北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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60年代の集団就職、70年代高度経済成長期の出かせぎといえばまるっきり昭和の話だが、それから4、50年、テクノロジー、とりわけ運輸交通や通信技術はめざましく発達したにもかかわらず、けっきょくそれはじぶんの故郷、あるいは愛着のある土地でひとが生きうるような環境を生み出しえなかった

ツイッターで郷里への思いや愛情を吐露する人たちを目にするたび、テクノロジーの発達は、弱い部分を補うどころかますますアタマでっかちな国を形成してしまった、そうかんがえざるをえない。生まれ育った土地で生きてゆけることを、すくなくとも、戻ろうと思えばいつでもそこに戻って暮らせることをひとの「幸福」をなす大きな要素のひとつだとかんがえるならば、この4、50年にわたって、その点にかんするかぎりテクノロジーはまったく「幸福」に貢献してこなかったということになるのではないか。

だから、テクノロジーはこの先、ひとがじぶんの故郷であったり愛着のある土地で暮らしてゆけるような、そういう環境(インフラ)づくりのために存分に使われ、発達するべきだと思う。まずは、どこがどうなっていれば「郷里」や「じぶんにとって愛着のある土地」で暮らしてゆけるのか、その仕組みをひとりひとりがかんがえてみたらどうだろう? テクノロジーを考案するのも、はたまたそれを駆使するのもぼくら人間なのだから。問題は、テクノロジーの方向なのだ。
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