北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

2008/04123456789101112131415161718192021222324252627282930312008/06

神話のなかで「豆」がはたす《役割》について、いま読んでいる本には書かれている。

それによると、古来さまざまな地域で語り継がれてきた神話のなかで「豆」は、両義的な存在として、たとえば「生」と「死」、あるいは「男性的なもの」と「女性的なもの」といった「ふたつの世界のコミュニュケーション回路を開いたり閉じたりする役」を担う「仲介者」として機能してきたという。そう聞いて、ぼくら日本人がまっさきに思い浮かべるのは「節分」にまかれる「豆」のことかもしれない。家の内と外との境界に立ってまかれるその「豆」は、鬼を外に追いやると同時に福を内に招きいれるまさに両義的な存在にほかならない。

ところで、ぼくにとってもっとも近しい「豆」といえば、それはやはりコーヒー豆ということになる。そこで、「仲介者」としての「豆」という点に注意を払いながらコーヒーの《発見》をめぐるふたつの言い伝え(=神話)をみてみると、これがなかなか興味深いのだ。

■エチオピア高原発見説
この話では、「羊飼い」のカルディが「赤い実」を食べて興奮しているヤギの群れを見て不信に思い、「修道院の僧侶」にそのことを告げともに口にしたことがその起源とされている。そしてその後「コーヒー」はもっぱら僧侶たちのあいだで修業に際してもちいられる覚醒薬として重宝され、広められていった。

■オマール発見説
この話では、「回教徒(=熱心なイスラム教信者)」のシェイク・オマールが「赤い実」をついばみ陽気にさえずっている一羽の鳥を目にし、自身もその実を持ち帰り煮出して口にしたことがその起源とされている。そしてその後「コーヒー」は「医者」でもあったオマールによって薬品としてつかわれ多くの病人を救うことになった。

(以上、「ふたつの説」については伊藤 博『コーヒー事典』を参照)。

このふたつの言い伝えは、ともに仲介者としての豆(ここでは「コーヒー」)の存在を《発見》するのがみずから「この世界で《仲介者》としての役割をはたしているひとびとである」という点でとても似かよっている。

それはたとえば「動物」と「人間」のあいだをとりもつ「羊飼い」であり、「神」と「人間」のあいだをとりもつ「聖職者」や「回教徒」であり、「天」と「地」とを自由に行き来する「鳥」であり、また「生」と「死」のあいだでその技術をとりおこなう「医者」である。コーヒーが、「修業に際してもちいられる覚醒薬」や「病人を救う薬品」として、まさに仲介するものとして広まっていったという経緯もおなじである。

コーヒーは、なにか「大変な魔力」をもつ「悪魔的(デモーニッシュ)な恐ろしい存在」としての「豆」にまさにふさわしい。いや、そこまで考えなくとも、あの青臭い生豆が「焙煎」によって香り高いコーヒーに化けるというそのことだけでももうじゅうぶんに驚きに値する。よくいわれるように、それはまさしく《錬金術》の世界といえる。となると、日々この「悪魔的(デモーニッシュ)な恐ろしい存在」としての「豆」を扱う「焙煎人」のみなさんは、さしずめ現代を生きる錬金術師ということになるだろうか。

なるほど、錬金術師かぁ・・・。知り合いの「焙煎人」のかたがたの顔を思い浮かべながらニヤニヤしているのだ。
コメント
この記事へのコメント
仲介していると考えると、面白いですね!
マタニティ中、カフェにお邪魔してはほっとしていたことを思い出し、moiさんも同じ立場におられるのかな?と思いました。
一年お疲れ様でした!!先月生まれた子と一緒に行けるのを今から楽しみにしています。
2006/12/27(水) 14:46 | URL | kiki #-[ 編集]
ご出産おめでとうございます!
> kikiさん

こんにちは。ご出産おめでとうございます!新しい家族が増えて迎えるお正月ですね。子育てにはいろいろご苦労もあるかとは思いますが、どうぞいろいろな「仲介役(もちろん、コーヒーも)」を上手に利用して日々を健やかにお過ごし下さい.

またお待ちしております!
2006/12/28(木) 13:35 | URL | moi店主 #mLjQvPPA[ 編集]
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