北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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moiで使っている椅子は、フィンランドの建築家アルヴァー・アールトがデザインした通称「69番」。フィンランド人の女の子に言わせれば「子供のころ、幼稚園で見たことある」、それくらい、まあ、ありふれた椅子である。

で、萩原健太郎さんの新著『北欧デザインの巨人たち あしあとをたどって。』(BNN新社刊)を読んでいたら、こんな一節と出会った。



“高価ではない”というのは、北欧の中でもフィンランドの家具の特徴だと思う。(中略)フィンランドでは安易にビスで留めて、そのビスの頭は露出したままだったりする。

中略

家具を工芸品ではなく日用品ととらえ、誰もが求めやすい価格を目指した結果、デンマークなどとは違う家具の道を選んだのだ。そして、そのフィンランド家具の礎を築いたのが、アアルトといえる。



そうそう、たしかにそうなのだ。デザインや建築関係、あるいは椅子好きの仲間とアールトの椅子の話をするとき、実際かならずといっていいほど出るのがその話なのだ。「頭が露出したビス」にしても、シロウトのぼくなどは指摘されてはじめて「そういえばそうだね」と思う程度なのに、彼らにとってはそんなビスの始末は「美意識のカケラも感じられない」「信じがたい」「ユルい」仕事に映るようで、みな失笑まじりで話しするのだった。

でも、ぼくのように、ビスの頭が露出していてもそのことに気づいてすらいなかった人間だっているわけで、案外シロウトなんてそんなものかもしれない。けれどもアールトの家具、とりわけスツール類についていえば、まず第一義的に「安価で作って安価で売る」という絶対目標があったわけで、そのあたりの「割り切り」はむしろいかにも北欧らしい合理主義ともいえる。

たとえば日本だったら…… と想像してみる。おそらく、「安価で作って安価で売る」という目標があったとしても、高い技術力と自己犠牲に近い仕事への執着、美意識によって「安価でもビスの頭が露出していない」椅子をつくってしまったかもしれない。

そこまでやる日本と、そこまでやらないフィンランド

どちらがいいとかわるいとか、どちらが正しいとか間違っているとか、そういう問題ではこれは、ない。もちろん、フィンランドの職人は「意識が低い」ということでも全然ない。

ぼくに言わせればフィンランドの職人たちは「ツボを心得る」のが得意なのだ。

ひとが満足する「ツボ」を読み取り、確実にそこを押さえる。その他の部分については必要最低限の手間しかかけない。「ツボを心得る」は、フィンランドの「ものづくり」のキーワードである。フィンランドに行ったときに感じる、描き込みすぎない絵画のような適度な余白の存在とそれが旅人の心にもたらす清々しさは、そんなふうに「ツボ」だけ押さえてよしとする国民性のなせるワザなのだろう。
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