
フィンランドの女流画家ヘレン・シャルフベックを知ったのはいつだったろう。シャルフベックというと、むかし読んだ志村ふくみの随筆がまっさきに思い出されるのだが、志村ふくみを介して出会ったのか、それともシャルフベックについて探ってゆくうち志村ふくみの印象的な文章にたどりついたのか、いまとなっては記憶もあいまいだ。いずれにせよ、ぼくが「シャルフベック」という名前をはっきり意識したのは8、9年前のことだった。
シャルフベックといってまず思い出されるのは、生涯にわたって描きつづけられた一連の「自画像」である。若いころのものは比較的「教科書どおり」といった感じだが、年を重ねるごとにどんどん抽象の度合いを増してゆき、ついには「壁に浮き出た不気味なしみ」のような攻撃的な表現にまで至る。その経過には、思わず目を覆いたくなるような痛ましさがある。とはいえ、それらは同時に、観るものをしてけっして目を逸らさせない圧倒的な「吸引力」をもつ。晩年のシャルフベックにとって、顔とは、目や鼻、口や耳といったパーツの集積ではなく、自身の内面があぶりだされてできた〝生の痕跡〟とか〝生の傷跡〟のようなものと考えていたのかもしれない。じぶんの顔を描くために、彼女はじぶんの内面とギリギリの対峙をする。彼女のポートレイトに、どこか修道女のような謹厳さを感じるのはそれゆだろうか。身を削るようにして、自画像を描いて、描いて、描きつづけたひとであった。
そのシャルフベックの、おそらく日本で初めての回顧展が上野の東京藝術大学大学美術館で開催されている。18歳のとき、奨学金を得ておもむいた「芸術の都」パリで、めくるめく様式(スタイル)の洗礼を受けるシャルフベック。不幸な恋愛を経て祖国に帰った彼女は、ちいさな町に引きこもって自己との対話に没頭する。後年の作品のなかでは、グレコなどの名画を自身のフィルターを通して描いたもの(リミックス?)や、近しい画商の勧めで取り組んだ自身の過去の作品の描き直し(セルフカヴァー?)などが興味深い。
後年のシャルフベックにとって重要な人物のひとりに、森林保護官で画家でもあったエイナル・ロイターがいる。シャルフベックはロイターに対して友情以上の感情を抱いていたようだが、その思いは報われることはなかった。とはいえ、ロイターは彼女のよき理解者として、その後、彼女の伝記を著すことになる。ちなみに、1917年に出版されたその伝記を、ロイターは「ヘイッキ・アハテラ」なるフィンランド系の変名で発表している。くわしい経緯はわからないが、1917年といえばついにフィンランドが独立を宣言した年。ナショナリズムの嵐が吹き荒れるなか、フィンランド系の名前にしたほうがなにかとウケがよかったりといったこともあったのだろうか。
帰宅後、なんとなくツイッターで検索してみたところ、会場に足を運んだ人たちのとても素敵な感想がタイムラインに並んでいて、思わずうれしくなった。そうした人たちの多くは、シャルフベックという画家についてほとんど予備知識のないままその作品に触れ、作品じたいから伝わってくる画家の剥き出しの魂をたしかに真正面からキャッチしているようにみえた。たとえ知名度はなくても、伝わるものはちゃんと伝わる。多くのツイートがそのことを証明している。
展覧会はこの後、仙台、広島、神奈川と巡回する模様。おそらく、この先日本でこの規模の展示が行われることは当分ないだろう。どうかこの機会をお見逃しなく。
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