うっかり風邪をひいてしまった。暑さに耐えられず窓を開けたまま眠ってしまい、朝起きたらお約束のようにノドが痛くなっていたのだった。もうだいぶよくはなってきたものの、毎年この梅雨の季節にはおなじことをやっている気がする。
あるエッセイのなかで伊丹十三が言っているように、子供のころは風邪なんてたいして辛くはなかった。辛くはなかったというのは嘘で、風邪のときに起きるさまざまな感覚の「特別さ」のほうがむしろ辛さに勝っていた、と言うべきなんだろう。
ほっとしているのは、ようやく味覚が6〜7割程度まで戻ってきたこと。荻窪のころはひとりで切り盛りをしていたので味覚がやられると頼りになるのは「カン」だけだったのだが(恐ろしい話だが・・・「時効」ということで)、いまはちゃんとスタッフがいるので大丈夫。
ところで、「味」といえば、ふだんは味覚7:嗅覚3くらいに思っていたものが、風邪をひいて嗅覚がダメになると、いやいやそんなことはない、実は「味」というのは味覚と嗅覚の立派なコラボであるという事実に思い知らされるのである。
もうひとつ、今回あらためて発見してしまったのは「味」はまだらに戻ってくるということだ。たぶん「匂い」の奥行きというか、「強さ」「弱さ」によっているのだろうが、嗅覚が6〜7割の段階ではまだ「弱い匂い」までは感じ取れないので味がいびつにしか感じられない。たとえばコーヒーにしても、そこそこ香りはするのだが、いざ飲んでみるとなんだかやたらと「こげ臭さ」ばかりである。いわゆるコーヒーの香りも、いろいろな厚みをもつたくさんの「匂い」の層が折り重なることでできているのかもしれない。
いずれにせよ、子供が学校を休むようには仕事を休むわけにもゆかず、治るにしても、なにかこうスパッと気持ちよくは治ってくれない大人にとっては、風邪をひいて面白いことなんてなにひとつとしてないのだった。
あるエッセイのなかで伊丹十三が言っているように、子供のころは風邪なんてたいして辛くはなかった。辛くはなかったというのは嘘で、風邪のときに起きるさまざまな感覚の「特別さ」のほうがむしろ辛さに勝っていた、と言うべきなんだろう。
ほっとしているのは、ようやく味覚が6〜7割程度まで戻ってきたこと。荻窪のころはひとりで切り盛りをしていたので味覚がやられると頼りになるのは「カン」だけだったのだが(恐ろしい話だが・・・「時効」ということで)、いまはちゃんとスタッフがいるので大丈夫。
ところで、「味」といえば、ふだんは味覚7:嗅覚3くらいに思っていたものが、風邪をひいて嗅覚がダメになると、いやいやそんなことはない、実は「味」というのは味覚と嗅覚の立派なコラボであるという事実に思い知らされるのである。
もうひとつ、今回あらためて発見してしまったのは「味」はまだらに戻ってくるということだ。たぶん「匂い」の奥行きというか、「強さ」「弱さ」によっているのだろうが、嗅覚が6〜7割の段階ではまだ「弱い匂い」までは感じ取れないので味がいびつにしか感じられない。たとえばコーヒーにしても、そこそこ香りはするのだが、いざ飲んでみるとなんだかやたらと「こげ臭さ」ばかりである。いわゆるコーヒーの香りも、いろいろな厚みをもつたくさんの「匂い」の層が折り重なることでできているのかもしれない。
いずれにせよ、子供が学校を休むようには仕事を休むわけにもゆかず、治るにしても、なにかこうスパッと気持ちよくは治ってくれない大人にとっては、風邪をひいて面白いことなんてなにひとつとしてないのだった。
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