北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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土用の丑の日、バレンタインデーのチョコレートとならび、うまいこと仕掛けがハマってこの国に定着した「風習」のひとつに「年末の第九」というのが、ある。土用にうなぎを食べる習慣がなく、バレンタインデーにチョコをもらうことも少なくなったこのぼくも、ここ数年「年末の第九」だけは欠かしていない。ことしも残すところあと・・・というこの時期「第九」を聴くと、いいこともよくないこともひとまずぜんぶリセットして、また新しい気持ちで一年を迎えましょうという気分になれるのがいい。まさに「一年の節目」。ことしはきのう、読売日本交響楽団の「第九」に行ってきた(サントリーホール)。指揮はオスモ・ヴァンスカ、フィンランド人である。

vanska.jpg

それにしても、ヴァンスカ、いい! ヒュヴァ!ヒュヴァ! である。なにより「痛快」、全体はコンパクトながら音楽の端々にまで力が漲った、いわば「逆三角形」のマッチョな「第九」だ。とはいえ、繊細なピアニッシモや短いフレーズのなかでのクレッシェンドの多用、アーティキュレーションの自在さなどどこをとっても考え抜かれていてたんなる「筋肉バカ」じゃないところがいい。さすがは思慮深いフィンランド人(←身びいき 笑)である。

とくに今回はじめて、「対向配置」という、指揮台をはさんで両側に第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンを配置した編成で「第九」を聴いたのだが、それがこの曲では驚くほどの威力を発揮していて、これまでなんでこういうシフトをとっていなかったのだろう? とむしろ不思議にすら思えてくるのだった。第一楽章の主題のかけあい、第二楽章の冒頭の受け渡し、第三楽章での音楽の対話と、挙げていったらキリがない。それは、こういう効果を期待してベートーヴェンはこの曲を書いたのだろうと考えさせるに十分な説得力があった(一説によると、ベートーヴェンが生きていたころはこの「対向配置」が一般的だったらしい)。

合唱が入るあの有名な終楽章でも、ヴァンスカは独特だった。ふつう「喜び」を勇ましく歌い上げるようなところでも、あえて出だしをソフトにはじめてみたり、ふだんは埋没しがちなアルトの合唱の歌声がくっきりと浮かび上がってきたりと、ちょっと聴いたことのないような響きがそこかしこに顔をだして息つくひまを与えない。いつもの「歓喜の歌」が高らかに「喜び」を歌い上げる(ある意味かなり楽天的な)演説のようなものであるとしたら、ヴァンスカのは「祈りの歌」である。そしてそれは、先行きの見えないこの時代に生きるものにとってはより「リアル」と言ってよく、それだけ「現代的」でもある。

あれだけのフィナーレだけに演奏後の客席は盛り上がらないはずもないが、この日の白眉はもしかしたら第三楽章のアダージョだったかもしれない。透明感あふれる音色の弦楽器が精緻に奏でる旋律が、あたかも教会のコラールのようにホールに響く。終楽章の「祈りの歌」は、すでにここから始まっていたのだ。

ちなみにこの日ホールではテレビの収録がおこなわれていて、28日(月)深夜2時4分~の『深夜の音楽会』(日本テレビ系列)で全曲ノーカットで放映されるとのこと。

Beethoven: The SymphoniesBeethoven: The Symphonies
(2009/10/27)
BeethovenJuntunen

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