北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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怒濤のGW営業も終わって、きょうはひさしぶりの休日。

そこが公園の一角だろうが国立公園だろうが、「自分の心に『森』と響いたら、そこは森」(森下圭子『フィンランド×森』情報センター出版局)という一文に導かれるようにして、朝一番で鍼に行った後、その足で「阿佐ヶ谷住宅」を抜け善福寺川沿いの緑地をめざした。

このあいだのイベントでも、圭子さんは「フィンランド人と森」についてこんなことを言っていたっけ。


フィンランドの人たちは、木が3本しか植わっていないような場所でもそこを「森」と感じれば「森」と呼ぶ。彼らにとっての「森」とは、木があって、心静かに過ごせる場所のことなんです。


都会に暮らしていると、ときどき無性に「森」が恋しくなる。とはいえ、長いこと電車やクルマにゆられて、できればお休みをとって泊まりがけででも行かないことには「森」になんて辿り着けない、そう思い込んでいたぼくにとって、フィンランド人の「森」との、そのカジュアルなつきあいかたはまさしく目からウロコといった感じで衝撃をうけた。

「『この先』のこと|生きる場所、単位と『小確幸』」という文章にも書いたけれど、あちこち駆けずり回って買い物をしたり、じぶんの脳ミソではとてもじゃないが処理できないくらい膨大な「情報」をアタマに詰め込んだりするよりも、じぶんの身の回り(徒歩や自転車で動けるくらいの範囲)の土地をどれだけ耕し、そこにたくさんの「お気に入り」をみつけられるかということこそが、「この先の幸福」のポイントになるとぼくは予感している。だから次の休日には、じぶんの身近に「じぶんの『森』」を探そう、できれば木が3本くらい植わっているような、とかんがえていた。

そうして善福寺川沿いにつづく緑地は、あらためて歩いてみると、まさに「森」としか言いようのない場所だった。

平日ということもあってか、その「森」は静けさに包まれていた。たくさんの鳥のさえずりが聞こえ、風が木々を揺らして通り過ぎてゆく。真っ黒い太っちょのトカゲも、川べりにとぐろを巻くヘビの姿も、見た。もちろんフィンランド同様、思い思いに時間を過ごす人たちも。

さすがにフィンランド名物「やかんコーヒー」は無理だろうから、こんどはちゃんと家で淹れたコーヒー持参でふらりと訪れよう。
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