北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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きのう大掃除も終え、いよいよ年内の営業はラスト2日のみとなりました。きょうあたりから正月休みに入るお店も多いようです。正直、こんな年の瀬の慌ただしい中来てくださるお客様なんていらっしゃるのだろうか? とかなり不安ではあったのですが、いざフタをあけてみればフィンランドから韓国から、日本各地から、もちろんご近所からも、たくさんのお客様にご来店いただきうれしい限りです。

ありがとうございました!!!

そしていきなり

ゴメンナサイ!!!

と謝らなければならないのは、品切れのメニューが続出してしまったからです。年末年始は取引先もすでにお休みに入ってしまっている関係上、切れてしまった食材の確保ができません・・・。よって、明日もこの

さよなら2009年 ないないフェスティバル

状態での営業となってしまいますので、もし明日ご来店予定のお客様がいらっしゃいっましたらあらかじめご了承下さい。よろしくお願いします。ちなみに、明日ご提供できるメニューは

【スイーツ】

パウンドケーキ プレーン
パウンドケーキ きんかんとゴマ
パウンドケーキ さつまいもとリンゴ
スコーン
ベリーのトライフル
おやつセット

【フード】

サーモンの北欧風タルタルサンド
チーズスコーン

その他、ドリンク各種となっております。

それにしても、流しに積み上がった洗い物の山はほとんど『2012』並のカタストロフ状態です・・・。
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年内は31日(木)まで営業致します。

なお、年内の営業は次のとおりとなります:

28日(月) 18時まで(17:30LO)

29日(火) 定休日

30日(水) 正午~20時(19:30LO)

31日(木) 正午~18時(17:30LO)



年始は8日(金)より、通常通りの営業となります。

年末年始は「moi納め」「moi始め」。ご来店お待ちしております!
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先月開催した「旅講座@フィンランド」にご参加くださったHさんより、とてもすてきなクリスマスカードが届きました!(↑画像)

まるでフィンランドから届いたクリスマスカードのように見えますが、じつはこれ、目白にある「切手の博物館」から投函されたもの。きのうまでおこなわれていた展示「切手の博物館のクリスマス~北欧からメリークリスマス」にちなんで、3日間限定でフィンランドポストの公式スタンプを押印してくれるサービスがあったのでした。切手も修好90周年を記念して発行されたもので、日本とフィンランドとで共通の図案になっています(原画はミンナ・インモネンによるもの)。

Hさんは、メールマガジンでこの展示のことを知り足を運んでくださったとのこと。思いがけずすてきなカードを受け取り、スタッフともどもすっかり感激してしまったのでした。気持ちまであっためてくれるのはやっぱり手紙、ですね。ありがとうございました! 




メリークリスマス(もう26日だけど)
けさ、でかけるときマンションのエレベーターで、扉が開いたら目の前に突如「シスター」が現れたのでびっくりしました。


クリスマスの朝にシスターが! これはきっとなにかの啓示?


と、思わずひざまづきそうになったのですが、思い直してよく見てみるとそれは「シスター」ではなく、


黒いワンピに純白のバスタオルを頭からかぶったすっぴんの女性


でした。どうやら、髪を濡らしたところでゴミの収集車が来てしまい慌てて飛び出してきた同じマンションの住人だったようです。一瞬とはいえ、神聖な気分になってしまった自分が「残念」でなりません。




メリークリスマス。
土用の丑の日、バレンタインデーのチョコレートとならび、うまいこと仕掛けがハマってこの国に定着した「風習」のひとつに「年末の第九」というのが、ある。土用にうなぎを食べる習慣がなく、バレンタインデーにチョコをもらうことも少なくなったこのぼくも、ここ数年「年末の第九」だけは欠かしていない。ことしも残すところあと・・・というこの時期「第九」を聴くと、いいこともよくないこともひとまずぜんぶリセットして、また新しい気持ちで一年を迎えましょうという気分になれるのがいい。まさに「一年の節目」。ことしはきのう、読売日本交響楽団の「第九」に行ってきた(サントリーホール)。指揮はオスモ・ヴァンスカ、フィンランド人である。

vanska.jpg

それにしても、ヴァンスカ、いい! ヒュヴァ!ヒュヴァ! である。なにより「痛快」、全体はコンパクトながら音楽の端々にまで力が漲った、いわば「逆三角形」のマッチョな「第九」だ。とはいえ、繊細なピアニッシモや短いフレーズのなかでのクレッシェンドの多用、アーティキュレーションの自在さなどどこをとっても考え抜かれていてたんなる「筋肉バカ」じゃないところがいい。さすがは思慮深いフィンランド人(←身びいき 笑)である。

とくに今回はじめて、「対向配置」という、指揮台をはさんで両側に第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンを配置した編成で「第九」を聴いたのだが、それがこの曲では驚くほどの威力を発揮していて、これまでなんでこういうシフトをとっていなかったのだろう? とむしろ不思議にすら思えてくるのだった。第一楽章の主題のかけあい、第二楽章の冒頭の受け渡し、第三楽章での音楽の対話と、挙げていったらキリがない。それは、こういう効果を期待してベートーヴェンはこの曲を書いたのだろうと考えさせるに十分な説得力があった(一説によると、ベートーヴェンが生きていたころはこの「対向配置」が一般的だったらしい)。

合唱が入るあの有名な終楽章でも、ヴァンスカは独特だった。ふつう「喜び」を勇ましく歌い上げるようなところでも、あえて出だしをソフトにはじめてみたり、ふだんは埋没しがちなアルトの合唱の歌声がくっきりと浮かび上がってきたりと、ちょっと聴いたことのないような響きがそこかしこに顔をだして息つくひまを与えない。いつもの「歓喜の歌」が高らかに「喜び」を歌い上げる(ある意味かなり楽天的な)演説のようなものであるとしたら、ヴァンスカのは「祈りの歌」である。そしてそれは、先行きの見えないこの時代に生きるものにとってはより「リアル」と言ってよく、それだけ「現代的」でもある。

あれだけのフィナーレだけに演奏後の客席は盛り上がらないはずもないが、この日の白眉はもしかしたら第三楽章のアダージョだったかもしれない。透明感あふれる音色の弦楽器が精緻に奏でる旋律が、あたかも教会のコラールのようにホールに響く。終楽章の「祈りの歌」は、すでにここから始まっていたのだ。

ちなみにこの日ホールではテレビの収録がおこなわれていて、28日(月)深夜2時4分~の『深夜の音楽会』(日本テレビ系列)で全曲ノーカットで放映されるとのこと。

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突然ですが、

雑誌「カフェ&レストラン」にて新連載「カフェとバーのモノ語り」が始まりました。今回も、おなじテーマを渋谷BAR BOSSAのマスター林さんとともに展開する立体コラムというスタイルをとっています。

今回スタートした連載のテーマは、ずばり「モノ」。カフェにある、バーにあるさまざまな「モノ」を毎回とりあげ、その「モノ」にまつわるエピソード(というより裏話?)をお店のストーリーに重ねてつづってゆく予定です。お店をやっているひと、これからやりたいひとにとっては、これまで以上に役立つ内容になっているのではないでしょうか?

第一回めのテーマとなる「モノ」は、看板

この先、「椅子」「器」とどんどん続いてゆく予定です。どうぞお楽しみに!

Cafe&Restaurant(カフェアンドレストラン) 2010年 01月号 [雑誌]Cafe&Restaurant(カフェアンドレストラン) 2010年 01月号 [雑誌]
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ジョン・アーヴィングは、忘れたころにやって来る。

というわけで、最近文庫化された『第四の手』を読んでいる。もうじき読了。『ガープの世界』の映画化が話題になったのが高校のときで、その後すぐ『ホテルニューハンプシャー』も映画になって、『熊を放つ』のウィーンにひそかにあこがれ『サイーダーハウスルール』は映画を観たことをちょっと後悔した。ここまでで、二十年近い歳月がたっているわけだ。そして去年、『ウォーターメソッドマン』をひょんなことからTHE YOUNG GROUPのどしだ君からもらい、いま、この『第四の手』を読んでいる。ふだんそんなに小説は読むわけじゃないのに、なぜか二十年以上にわたりずっと読み続けているというのはなんだか不思議な気分である。とりたてて意識したわけではないけれど、この事実からすれば「好きな作家」と断言してもよさそうだ。

『第四の手』も、読みはじめれば当然のように引き込まれている自分がいる。このあいだ見た上海の夢ではないけれど、ジョン・アーヴィングの物語の世界も、どこか青空なのにいつも翳っているような印象がぼくにはあって、その現実と虚構のはざまみたいな「色」が好きだったりするのかもしれない。初めてビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を聴いたときもおなじ「色」を感じた、ということをいま思い出した。そんな「色」のなかで展開する、「北をめざして」という章がいい。静謐で、なにか重力から解放されてゆく感じ。ここでの主人公パトリックは、そのヘタレ加減で『ゴダールのマリア』のジョゼフにも似ている。ちなみに、『第三の~』じゃなくて『第四の手』となっている理由もここで明らかになるので、まだ読み終わっていないけれどこの小説のハイライトなのかも。

気づけば感想文にもなってないし、ひたすらとりとめのない文章になっちゃってることを・・・反省。でも、ぜひ読んだひとひとりひとりに、その感想を教えてもらいたい気分だ。教えて下さい、今度ぜひ。

ーーー

ところで、きょうから八重洲の千疋屋ギャラリー森麗子さんの展示がはじまったことをフィン語クラスのnonoさんに教えてもらいました。nonoさんは、森さんのアトリエに最近通い始めたとのこと。今週いっぱいと会期が短いのだけど、ちょっと見逃せないと思っています。向かいのブリヂストン美術館で開催中の「安井曾太郎の肖像画」展も気になっているので、いっそこの際ハシゴしようかな、と。

こんなふうにつらつらと明日の予定をかんがえたりしているうち、どうやらそろそろ閉店の時間です。

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本日、メールマガジン「moi通信」vol.15配信しました。


さて、、、


フレッド・アステアがジュディ・ガーランドと共演した『イースター・パレード』という「SF映画」を観た。SFというのはもちろん冗談で、じっさいのところは「ミュージカル映画」である。

とはいえ、ハリウッド製ミュージカルに描かれる世界はいま自分が生きているこの世界とはあんまりにも違いすぎて、その距離感からしたら宇宙の彼方を描いたSFを観る感覚とぜんぜん変わらない。だから、ぼくにとって「ミュージカル映画」は「SF映画」みたいなものなのである。

UFOにのって地球に来襲する宇宙人とおなじくらい、歌い踊りながら会話する恋人たちは稀有な存在といえる。そう思えば、ミュージカル映画はSF映画とおなじくらい周到にフィクションの世界を描き抜いてくれないと困るのだ。失敗したミュージカル映画の多くはそこで、つまり「フィクションであること」へのこだわりの中途半端さにおいてつまづいていると思う。たとえば、ぼくは日本人が外人風にほどこしたメイクで演じるミュージカルが苦手なのだが、理由はひとえに「それじゃ酔えないから」、それに尽きる。偏屈ですいません。

けっきょく、ぼくにとってミュージカル映画といえばこの『イースター・パレード』をふくめ、ある時代にハリウッドで製作されたものだけに限られるみたいだ(唯一の例外は『シェルブールの雨傘』だろうか。あれは、まちがいなく「SF」だから)。ウソみたいな筋書き、ウソみたいに粒ぞろいな役者たち、ウソみたいに甘美な音楽、ウソのように大がかりなセット、そしてウソみたいな妙技・・・と、すべてが完璧に「ウソ」でコーティングされている。いまひとつ宮崎アニメの世界に没入できないぼくでも、ハリウッドのミュージカル映画だけはいつも、本当にしあわせな気分でその世界に浸れるということをあらためて発見した。

ミュージカルにかぎらず、ある時期のハリウッド映画は「人類にとっての宝」と言ってもいいくらいすばらしい(とぼくは思う)。クリスマスに観るなら、『三十四丁目の奇跡』『アパートの鍵貸します』、あるいは『素晴らしき哉、人生!』あたり。クリスマスの情景が、いつまでも心に残る名作ばかりである。

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フレッド・アステア/ジュディ・ガーランド/ピーター・ローフォード/アン・ミラー/ジュールス・マンシン

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ひさしぶりに御茶ノ水の中古レコード屋へ行ってみたら、フランスの往年のピアニスト、ロベール・カサドシュのCDが廃盤のものなどいろいろと出ていた。

さては、だれか死んだのか? そんなふうに思ったのは、ついこのあいだ入ったレストランでたまたまこんな会話を耳にしていたからである。ワインのコレクターとおぼしき男性がおなじテーブルの知人に話していたのだが、ワインをコレクションしている人間はコレクター仲間が死ぬと、そのコレクションが市場に出回るのでつい浮き足だってしまうのだという。えげつない話だなあ、なんてそのときは聞きながら思ったのだが、レコードやCDにしたって事情はおなじだろう。

そんなわけで、幸運なハイエナのようにしてカサドシュのCDを手に入れた。一枚は、カサドシュが奥さんのギャビーと連弾したモーツァルト、シューベルト、それにフォーレの録音。もう一枚はやはりギャビーと共演したバルトーク、サティ、ドビュッシーに、おなじくドビュッシーのヴァイオリンソナタとチェロソナタを加えたもの。それぞれ八百円くらいだった。

演奏は、きっと「巧さ」という軸でいえばもっとべつの選択肢もあるだろうけれど、ちょっとしたフレーズのチャーミングなこと、頑張りすぎないからこその洒脱さといった点では抜きんでた存在という気がする。それに、このロベールとギャビーのカサドシュ夫妻ほど絵になるデュオというのもなかなかいそうでいない。買ったCDのリーフレットには、ギャビーとパイプを口にくわえたロベールがふたりでピアノにむかっている様子を収めた写真がのっているのだが、できるものなら引き伸ばして部屋に飾りたいくらいである。海辺を傘をさして歩くカザルスの後ろ姿とか指揮者のピエール・モントゥーだとか、昔の演奏家には「絵になる」人物が多い。

減点方式の時代ゆえか、演奏もふくめこういう鷹揚な「いい顔」に出会える機会もめっきり少なくなってしまった。
さて、


きのうはあいにくのお天気ではありましたが、代々木上原の+casE galleryで開催中のイベント「ランミンヨウル あたたかいクリスマス」にお邪魔し、終日コーヒーを淹れさせていただきました。ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました!

イベントに参加されている作家さんたちはみな、荻窪時代からちょくちょくモイに顔を出してくださっているフィンランド好きということもあって、こちらもリラックスして楽しい一日を過ごさせていただきました。スタッフのみなさま、おつかれさま&ありがとうございました! ひろ子さん、おいしいスープランチのまかない、ごちそうさまでした!

山口美賀子さん&西尾ひろ子さんというフィンランドを愛するおふたりによるX'masトークもたくさんの写真とともに大変楽しく参考になる内容で、後半から話の輪に加わらせていただいたのですが幸か不幸かほとんど口を差し挟む場面もなく、気のきかない置物のようになっておりました(笑)。

参考までに、ぼくが話を聞きながらまとめた「我が家のクリスマスをフィンランド流にするコツ」を伝授させていただきたいと思います。

一、クリスマスツリーには生のモミの木を使うべし
一、オーナメントは極力控えめにすべし
一、窓辺にはあたたかい光を放つ照明器具を置くべし
一、ツリーと一緒にヒヤシンスの花を飾るべし(入手できない場合は、来年のクリスマスにむけて球根から育てる)
一、ドアをノックして入ってくるサンタクロースのみを家にいれるべし(その他はニセモノ→すぐ通報のこと)


そんなところでしょうか。

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そして、一夜が明け


きょうは吉祥寺へ移転して2周年。ことしは特になにをするわけでもなく淡々とという感じだったのですが、スタッフがお祝いに手作りのアップルパイを持ってきてくれました(「2」のキャンドルつき)。

年末にむけて、あともうひと踏んばりです。
あす、コーヒーを淹れるためお邪魔させていただく代々木上原の+casE gallery@さんに、道具の搬入のためいってきました。

イベント「ランミンヨウル~あたたかいクリスマス」はすでに1日から始まっていて、いかにもフィンランドのクリスマスらしい素朴で心あたたまる雰囲気でいっぱいになっていました(写真)。

あすはお昼前から17時くらいまで、会場にてコーヒーを淹れさせていただきます。ふだんお店では深煎りのコーヒーをお楽しみいただいていますが、今回はちょっと趣向を変えて「アアルトコーヒー」庄野さんおすすめのタンザニア・ブルガ農園の中煎りを飲んでいただこうかと思っています。品のいい酸味と口のなかに広がる上質な甘みが特徴のおだやかな一杯です。

なお、17時からのトークイベントはすでに満席とのこと。けっきょくぼくも、話の輪に加わらせていただくことになったみたいです・・・。気の利いた「あいづち」が打てるよう、家に帰ったら「あいづち」の猛練習をしなければ、、、と思ってます。

では、会場でお待ちしております! なお、吉祥寺のmoiも通常通り営業しておりますのでよろしくお願い致します!!!

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そして、追伸。あさって6日(日)は

フィンランドの独立記念日

そしてさらに

moiの吉祥寺移転2周年

です! というわけで、心よりお待ちし申し上げております!!!
作家、池波正太郎がその晩年、八年間にわたり「銀座百点」に連載していた日記をまとめた『池波正太郎の銀座日記(全)』を読んでいる。いまでいえば、さしずめ池波正太郎ブログといった感じ。食べたものと観た映画の話でほぼ7割、残りの3割は芝居の話と友人、知人の訃報とで占めている。途中、しきりに「飲めなくなった」「食が細くなった」というぼやきとも嘆きともつかない独白がふえてくるあたりから、「『老い』と向きあうひとりの男の日常」という「通奏低音」が姿をあらわし、通して読んでゆくとおなじ本にもかかわらず明らかにその肌触りが変わってしまっていることに気く。本人は「老い」をテーマに書こうと決めているわけではなくただ淡々とその日常を綴っているにすぎないのだが、それだけにむしろ読む側としてはチクチクとした「痛み」を感じないわけにはいかない。ぼくのように、ほとんど酒を飲めないに等しい人間にとっては、以前ほどに「飲めなくなる」ことがそこまで嘆かわしいことなのかまったく理解はできないのだが、ひとはそんな思いがけない現実(よくわからないが、たとえば「トイレが近くなった」とか「たらばガニを食べるのが面倒臭い」とか、あるいはまた「テレビで松岡修造を見ると疲れる」とか)によってみずからの「老い」を突きつけられるものなのだろう。映画についてはまさに雑食。試写状の届いたものはとりあえずなんでも、しかもそれ相応に楽しんでしまうというひとだったようでそのぶん「作家による映画評」といったものを期待すると肩すかしを喰うが、ぼくの場合はこの日記が書かれたころがちょうど学生時代にあたっていて、映画館にいちばん足を運んでいたころだったせいか登場する映画のひとつひとつがなつかしく、意外なところでおもしろく読むことができたのだった。

池波正太郎の銀座日記(全) (新潮文庫)池波正太郎の銀座日記(全) (新潮文庫)
(1991/03)
池波 正太郎

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