北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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ひさしぶりにイタリアの映画をみた。ナンニ・モレッティが監督、脚本、主演をつとめる『ナンニ・モレッティのエイプリル』である。

タイトルからもわかるように、みずからの「私生活」をみずからが演じつづったエッセイ風ムーヴィー。いつだったか、この作品に先立って撮られた『親愛なる日記』がぼくの周りでちょっと話題になっていてずっと気にはなっていたのだが、なかなか観るチャンスに恵まれなかった。けっきょくその『親愛なる日記』はレンタルビデオ屋にはみつからず、そのかわり目に入ったのがこの『ナンニ・モレッティのエイプリル』だったというわけだ。

感想は、といえば

やたらと台詞が多い

それに

無駄にジェスチュアが大きい

そのわりに、

おかしさがいまひとつ伝わってこない

といったところか。まあ、これはぼくがアキ・カウリスマキの映画に慣れすぎてしまったせいもあるかもしれない。とりわけ「台詞」と「ジェスチュア」の過剰さについて。もちろんイタリア人にだって寡黙な人はいるだろうし、フィンランド人にだって騒々しい人はいる。にもかかわらず、『ナイト・オン・ザ・プラネット』のロベルト・ベリーニとマッテイ・ペロンパーの好対照ぶりもあって、どうもぼくのなかではこの「図式」は完璧に固定化されつつあるようだ。

ああでもない、こうでもないと考えぬいたあげく「胎教」のためにと観にいったアメリカ映画を、「とんでもない愚作を(生まれてくる赤ん坊に)観せてしまった」と頭をかかえて後悔するシーンなどあまりに無邪気すぎて笑えなくもないが、短い映画にもかかわらず、映画につきあわされたというか、振り回されたというか、なんだかちょっとイライラとさえしてくるのだった。イタリアって疲れそう、と思いきやイタリア人がみな疲れていない(ようにみえる)のは、周囲も総じてマイペースだからにちがいないとこの映画を観て再確認。

なんでも彼のことを「イタリアのウッディ・アレン」などと呼ぶひともいるらしいが、どうだろう?この作品を観た限りでは、あまり似てないな。ウッディ・アレンのほうがはるかにウィットに富んでいるし、なんといってもエレガントだもん。空騒ぎのさなかでは、おかしみも哀れみも風刺も自虐もいまひとつ冴えきらず宙に浮かんで行き場を失う(そういえば「未来派」とかもそんな感じだよなあ)。たぶん、イタリアではウッディ・アレンは生まれないってことでしょう。

ナンニ・モレッティのエイプリルナンニ・モレッティのエイプリル
(2002/01/25)
ナンニ・モレッティシルヴィオ・オルランド

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