スケールの大きい男といったら、やっぱりベートーヴェンをおいてほかにない。

「英雄」とか「皇帝」とか「運命」とか、そんなともすれば大仰なニックネームを思わずその作品につけたくなるひとの心理もわからないではない。いったい、ひとりの人間のどこからこんな壮大な旋律が生まれてくるのか想像すらつかないのだ。ワーグナーとか、マーラーとか、あるいは映画『スターウォーズ』のテーマ曲をつくったジョン・ウィリアムスだとか、派手だったり華麗だったりといった音楽を「書いた」作曲家ならたくさん知っている。が、ベートーヴェンのようなスケールの大きい音楽を「生んだ」作曲家はほとんどいない。
これほどまでに、スケールの大きい音楽を生んだ男なら、当然そいつはスケールのでかい奴にちがいない。ひとはもちろん、そうかんがえる。なので、世に広く知られるベートーヴェンの肖像は、ボサボサの髪に三白眼という、どれもこれもいかにもスケールのでかそうな不敵な面構えをしている。日本の総理大臣とは大違いである。じっさいには、街ゆく女性の姿をみてニタついていたり、酔っぱらって大口あけていびきをかいていたりといったこともあったのかもしれないが、そんな姿はやっぱりかのベートーヴェンには似つかわしくない。かれの音楽が、かれの(あの)肖像を作らせたのだ。
ところで、そんなベートーヴェンの音楽の中でもとりわけスケールの大きい作品といって思い浮かべるのは、交響曲第九番ニ短調作品一ニ五「合唱つき」、いわゆる「第九」ではないだろうか。
日本では、年末になると盛んにこの「第九」が演奏される。かつて、経済的に困窮していたオーケストラの楽員たちが「餅代稼ぎ」に始めたのがそのルーツといわれている。そうかんがえれば、この「年末の第九」は、平賀源内がつくった「土用の丑の日」とおなじくらいあたったイベントといえるだろう。一年をこんなスケールのでかい音楽でぐわーーーっと締めくくろうというのはたしかに、「D通」のCMディレクターも顔負けの卓抜なアイデアであるにちがいない。そこでぼくも、今年はひさびさに「第九」を聴きにいってきた。
ゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団。アルブレヒトはベートーヴェンとおなじドイツの人。おなじドイツ人だからといって、かれがまたスケールの大きい演奏をする指揮者とはかぎらない。ドイツ車にベンツもあれば、フォルクスワーゲン・ゴルフもあるのといっしょ(?)である。じっさい、この日の「第九」は、見事なまでにドラマティックだとかスピリチュアルだとかといった要素を排した徹頭徹尾「音楽的」な演奏だった。熟練の職人がつくった時計のムーヴメントのように、精妙かつ巧緻。一年の掉尾を派手に締めくくりたかったひとには物足りなかっただろうけれど、これはこれでユニークな「第九」ではあった。

「英雄」とか「皇帝」とか「運命」とか、そんなともすれば大仰なニックネームを思わずその作品につけたくなるひとの心理もわからないではない。いったい、ひとりの人間のどこからこんな壮大な旋律が生まれてくるのか想像すらつかないのだ。ワーグナーとか、マーラーとか、あるいは映画『スターウォーズ』のテーマ曲をつくったジョン・ウィリアムスだとか、派手だったり華麗だったりといった音楽を「書いた」作曲家ならたくさん知っている。が、ベートーヴェンのようなスケールの大きい音楽を「生んだ」作曲家はほとんどいない。
これほどまでに、スケールの大きい音楽を生んだ男なら、当然そいつはスケールのでかい奴にちがいない。ひとはもちろん、そうかんがえる。なので、世に広く知られるベートーヴェンの肖像は、ボサボサの髪に三白眼という、どれもこれもいかにもスケールのでかそうな不敵な面構えをしている。日本の総理大臣とは大違いである。じっさいには、街ゆく女性の姿をみてニタついていたり、酔っぱらって大口あけていびきをかいていたりといったこともあったのかもしれないが、そんな姿はやっぱりかのベートーヴェンには似つかわしくない。かれの音楽が、かれの(あの)肖像を作らせたのだ。
ところで、そんなベートーヴェンの音楽の中でもとりわけスケールの大きい作品といって思い浮かべるのは、交響曲第九番ニ短調作品一ニ五「合唱つき」、いわゆる「第九」ではないだろうか。
日本では、年末になると盛んにこの「第九」が演奏される。かつて、経済的に困窮していたオーケストラの楽員たちが「餅代稼ぎ」に始めたのがそのルーツといわれている。そうかんがえれば、この「年末の第九」は、平賀源内がつくった「土用の丑の日」とおなじくらいあたったイベントといえるだろう。一年をこんなスケールのでかい音楽でぐわーーーっと締めくくろうというのはたしかに、「D通」のCMディレクターも顔負けの卓抜なアイデアであるにちがいない。そこでぼくも、今年はひさびさに「第九」を聴きにいってきた。
ゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団。アルブレヒトはベートーヴェンとおなじドイツの人。おなじドイツ人だからといって、かれがまたスケールの大きい演奏をする指揮者とはかぎらない。ドイツ車にベンツもあれば、フォルクスワーゲン・ゴルフもあるのといっしょ(?)である。じっさい、この日の「第九」は、見事なまでにドラマティックだとかスピリチュアルだとかといった要素を排した徹頭徹尾「音楽的」な演奏だった。熟練の職人がつくった時計のムーヴメントのように、精妙かつ巧緻。一年の掉尾を派手に締めくくりたかったひとには物足りなかっただろうけれど、これはこれでユニークな「第九」ではあった。
この記事のトラックバックURL
http://moicafe.blog61.fc2.com/tb.php/257-f29ec2bc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
ドイツ車ドイツ車(German Car)とは、以下の何れかを意味する。1) ドイツで生産される自動車 (ドイツ製自動車)2) ドイツを本拠とする企業・ブランドによって販売される自動車 (独ブランド車)3) ドイツ資本が所有する企業・ブランドによって販売される、すべての
2007/10/26(金) 09:28:15 | 購入前の豆知識