北欧、フィンランドをこよなく愛するカフェ店主がつづる日々のあれやこれや。

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数年前の話だ。どこか出先で食事をしようと思いファミレスに入ったのだが、ちょうど混み合う時間帯だったため、入口に置かれたウェイティングリストに名前を書き待つことにした。

前のひとにならってカタカナで「イワマ」と記入し、待つことしばし。女子高生とおぼしきアルバイトがメニュー片手にやってきて、こんなふうに言ったのだった。


「二名でお待ちの〝イワナ〟様」


惜しい!でも違う!!と思ったが、ここでわざわざ言い直すのもなにか大人げないので、心の中では「サザエさんかよ!」とツッコミを入れつつそのまま「イワナ」のまま席に案内され、「イワナ」のまま和風おろしハンバーグステーキなど食べ、「イワナ」のままお会計を済ませて店を後にしたのであった。

そんなことがあってからしばらくしたあるときのことである。同じようにウェイティングリストに記入し空席を待つ機会があったのだが、そのときは家族が名前を記入した。

しばらくして順番がきて、フロアマネージャーらしき人物がぼくらの名前を呼び上げる。


「二名でお待ちの〝イワナ〟様」


ウソ!?また?!と思い家族の顔をみるとニヤニヤしている。「面白いから〝イワナ〟にしといた」。おい!!
三遊亭萬橘師匠で「田能久(たのきゅう)」をきいた(あらすじ→「落語400文字ストーリー」様)。萬橘師は、〝親孝行〟というよりも、〝久兵衛が一人前の役者になるべく肚を決める〟までのドラマにフォーカスする。そして結果、それが〝親孝行〟につながる。〝親孝行〟はどちらかといえばオマケなのである。

役者になることを決意した倅に、反対するかわり、「田畑は売ってしまうがそれでかまわないか?」と覚悟を迫る母親も、とっさにカツラをつけて女や坊主に〝化けた〟久兵衛に対し、感心するかわりに、「上手く化けたつもりかもしれないが了見がなってない」とアドバイス(?)するうわばみ(大蛇)も、結果的には久兵衛が一人前の役者になるべく〝肚を決める〟後押しとなる。そもそも、巡業先から郷里にあわてて帰るきっかけとなる「母が急病」との手紙も、萬橘バージョンでは、他の役者に人気を持ってゆかれたことでくさった久兵衛による〝自作自演〟という趣向。

最後、うわばみが久兵衛にむかって千両箱(大金)を投げつけるのは、肚を決めた久兵衛がその後ますます芸道に精進した結果、成功して大金持ちになったことをあらわしているのだろうか。「独演会」とは銘打ってあるものの、実質的には「勉強会」というスタンスなのか、手探りの口演ではあったけれど(ネタおろし?)、いずれ、よりブラッシュアップされた〝萬橘版「田能久」〟をきける日が楽しみである。


のら犬をみかけなくなって久しい。ぼくが、小学校の6年生から中学の2年までを過ごした静岡県沼津市には、まだまだたくさんののら犬たちがわがもの顔に町内を闊歩していた。通称〝四つ目〟も、そうしたのら犬たちのなかの一匹であった。黒白の中型犬で、黒い顔のちょうど両目の上にふたつ白い斑点があった。それが、遠目には4つ目あるようにみえるため〝四つ目〟である。〝四つ目〟は、よく言えばフレンドリー、わるく言えば素行のあまりよろしくない犬であった。

ある朝、ぼくは学校へ行くため家を出た。自宅と小学校とは目と鼻の先である。家を出て、駐車場を兼ねた空き地を突っ切り、信号を渡ればもう学校の裏門だった。〝四つ目〟につかまったのは、まさに空き地に入った瞬間である。「よぉ、兄ちゃん、どこ行くんかい?」「が、学校です」そんなやりとりをしながら目も合わさず、足早に振り切ろうとするぼく。そのときである。肩のあたりにイヤな感触をおぼえた。恐ろしくて振り向くことができなかったものの、いままさに起こっていることはだいたい想像がついた。

後ろ足立ちになった〝四つ目〟が、ぼくの両肩に前足をかけている。そう、フォークダンスの「ジェンカ」のかたちである。とにかくぼくはそろそろと、そのままのかたちをキープしながら空き地を横切った。飽きたのか、疲れたのか、思ったほどには面白くなかったのか、信号の手前で〝四つ目〟はどこかに消えてしまった。

家に帰ったぼくはさっそく、その恐怖体験の一部始終を母に語った。ゲラゲラ笑いながら、「面白かった!」と母は言った。窓から見ていたのだ。「助けろよ!!!」そのままグレなかったのが、いまでもふしぎである。
レゴの「青色」は、ぼくら日本人が思う「青色」からするとすこしばかり暗い。ところが、その「青色」も緯度の高い北欧の〝光〟でみるとちょうどよく、とても美しくみえるのだという。むかし、そんな話をなにかで読んだ気がする。

たとえば、旅先の北欧で撮った写真を誰かにほめられる。「もしかして写真の腕が上がった?」なんて思ってしまいがちだが、どうやらこれも緯度の高い北欧の〝光〟のなせる技らしい。波長の短い北欧の〝光〟が、〝ふつうに〟撮っても引き締まった輪郭とヴィヴィッドな色彩をもたらしてくれるのだ。

つい最近、スウェーデン製のスニーカーを手に入れた。なにげなくネットを徘徊していて偶然みつけたものだ。セールで値段も安かったので、あまりかんがえることもなく購入してしまった。色はたしか、「ブラック」「カーキ」それに「ベージュ」の3色用意されていたのだが、ぼくが手に入れたのは「ブラック」。あまり印象の重くなりすぎない黒のスニーカーをちょうど探していたのだ。

ところが、ネットでいくつかのショップを回っているうち気になるコメントを目にした。《ブラックとありますが、実際にはネイビーに近いです》。たしかに、画像によってはそうみえなくもない。おそらくは薄墨色だろう、勝手にそう解釈して買ってみることにした。

〝ほぼネイビー〟だ。

届いた荷物を開けて、ぼくはそう思った。黒と薄墨なら、まあイコールで結べないこともないが(個人的に)、黒と紺は…… なかなか厳しいものがあるのではないか。とはいえ、基本〝出されたごはんは残さず食べる〟タイプである。そこで、こう考えることにした。


このスニーカーは、北欧の〝光〟でみると「黒」にみえます。


ただでさえテレビを観ないのに、夏になるとますますテレビから遠ざかる生活になるのは、ひとえに〝暑さ〟のせいである。というのも、我が家のテレビのある部屋にはエアコンがない。あれは去年のことだったか、仕事から帰りその部屋に置いてある温度計を見たところ「37℃」あったことがある。ちなみに、おなじ日のインドの首都の最高気温は「32℃」だった。こうなると、テレビを観ているのかガマン大会に参加しているのか、もはやわからなくなるレベルである。

つい先日のことだ。スタッフと、テレビ東京のある番組の話をしていて思わず「12チャン」と言ったところ、彼女の頭上にクエスチョンマークが3つくらい浮かんでいるのがみえた。恐ろしいことに、いまテレビ東京は「7チャン」なのだという。そう、未だに我が家は「地デジ化」されていない。テレビをつけると、画面の上下に「デジアナ変換。このサービスは2015年3月末日をもって終了します」というテロップが流れつづけていて観づらいことこのうえない。しかも、元々15インチほどしかない小さなテレビなのに上下をテロップに占められているせいで、いま観ることのできる画面は実質12インチを切っているのではないか。おかげで、我が家でみるAKBのメンバーはみんなとても可愛い。

そういうわけだから、もちろん、録画機能などという便利な機能は備えていない。テレビ番組は放映時間に観るもので、それを逃したらもう二度と観ることの叶わないものである。以前はビデオデッキを所有していたこともある。自慢じゃないが「S-VHS」とかいうやつだった。最近ツイッターのタイムラインなど眺めていると、曜日、時間を問わず「あまちゃん」を観ているひとびとがいて、いくら人気だからって公共放送が四六時中「あまちゃん」ばかり放送するのはいかがなものか? とおののいていたところ、みな録りためたものを休日などにまとめて観るのだという。録画は、3倍モードで最長8時間までと思っていたのだが……。

あればあったで観るけれど、なければないで済んでしまう。現在のじぶんの生活における「テレビ」の重要度は、おそらくピラフの上にふりかけるパセリと同じくらい、そう感じている。
どこか恐ろしくも魅力的なのが、「給水塔」と呼ばれる建造物である。〝恐ろしくも魅力的〟という点で、ぼくにとって「給水塔」は「不協和音」にも通じる。不意に挿入されるモーツァルトの不協和音に、ひとは〝驚く〟よりもむしろ〝不安〟をおぼえる。おなじように、ごくありふれた街並に忽然と姿を現す「給水塔」の存在も、まるでそこだけが〝現実の中の非現実〟であるかのようにひとを不安におののかせる。

道に迷って偶然出くわした大谷口の給水塔。まるで松本竣介の絵のような、鉛色の空を背景に屹立するその威容をいまだ忘れることができない。わざわざバスに揺られて野方まで給水塔(配水塔)をみにでかけたのは、東日本大震災のすこし前のことだった。「この揺れで、あの給水塔は無事だろうか?」地震の中でそんな思いがふと頭をかすめたのは、「給水塔」のもつ〝街の不協和音〟としての強い印象ゆえだろうか。

スウェーデンのマルメに現在では共同住宅として使われている「給水塔」があると知ったのは、シューヴァル=ヴァールーのミステリ『サボイ・ホテルの殺人』で犯人が暮らすキルセベリ地区を描写するなかにそれが登場しているからだ。それはマルメ市のイーストサイド、「〝ブルトフタの丘〟とも、単に〝丘〟とも呼び慣わされている」すこしばかり殺伐としたダウンタウンに建っている。


「給水塔とは名のみで、実はかなり前から一般住宅に改造されている塔だった。中の部屋はさしずめパイのような形にでもなっているのだろうか。いつか新聞に、その改造住宅の衛生状態たるや不潔きわまりないもので、住民は九分九厘ユーゴスラビア人が占めているという記事が載っていたことを、スカッケは思い出した」(『サボイ・ホテルの殺人』高見浩訳 349頁)。


その給水塔は、第一次世界大戦さなかの1916年、避難所として貧しい人々に解放されたのをきっかけに本来の役割を失い、もっとも多いときで200人あまり(!)の人々ががそこで生活するほどの過密ぶりだったという。一種スラムと化していたのだろう。その後、民間の不動産会社がリノベーションを施し、現在では眺望に恵まれた高級アパートとしてなかなかの人気ぶりなのだそうだ。調べてみると、世界のあちらこちらに、いまは住居として第二の人生を送っている給水塔があるらしい。それはたしかに〝魅力的〟ではあるかもしれないが、ひとが暮らす「給水塔」に〝恐ろしさ〟はない。

内に満々と水をたたえた見上げるほどの塔、水の塔、そのどこか矛盾した存在様式にこそ「給水塔」の〝ひみつ〟が隠されているような気がしてならない。


〝前世〟について話すひとがある。たいがいは、どこそこに〝前世〟をみる能力を持ったひとがいて、ためしにみてもらったところ自分の〝前世〟は◯◯であった、という内容である。

かねがね不思議に感じ、かつツマラナく思っていたのは、そうして話される〝前世〟の多くが「中世ヨーロッパのお姫様」であったり「戦国時代の武将」であったりするからである。いっぽう、〝前世〟が「村いちばんのキノコ採り名人」であったり「フグにあたって死んだ板前」であったり、また場合によっては「一般的なサイズのオニヒトデ」であったりするひととは出会ったためしがない。まるで〝いまの自分よりもステキであること〟が、なにより前世占いの〝お約束〟であるみたいに。

これはその昔、ぼくが友人のそのまた友人から直接聞いた話である。彼女はやはり、なにかの縁で出会った〝その筋のひと〟に〝前世〟をみてもらった。ところが、彼女が聞かされた自分の〝前世〟はちょっと想像の域を超えていた。というか、むしろ納得しがたいものだったという。なぜなら彼女に告げられたその〝前世〟というのが、「ダンプカーの運転手」だったからである。

ただでさえ男前なオーラを醸し出している姉さんが、憤懣やるかたなしといった様子で話す姿にはいかにも「ダンプカーの運転手」という〝前世〟は似つかわしく感じられた。しかし、それはやはり〝占い〟とはまた別ものだろう。なにしろ、それは〝見たまんま〟なのだから。
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