもと様子が違うのに気がついた。ふだんは人もまばらな駅前が、大勢の人々でごったがえしているのだ。改札に入れない人々はロータリーまであふれ、それを警官や警備員たちが懸命になってさばこうとしている。なかには電車に乗るのをあきらめて、道ばたに座り込んで弁当を広げている若い子までいる始末。

なんなんだ、これは! もしや、「ともだち」? とつねに流行に敏感なぼくは思ったのだが、不思議なのはその群衆がみな女性、しかもほとんどが若い女の子というところである。だいたい、「ともだち」なら忍者ハットリくんのお面とか人差し指と目を組み合わせたシンボルマークのグッズとか持っていそうなところだが、彼女らが一様に手にしているのは「うちわ」だったりポスターだったり、まあ、そんな品々である。そしてよくよく見て気づいたのだが、それは









だった。国立競技場でおこなわれた「嵐」のコンサートの終演時間に、運悪くぶつかってしまったのだ。やむなく千駄ヶ谷から電車に乗るのを断念し、ひとつ先の代々木まで歩くことにしたのだが、けっきょく痛い足を引きずりながら新宿まで歩いてしまった。もう、ヘトヘトである。

そこで「嵐」にお願いしたいのだ。できれば来年は、もうすこし離れた場所でライブをやってはもらえないものだろうか。



たとえば、「悪石島」あたりで。
すでに今年も三分の二を終わろうかというときに何だが、ぼくにとって今年は

修業の年

ということになっている。一年が半分くらい過ぎようかというとき、それに気づいた。なんだかいつもの年よりいろいろなことが、いいことも、ちょっと大変だなぁとかイヤだなぁということも含め、たくさん起こるのだ。でも、いったん「修業の年」と割り切ってしまえばいろいろなことが起こるのも至極当然な気がして、「まあ、仕方ないよね、修業の年だしね」と思って(わりかし)平常心でいられるようになった。こうしてだんだん肝が据わってくるんだろうな、と思ってみたり。

そう思えば、来月予定されているピロイネンカフェ@casE galleryでのトークイベントなんか、まさに「修業の一環」としか言いようがない(笑)。ひとりで、しかも一日2セッションだ(!)。いままでだったら、「無理です!」と笑顔で即座にお断りしていたような話である。来月は準備のため、ちょっと森にこもってこようかと思案中(笑)。

それにしても、なかなかおもしろかったのは、七月に府中まで散歩に行ったときのことだ。せっかく近くまできたのだからと、有名な大國魂神社を参拝することにしたのだった。そしてめったに引いたことのない「おみくじ」を、たぶん十年ぶりくらいに引いてみたところ出たのはなんと、

大吉。

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おおおっ、とかなりテンションが上がったものの、よくよくみるとその内容ときたらひどくネガティブな「大吉」なのだった。

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特に「商売」のところ。ひとをこんなに腹立たしい気分にさせる「大吉」も珍しい。

とはいえ、見れば見るほど、またなんとも「修業の年」にふさわしい内容ではある。おまけにご丁寧なことに、「真の楽しみは名誉にも地位にもない」といったような警句まで書かれている。日頃から、お店を続けられて、人並みか、それよりちょっと劣るくらいの暮らしができていれば、まあよし、と思って生きてはいるのだが、ここまではっきりと「あんた、残念だけど名誉や地位には縁がないね」と宣告されてしまうと、それはそれでさすがに複雑な気分にもなるというものだ。せめて六本木あたりに「自由に使っていい部屋」のひとつも恵んではもらえないものだろうか?

まあ、いくらたくさんのメディアに露出して名前は知ってもらえたとしても、けっきょくこの商売、じっさいにお店に足を運んでもらいお茶してもらわないことにはなんの意味もないわけで(なので、遅かれ早かれ気になった方は絶対一度は遊びにいらして下さいっ!)、たびたび足を運んでくださるお客様とちょっとした会話を交わしたり、イベントに来てくださったお客様と同じひとつの時間を共有したりすることのほうがはるかに楽しく、実のあることであるのもまた事実。となれば、日々の自分の「立ち位置」をあらためて教えてくれているおみくじの「警句」も、ひどく真っ当で、なかなか「修業の年」に似つかわしい、そう言っていいんじゃないだろうか?
あす8/28(金)は、都合により

18時30分閉店(ラストオーダー18時)

とさせていただきます。ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。
立場上? こんなふうに言うのもどうかと思うのだが、ここ最近は北欧について書かれた本や北欧を特集した雑誌にどうも食傷気味というか、前のようには反応できなくなっている自分がいて、なんとなく本屋さんなどで見かけても手にとらない、そんな日々がつづいていた。

そんな折、北欧の深いところにそっと、遠慮がちに手を触れるような美しい本と出会った。小泉隆さんの写真と文による『フィンランド 光の旅 北欧建築探訪』である。

フィンランドの建築家たちの手になるたくさんの教会や博物館、図書館や劇場といった公共建築、それにサウナ小屋や氷の城といったさまざまな「たてもの」を紹介するこの本の「主役」は、でもじつは「たてもの」であるよりはむしろ「光」、なのである。

この本を静かにめくっていると、フィンランドのひとびとがいかに「光」を慈しみながら日々暮らしているか、手にとるように伝わってくる。「たてもの」は「光」を導き入れる装置であり、教会は「絶対なるもの」としての「光」を感じ、対話するための空間である。そしてまた氷や雪の白でさえ、ときにフィンランドのひとびとは「光」に変えてしまうのだ。そう、フィンランドの建築家は、「光の調律師」でもあるのだ。

けっして声高に叫ぶわけではないけれど、フィンランドを旅しながら「光」を《発見》し、そのつど深く感動している小泉さんの興奮がこちらにまで伝わってくるような一冊である。




そして、




この『フィンランド 光の旅 北欧建築探訪』の刊行を記念して、著者の小泉隆さんによるトークイベントをプチグラパブリッシングさんとともに開催させていただくことになりました。9/9(水)の夜となりますが、お申し込み方法などくわしくはまた決定次第こちらのブログにてご案内させていただきますので、どうぞお楽しみに!

フィンランド光の旅―北欧建築探訪フィンランド光の旅―北欧建築探訪
(2009/08/10)
小泉 隆

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今週はワケあって(?)いつもの倍ご用意していたのですが、キャロットケーキ早々に完売してしまいました。

日、月、それに水曜日のお客様、ごめんなさい!

porkkanakakku

あまり日本ではなじみがないせいか、キャロットケーキというとなんとなく「引き気味」のお客様も少なくないのですが、一度召し上がっていただくとお気に入りにしていただける確率がかなり高いようです。うれしいことです。

なお、次回は木曜日の予定です。
雑誌「カフェ&レストラン」9月号が発売中です。

連載させていただいている「CAFEをやるひと×BARをやるひと」も、気づけばなんと31回目。そろそろゴールが見えてきた感じです。

今回のテーマは、「原価率って?」。

飲食店にとって原価率をいかに下げるかは永遠の課題であるいっぽう、ちいさなお店にとってはあえて原価率を高めにとることでそれを個性に結びつけるというのもひとつの方策だったりします。そのあたり、ちいさなカフェやちいさなバーの店主はどうかんがえているのか、そんなお話です。

ちなみに特集は「カフェフードの"いま"」。

フードで個性を出すというよりは、むしろカフェというよりは専門店のような本格的なメニューで売る店が増加中のようです。

カフェ&レストラン 2009年 09月号 [雑誌]カフェ&レストラン 2009年 09月号 [雑誌]
(2009/08/19)
不明

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時間をつぶそうと、駅にほどちかい、やや古めかしい感じのする喫茶店に入った。

カフェオレをたのんで文庫本をひらくも、なにかいまひとつ落ち着かない。青くライトアップされた天井のせい? やけに入り組んで配置された座席の、それとも窓辺に飾られたファンシーなクマさんの置物のせい? などとかんがえていたのだが、後から入ってきた客たちは、常連なのだろうか、みな落ち着き払ってのんびりくつろいでいる。

そう、要ははじめて入ったお店だから落ち着かなかったのだ。いやむしろ、はじめて入ったカフェや喫茶店で落ち着けることのほうが「奇跡」なんじゃないだろうか? そんな基本中の基本(?)をうっかりぼくは忘れていたのである。

そもそも、個人経営が多いカフェや喫茶店というのは、(moiも含め)よくもわるくもインティメイトな空間になりやすい。なので、

はじめて足を踏み入れるときは恐る恐る緊張しながら、

二度目には平常心で、

そして

三度目には居心地よく、

そんな「三段活用」を要するのである。一回入っただけで「居心地悪かった」と結論づけるのは、だからおっちょこちょいの言い草なのだ。三回目には、もしかしたら自分にとって「最高に居心地いい場所」に変わるかもしれないのに。

もちろん、ス○バもド○ールもファミレスもホテルのラウンジも、おっちょこちょいにはやさしい場所である。趣味性をばっさり削ぎ落とすことで、だれにとっても、どこで入っても、はじめて入っても「それなりに落ち着ける」、そういう空間を意図してつくられているからである。

でも、そういう場所ではなんとなく物足りない、味気ない、そんなふうに感じるひとは例の「三段活用」(あるいは「三度目の正直」)を信じて

気になる店には三度通え

の「公式」を実践すべき、そう思うのである。
8月から年末までってアッという間ですよね。

そうKさんに言われてびっくりした。言われてみればたしかに8月ってまだ一年の折り返し地点のような感覚だが、じつのところは一年の2/3が終わろうとしているのである。

あせる。ひどく、あせる。

夏休み終盤の、いろいろかんがえるうち思わず「あ"ー」と声をあげたくなるようなあの感覚、それをいまさら、この歳にして味わうことになるなんて・・・




お盆休みも明け、冗談みたいに静かな夏の午後である。
相変わらず地震のことをかんがえている。

大気中のイオン濃度変化を観測することで地震予知につなげようと試みているあるグループは、8月末から9月末にかけてM8規模の地震が関東南部で発生する可能性があることを公表している。

そこで思うことはやっぱり、なんとか地震の前兆を自分なりに捉えることはできないか? ということである。関東大震災にせよ、阪神大震災にせよ、地震の発生にいたる段階でさまざまな「あれ?なんかおかしくない?」という現象(宏観異常)が多数報告されているので、そうした「現象」をさまざまな手段をつかって自分なりに収集できればかなりの確率で災害に備えることはできるにちがいない。

ところで、こうした「宏観異常」と地震とを結びつけることを、「根拠がない」「くだらない」と言って否定するひとは少なくない。じっさい、科学的に証明されているわけではないのだからそう思うひとはべつに信じる必要なんてぜんぜんないと思う。ただ、ぼくの場合はあきらかに奇妙な雲をみた後に大きな地震が起こったという体験をなんどかしていたり、以前にも書いたけれど、見たこともないような不気味な月をみた翌朝あの阪神大震災があったりということを経験しているので、そうかんがえているにすぎない。

ぼくは、死者の出るような規模の地震ならばぜったい、なにかしらの前兆をともなっていてもおかしくないとかんがえている。大きなクシャミがでる直前にはそれ相応に大きく息を吸い込むのとおなじである。大きく息を吸い込むひとをみたら、「あ、クシャミが来るゾ」と思う。その程度の話なのだ、本当は。

そこで先日の、駿河湾の地震である。

あれだけの地震ならば、被災地のひとびとはなにかしらの「宏観異常」を感じていてもいいはずだ。じっさいのところ、どうなのだろう? 「駿河湾 地震 前兆」というキーワードでブログ検索をかけてみたのだが、気になることといえば、

地震の前日に神奈川県から静岡県一帯で「彩雲」をみたと日記に書いているひとが多い

こと。ただ、「彩雲」だけならかならずしも珍しいこととはいえず、「へぇ、そうなんだ」程度の反応しかでてこない。そのほか気になったのは、富士山の麓で農園をひらいているひとが日記に

地震の前日にみたという、鉢巻きのように雲がグルグル山頂に巻き付いている富士山の写真

をアップされていることだ。日頃から富士山を眺めているひとがわざわざ写真を撮って日記にアップしたのは、それが見慣れない雲だったからと想像できる。

彩雲+富士山の渦巻き雲

とふたつ重なると、なにかふだんとは異なる気象状況だという印象は強くなる。ただ、それだけで地震と結びつけるのはまだまだ無理がある。あと、もうひとつ、ふたつ、なにか「変だな」という現象を知りえたならば、ぼくは今回の地震の発生を被災地のひとびとが事前に予知できたんじゃないかと思っている。逆に、あの規模の地震だったのにほかにとりたてて変わったことがなかったとしたら、「宏観異常」によって地震の予知をするというのはかなり難しいという話になる。そのあたりは、自分が被災地の人間ではないのでなんとも言えない。

いずれにせよ、とりあえず「空」「月」、それになにか変わったことはないかと気にしながら日々暮らしてはいる。そのわりに、家具の転倒防止や水や食料の備蓄にさほど気をつかっていないのはどうかとも思うのだが・・・。
日曜日の夜、東海道南方沖で深発地震があった。たまたま向かいの魚屋さんの横を通りかかったら、まるでポルターガイストのようにシャッターがガッシャン、ガッシャンと鳴っていて何事かと思ったのだった。

そして火曜日の早朝、静岡県の駿河湾沖で大きな地震があった。ずいぶん揺れが長かったので、どこか離れた場所で大きな地震があったのではとテレビをつけて驚いた。

ぼくは子供のころ、たった二年ほどだが沼津市に住んでいたことがある。なので、「東海地震」は人ごとではない。その当時からいつ起こってもおかしくないと言われ、子供たちはみな「マイ防災頭巾」を持っていた。もちろんぼくも持っていた。山吹色の防災頭巾。一度はデマで学校が早退になったこともあったくらいだ。それに、富士市には「sinilintu」さんや「kaltio」さんら、モイを通して知り合ったフィンランド好きの仲間が暮らしている。月曜日にひさしぶりに顔を出してくれたSさんも、ちょうどこれから実家のある富士市に戻ると言っていたのが気がかりだ。「sinilintu」さんや「kaltio」さんは、地震によるお店や商品へのダメージも心配である。

その後それぞれブログを更新されていて、その中でほとんど被害がなかったとの報告をされていたのでホッとしている。こういう、相手の状況を把握できないときほど、かえって無闇にメールや電話をするのははばかられるものだ。その意味で、インターネットというのはあらためて便利なツールだと感心したのだった。

それにしても、今朝もまた地震である。気象庁は駿河湾沖の地震と東海地震との関連を否定し、今朝の八丈島沖の地震と駿河湾沖の地震との関連性も否定している。それぞれ震源も深さも異なるのだから、まあ、そう言われればそうなのだろう。とはいえ、やっぱりなんとなく気がかりである。

たまたま、岩波少年文庫版の『カレワラ物語ーフィンランドの神々』を読んでいたらアンテロ・ビプネンという「巨人」が出てきた。

「だいぶ以前から眠りこんで半分土になっている」ビプネンは、「ポプラが肩に生え、白樺が眉から伸び、松の木が歯の上に立って」いるという、まるで小山のような案配である(引用箇所は小泉保の訳による)。

いくら関係ないよと言われても、今回の一連の地震は海の底で眠っているビプネンが体をモゾモゾ動かしている、そんな感じにぼくには思えて仕方ない。『カレワラ物語』のなかで、「老ワイナミョイネン」は「呪文」を手に入れようと無理矢理ビプネンの口に鉄の棒を押し込んで起こすのだが、「寝た子を起こす」の格言どおり、こちらのビプネンは目を覚ますことのないよう祈るばかりである。

カレワラ物語―フィンランドの神々 (岩波少年文庫 587)カレワラ物語―フィンランドの神々 (岩波少年文庫 587)
(2008/11)
小泉 保、

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「ノリが悪い」

と、大塚愛に叱られました。






釈然としません。
ひさしぶりに「Blue Bell」で絶品のオムライスにありついた後、新宿に出てジャック・タチの映画『プレイタイム』を観てきた。そして、やっぱりこの映画の可笑しさはスクリーンでこそ伝わると実感。

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ジャック・タチ自身が扮する「ムッシュウ・ユロ」がそうであるように、ジャック・タチの映画ではいつも、時代の流れから完全にドロップアウトしてしまった、でも心優しき人々に対しあたたかい視線が注がれる。いっぽう近代的なシステムや行き過ぎた合理主義はひとびとを翻弄し、その姿はときに滑稽ですらある。けれども、「ムッシュウ・ユロ」のような前時代的な人物に肩入れしながらも、ジャック・タチはけっしてそれをいかにもありがちな批判精神のようなものに転化してしまうことが、ない。すくなくとも、ぼくにはそうみえる。なぜかといえば、ジャック・タチ自身が「稀代のモダニスト」だからである。そうでなかったら、ジャズを自動車を、近代的な建物や機械をあんなにカッコよく、しかも魅力的に描けるわけがないのである。

『ぼくの伯父さん』にも『トラフィック』にもこのふたつの相反する視線、モダニストのまなざしとヒューマニストのまなざしとがアンバランスに同居するさまは感じられたけれど、(おそらく)この『プレイタイム』こそはそのクライマックスといっていいのではないだろうか。

いきなり青空を背景にパーカッションによる前衛的な音楽がくりひろげられるオープニングからしてすでにモダニスト、タチの真骨頂。つづく空港の光景。静止したカメラの中、整然としたロビーに登場するひとびとの直線的な動きのグラフィカルな美しさ。鉄とガラスでできた矩形のビルディングも無機質であるかもしれないが、スタイリッシュなことこの上ない。この作品で、ジャック・タチは現代の「都市」をたくさんの奇想天外なアトラクションが用意されたひとつの「遊園地」に変えてしまった。 

思うに、ジャック・タチがこの『プレイタイム』という映画で謳っているのは、おおらかな人間賛歌である。そこを巨大な「遊園地」と悟った瞬間、殺伐とした都会の喧噪は一転、ユロ氏ら「心優しき古きひとびと」にとって格好の社交場に姿を変えるのだ。ヒューマニズムという武器でモダニズムを攻撃するかわり、くじらのようにすっぽりとモダニズムをのみこんでしまう道を選ぶジャック・タチ、なんて「粋」なのだろう。

夢のようにうつくしいラスト15分の映像でジャック・タチは、稀代のモダニストでありながら、かつ同時にヒューマニストとして生きることが矛盾せず可能であることをすべての現代に生きる人々に対して証明してみせたのである。胸が熱くならないわけがない。

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ジャック・タチバルバラ・デネック

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トロンボーン

と聞いて、たいがいのひとが思い浮かべるのはたぶん

谷啓の顔

ではないだろうか?(やや断言) いっぽう、

ハマー

と聞いてほとんどのひとが思い出すのは、まちがいなくあのTVドラマ

「俺がハマーだ!」

であるにちがいない(ほぼ断言)。ところがこの「鉄板」かと思われた「谷啓」×「ハマー」の組み合わせが、なぜか北欧スウェーデンの地ではミミとカリンというハマー姉妹によるトロンボーン・デュオ「スライディング・ハマーズ」になってしまうという、この不思議!?

そんな彼女らのアルバムから、スローな曲ばかりをセレクトして一枚にまとめたのがスライディング・ハマーズの『ボッサ&バラード』である。曲はオリジナルに加えて、アントニオ・カルロス・ジョビン、ガーシュィンからビートルズまでと幅広く親しみやすいが、それ以上に、ふたりのトロンボーン(姉のミミはヴォーカルも担当)が奏でるまあるい響きが耳に心地よく、夏の夕暮れから夜半にかけてのBGMとしてかなりいい感じなのだ。

ただ、これはどちらかといえば「カフェの音楽」ではない。こういう音楽を聴くと、アルコールがほとんど飲めない自分の「不運」を嘆きくなる。もっと音楽を愉しみたいがためにお酒を飲みたいなんて、どうにもおかしな話ではあるけれど。シャンディ・ガフか、スプリッツァーか、いずれにしてもビール好きが聞けばひんしゅくを買いそうなカクテルでもこしらえてお茶を濁すのがやっとのところか。

そんな、人生を28パーセント程度しか楽しんでいない幸薄い人間の話はさておくとして、

まとまった夏休みがあって、お酒が好きで、音楽はジャンルを問わず楽しめるしあわせな耳を持ち、そんなふうに音楽を聴きながらうたた寝するのがなによりも好きといった「果報者」もしくは「快楽主義者」ならば、きっとこのアルバム、気に入るにちがいない。

ボッサ&バラードボッサ&バラード
(2009/05/20)
スライディング・ハマーズ

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scb07.jpg

現在発売中の旭屋出版のMOOK、『スーパー・カフェ・ブック Vol.7』に掲載していただいています。

「カフェ+αの魅力づくり」というテーマで、5月におこなった『フィンランド・森の精霊と旅をする』(日本語版)出版記念トークイベントの際に取材したものが記事となっています(店主へのインタビューおよび写真が数点)。

また、以前「カフェ&レストラン」誌に掲載された、吉祥寺移転の折におこなわれた関本竜太さん(moiの設計者)へのインタビューも再録されています。気になった方はぜひ実物を手にとってみてください。
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