午前中鍼にいった後どこかにでかけようと思っていたのだが、折悪しく降り始めた雨と連休中の疲れに負けそのまま帰宅、モンテ・ヘルマンが一九七一年に撮った映画『断絶』を観る。
じつはこの映画、いちど観ている。六本木のシネヴィヴァンのレイトだった(調べてみたら一九九五年、なんと十三年前だって!)。たしかジェイムス・テイラーとデニス・ウィルソン(ビーチボーイズ)というふたりのミュージシャンが主演した「幻のロードムーヴィー」というふれこみだったように記憶している。
バリバリに改造をほどこした旧式のシボレーにのって各地のストリートレースで賞金稼ぎをしながら旅をつづける「ドライバー(ジェイムス・テイラー)」と「メカニック(デニス・ウィルソン)」のふたり。そこに、ひょんなことから道中を共にすることになる最新式ポンティアックを駆る通称「GTO(ウォーレン・オーツ)」、さらには彼らのあいだをふわふわと行き来するヒッピーの少女(ローリー・バード)が加わり目的地のない旅はつづく・・・。
この映画に、たとえば『イージーライダー』のような「ドラマ」を求めるひとは間違いなく肩すかしを食うことになる。そのかわり、当時のアメリカを覆っていた「空気」が、この映画にはむせかえるほどの生々しさとともに詰まっている。南部に漂う不穏な空気。それぞれがそれぞれの「事情」を抱えたヒッチハイカーたち。なにかの捌け口を求めるかのように(それともなにかから目を逸らすため?)ストリートレースに熱狂する若者たち。その生々しさは、たとえるなら鋭利なナイフで切断された「一九七十年のアメリカ」の断面を見せられているかのよう。それはまた、監督であるモンテ・ヘルマンの意図したところでもあるかもしれない。DVDに収められたインタビューによれば、撮影中は役者たちに当日の分だけしか台本を渡さず、あたかも実際に西から東へ旅をしているように撮影を続けたという。途中、南部の町でローリー・バード扮するヒッピーの少女が通行人に「バス代」をせびる場面があるのだが、これとかはおそらくゲリラ的に隠し撮りしたものだろうし、レース場の場面なども実際のレースにカメラを運び込んでのものだったのではないだろうか。
印象に残るシーンもいくつかあった。たとえば、ジェイムス・テイラーがローリー・バードを運転席に座らせてシフトチェンジを教えるのだが、なかなかうまくゆかない。自分の手を添えて「ほら、これがニュートラル」とぶらぶらやるのだが、けっきょく「きみには無理だ」とあきらめる。そしてある日、「ニュートラルであること」を体得できないまま、彼女は唐突に彼らのもとから飛び立ってゆくのだ。
もうひとつ、やはり無口な「ドライバー」ジェイムス・テイラーがローリー・バードにこんな話をして聞かせる場面。
セミは見た目は悪いが、しぶとい虫だ。土の中で七年間をすごし、残りの人生を地上ですごす。殻を脱ぎ捨て、羽を伸ばし、空を飛ぶためにね。そして、死ぬ。
いきなりこんなことを言い出す男に、少女は「くだらない。退屈な男ね。」と返す。実生活でのローリー・バードはというと、その後サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルと出会い、恋に落ちるが、一九七九年みずから命を絶ってしまう。いっぽう、GTOことウォーレン・オーツは一九八二年にまだ五十代という若さで他界。「メカニック」を演じたデニス・ウィルソンも、その翌年酔った勢いで海に飛び込み溺死する。それに対してジェイムス・テイラーはといえばいまなお健在、昨年ニューアルバムもリリースしたばかりだ。たしかに、しぶとい。もちろん、これは映画とはまったく関係のない話ではあるけれど。
じつはこの映画、いちど観ている。六本木のシネヴィヴァンのレイトだった(調べてみたら一九九五年、なんと十三年前だって!)。たしかジェイムス・テイラーとデニス・ウィルソン(ビーチボーイズ)というふたりのミュージシャンが主演した「幻のロードムーヴィー」というふれこみだったように記憶している。
バリバリに改造をほどこした旧式のシボレーにのって各地のストリートレースで賞金稼ぎをしながら旅をつづける「ドライバー(ジェイムス・テイラー)」と「メカニック(デニス・ウィルソン)」のふたり。そこに、ひょんなことから道中を共にすることになる最新式ポンティアックを駆る通称「GTO(ウォーレン・オーツ)」、さらには彼らのあいだをふわふわと行き来するヒッピーの少女(ローリー・バード)が加わり目的地のない旅はつづく・・・。
この映画に、たとえば『イージーライダー』のような「ドラマ」を求めるひとは間違いなく肩すかしを食うことになる。そのかわり、当時のアメリカを覆っていた「空気」が、この映画にはむせかえるほどの生々しさとともに詰まっている。南部に漂う不穏な空気。それぞれがそれぞれの「事情」を抱えたヒッチハイカーたち。なにかの捌け口を求めるかのように(それともなにかから目を逸らすため?)ストリートレースに熱狂する若者たち。その生々しさは、たとえるなら鋭利なナイフで切断された「一九七十年のアメリカ」の断面を見せられているかのよう。それはまた、監督であるモンテ・ヘルマンの意図したところでもあるかもしれない。DVDに収められたインタビューによれば、撮影中は役者たちに当日の分だけしか台本を渡さず、あたかも実際に西から東へ旅をしているように撮影を続けたという。途中、南部の町でローリー・バード扮するヒッピーの少女が通行人に「バス代」をせびる場面があるのだが、これとかはおそらくゲリラ的に隠し撮りしたものだろうし、レース場の場面なども実際のレースにカメラを運び込んでのものだったのではないだろうか。
印象に残るシーンもいくつかあった。たとえば、ジェイムス・テイラーがローリー・バードを運転席に座らせてシフトチェンジを教えるのだが、なかなかうまくゆかない。自分の手を添えて「ほら、これがニュートラル」とぶらぶらやるのだが、けっきょく「きみには無理だ」とあきらめる。そしてある日、「ニュートラルであること」を体得できないまま、彼女は唐突に彼らのもとから飛び立ってゆくのだ。
もうひとつ、やはり無口な「ドライバー」ジェイムス・テイラーがローリー・バードにこんな話をして聞かせる場面。
セミは見た目は悪いが、しぶとい虫だ。土の中で七年間をすごし、残りの人生を地上ですごす。殻を脱ぎ捨て、羽を伸ばし、空を飛ぶためにね。そして、死ぬ。
いきなりこんなことを言い出す男に、少女は「くだらない。退屈な男ね。」と返す。実生活でのローリー・バードはというと、その後サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルと出会い、恋に落ちるが、一九七九年みずから命を絶ってしまう。いっぽう、GTOことウォーレン・オーツは一九八二年にまだ五十代という若さで他界。「メカニック」を演じたデニス・ウィルソンも、その翌年酔った勢いで海に飛び込み溺死する。それに対してジェイムス・テイラーはといえばいまなお健在、昨年ニューアルバムもリリースしたばかりだ。たしかに、しぶとい。もちろん、これは映画とはまったく関係のない話ではあるけれど。
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この記事へのコメント
久々に今日moiにお邪魔しました。
多感な時代の頃の井上陽水の「断絶」を連想しました。
今思えば、自分が親父の世代。「好きにすればぁ。」とも思う今の自分とその当時の自分の考え方のギャプが妙に面白く思えました。
いつものように、主題から大きくハズレてごめんなさい!
多感な時代の頃の井上陽水の「断絶」を連想しました。
今思えば、自分が親父の世代。「好きにすればぁ。」とも思う今の自分とその当時の自分の考え方のギャプが妙に面白く思えました。
いつものように、主題から大きくハズレてごめんなさい!
2008/10/18(土) 20:10 | URL | Jussi #-[ 編集]
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