北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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なんて秀逸なメニューなんだろうと、「ソーダ水」を見てかんがえる。「ソーダ水」の秀逸さは、もちろんその「色」にある。メロンソーダの緑(みどり)とさくらんぼの赤(あか)。ただの緑と赤ではない。それは「ありえない緑」であり、「ありえない赤」である。あんなヴィヴィッド過ぎる配色の食べ物、ふつうの家庭にあるだろうか?(いや、あるまい。反語調)。そう、ないのである。「ソーダ水」とはつまり、喫茶店にしか存在しない神秘そのものであり、「ソーダ水」というメニューがあるかぎり「喫茶店」もまた妖しい輝きを放ちつづけることができる。

子どものころ、たまに親に連れられてゆく喫茶店ではたいがい、「ソーダ水」か「クリームソーダ」を飲んでいた記憶がある。「レモンスカッシュ」や「コーラフロート」、「バナナジュース」といったメニューも魅惑的にはちがいなかったが、子供心に「もしかしたらあれなら家でも飲めるかもしれない」という打算がはたらき、けっして家では飲ませてもらえないようなありえない緑とありえない赤が織りなすシュワシュワする誘惑の前にとたんに色あせてしまうのだった。あんなにカラダによくなさそうなものを、だれからも叱られることなく公然と口にすることができる喫茶店という場所はなんて素晴らしいんだ! 目の前の「ソーダ水」をうっとり眺めながら、少年はかんがえる。そうして、いつでも好きなときに喫茶店に入れて、しかもどれでも好きなメニューを注文できる大人の〝豪奢〟について思うのだった。大人はときに、そうした〝豪奢〟を忘れがちである。
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